占領軍の進駐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 22:28 UTC 版)
「マスタードム作戦」も参照 1945年7月に開かれたポツダム会議でインドシナの処理は決まっていた。北緯16度線を境に北は国民革命軍、南はイギリス軍が進駐して約6万のインドシナ駐留日本軍を武装解除し、フランス軍に引き継ぐというものである。9月6日、英印軍を率いたクレーシー将軍の部隊がサイゴンに入城し、9日には慮漢将軍率いる中国軍がハノイに入城した。進駐軍は日本軍の収容所に入れられていたフランス軍を解放し、9月21日には英海軍艦艇に乗った最初のフランス軍部隊がサイゴンに上陸した。 フィリップ・ルクレール将軍率いるフランス軍は、まず南ベトナムの支配を固め、1946年始めイギリス軍部隊は撤退した。同年2月28日、フランスは重慶の国民政府と協議し、北ベトナムの中国軍は3月末までに撤退する、フランスは在華治外法権を撤廃し、上海仏租界や広州湾租借地を返還するとの合意に達した。
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