占領軍による間接統治とは? わかりやすく解説

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占領軍による間接統治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 04:50 UTC 版)

日本の降伏」の記事における「占領軍による間接統治」の解説

厚木航空隊事件のような反乱事件いくつか起きたものの、日本国内アジア各地展開していた日本軍は、ほとんど抵抗らしい抵抗もなく約60日で武装解除された。満州南樺太サハリン)、千島列島などにいた日本軍兵士10万人(86万人といわれる)は、ソ連軍によって武装解除シベリアはじめとするソ連領内に連れ去られ1年から数年にわたる過酷な自然と劣悪な待遇の元で強制労働服し、約68,000人が死亡した日本朝鮮半島米ソに、台湾中華民国に、南樺太及び千島列島及び歯舞色丹ソ連に、「本州北海道九州四国並びに吾等(連合国)の決定する小島」(ポツダム宣言)をイギリス軍アメリカ軍によって占領されたが、同じ敗戦国ドイツとは違い日本政府による統治継続されたことから、イデオロギー対立する複数連合国による分割占領免れたソ連参戦後に釧路市留萌町現在の留萌市)の両都市と、それらを結ぶ線より北の北海道占領する意向8月15日示したが、アメリカ合衆国大統領トルーマン即座に拒否したマッカーサーは、初め日本直接統治する軍政を布こうとし、9月3日その旨布告しようとしていたが、前日この方針を知った日本政府苦情受け入れ結局日本政府通じた間接統治の形をとることとした。 このマッカーサーの突然の判断変更背景事情としては、アメリカ対日政策立案1944年暮れから手がけていた、SWNCC(スウンク;国務・陸軍・海軍調整委員会)が、1945年8月22日から31日にかけて起草した降伏後におけるアメリカ初期対日方針」の中で「最高司令官は・・・天皇を含む日本政府機構及諸機関通じて権限行使すべし」、つまり間接統治対日占領政策として最適であろう分析していたことが上げられる日本政府は、イギリス連邦占領軍アメリカ軍中心とした連合国軍による占領統治の下に置かれGHQ一連の戦後改革連合国軍最高司令官布告命令指示によって展開させた。1946年昭和21年11月3日に、大日本帝国憲法改正され日本国憲法公布され1947年昭和22年5月3日に同憲法施行された。

※この「占領軍による間接統治」の解説は、「日本の降伏」の解説の一部です。
「占領軍による間接統治」を含む「日本の降伏」の記事については、「日本の降伏」の概要を参照ください。

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