ファシズム、全体主義としての批判
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「マルクス主義批判」の記事における「ファシズム、全体主義としての批判」の解説
「全体主義」および「ファシズム」を参照 マルクスの理論に基づいて、レーニンやスターリンが作ったソビエト連邦の共産主義体制(レーニン主義、スターリニズム)は、共産主義を科学だと自称し、他のイデオロギーを非科学的、反革命的だと弾圧した。レーニンは秘密警察チェーカーを作り、反革命と認定された者を逮捕処刑した。スターリンの大粛清では反革命分子として異端とされた党員が数十万から700万が処刑されたといわれる。そのため、労働者階級の解放どころか、結局は人民の自由を抑圧する「ポスト全体主義体制」でしかなかったという批判がある。 階級廃絶を主張していたが、党官僚という偽善的な新階級「ノーメンクラトゥーラ」を生み出してしまい、富は公平どころか特権階級に集中したと批判された。経済的自由主義者のミーゼスとその弟子ハイエクは社会主義、共産主義、ナチズム、ファシズムは同根的な集産主義(collectivism)であり、計画経済や社会主義・共産主義が「独裁制の全体主義」に陥るのは、必然的なことだったとの指摘をした。 ハンナ・アーレントも『全体主義の起源』(1951年)や『革命について』(1963年)のなかで、ナチズムとソ連共産主義の大粛清の起源をフランス革命に見いだして批判した。吉本隆明も『マチウ書試論』(1954年)のなかで、「人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。」と述べ、階級性に関係のない人間の自由意志の存在を指摘している。クロード・ルフォールもソ連の体制は、ナチスや東欧諸国とならんで全体主義であると批判した。 ミシェル・フーコーは、マルクス主義によって政治的な想像力が貧困化し、枯渇したと批判し、その理由として、マルクス主義が権力の一様態にほかならないからであるとした。 ズビグネフ・ブレジンスキーは「共産主義とファシズム、ナチズムは歴史的に関連があり、政治的にも類似している。いずれも、工業化時代の深刻な問題―何百万という根無し草のような労働者の出現、初期資産主義がもたらす不公平、そこから生じた階級対立など―への答えとして生まれたものである」「社会的憎しみを社会正義という理念で包み、社会を救済する手段として、国家の組織された暴力を正当化するにいたるのである。ヒトラーのナチス・ドイツとスターリンのソビエト・ロシアは、のちに大規模な戦争を展開する」が、これは「共通の信念を持つ者同士の兄弟殺しの戦争であった」「スターリンがナチであったと同様、ヒトラーはレーニン主義者であったといっても過言ではない」と述べている。 ソ連から西ドイツに亡命したミハイル・S.ヴォスレンスキーは、ソ連の「現存社会主義社会には、生産手段の『国有』ないし『社会有』以外に法的な所有形態は存在しないから、生産手段の所有を通じての支配・被支配の関係は生まれない」という主張はフィクションにすぎず、実際のソ連ではソビエト共産党の党員1,700万人中4パーセントの70万人が、指導者層のノーメンクラトゥーラを形成し、それが生産手段を超独占的に管理することによって、労働者階級を支配し搾取し、一党独裁による官僚制国家であると西側社会に報告した。
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ファシズム・全体主義としての批判
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「マルクス主義批判」の記事における「ファシズム・全体主義としての批判」の解説
「全体主義」、「ファシズム」、「プロレタリア独裁」、および「一党独裁制」を参照 マルクスの『資本論』は、あくまでも資本主義社会の分析を行っているに過ぎず、共産主義社会の分析を行っているわけではない。共産主義が「資本主義よりも優れている」という証明は行われていない。 マルクスの理論に基づいて、レーニンやスターリンが作ったソビエト連邦の共産主義体制(レーニン主義、スターリニズム)は、共産主義を科学だと自称し、他のイデオロギーを非科学的、反革命的だと弾圧した。レーニンは秘密警察チェーカーを作り、反革命と認定された者を逮捕処刑した。スターリンの大粛清では反革命分子として異端とされた党員が数十万から700万が処刑されたといわれる。そのため、労働者階級の解放どころか、結局は人民の自由を抑圧する「ポスト全体主義体制」でしかなかったという批判がある。マルクスは階級廃絶を主張していたが、党官僚という偽善的な新階級「ノーメンクラトゥーラ」を生み出してしまい、富は公平どころか特権階級に集中したと批判された。 経済的自由主義者のミーゼスの弟子ハイエクは『隷従への道』(1944年)で、社会主義、共産主義、ナチズム、ファシズムは同根的な集産主義(collectivism)であり、計画経済や社会主義・共産主義が「独裁制の全体主義」に陥るのは、必然的なことだったと指摘した。 哲学者のカール・ポパーは1945年に『開かれた社会とその敵』を発表し、全体主義の根源にヘーゲルとマルクスがあるとし、20世紀の共産主義を批判した。ポパーによれば、共産主義は「完全に統制された、全体主義的な社会を作ること」を目的としており、これはナショナリズムと共通する。共産主義社会では、同じ信念と目的を持ち、国家の絶対的な権威に完全に服従する「均質な住民」から成り立っており、正しいと信じられる共産主義思想に同意しない人々は、「明らかな真理を受け入れることを、悪意から拒否している」人々、つまり「明らかな真理に対する敵」とみなされ、暴力を用いて弾圧され、こうして共産主義には非人間性、自由に対するその固有の敵意があると指摘される。ポパーによれば、共産主義思想では、地上の楽園を作ることが主張され、試みられてきたが、「しかし、それはいつも、むしろ地獄に似たものを確立するに至った(…)なぜなら、無垢な社会という、美しいヴィジョンに鼓舞された人々は失望せざるをえないからだ。そして、失望したときに、彼らは、その失敗を、犠牲者や人間の悪魔に押し付けるのである。そういったものたちは、悪意をもって、千年王国が到来することを邪魔しようとたくらむ者どもであり、それ故、根絶されなければならない人々」とされるのである。ポパーは共産主義の重大な誤りとは「ロベスピエールの恐怖政治のように、素朴で過度の楽観主義の致命的な結果なのである。共産主義は、奴隷制、予防的恐怖、そして予防的拷問さえ再導入した。そしてわれわれはこれを黙認してはならないし、許してもならない」と警告する。ポパーによれば、共産主義国家建設の経験は、地上に楽園を作る試みの恐るべき危険を例証しているのであり、従って、「われわれが地上に楽園を作ることができないということを明らかにすることが、すべての理性的な政策の第一原理のひとつでなければならない」、「われわれは、自由を馬鹿馬鹿しい値段で、あるいは最高度に可能な生産性と効率性を得るという見込みのために、売り払うべきではない」とする。ポパーは、貧困は大きな害悪だが、貧困と富裕の対比よりも重要なのは、自由とその欠如との対比、すなわち、新たな階級、新たに支配を握った独裁政権と、強制収容所などへ追いやられる恵まれぬ市民との対比であると主張する。 哲学者ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』(1951年)や『革命について』(1963年)のなかで、ナチズムとソ連共産主義の大粛清の起源をフランス革命に見いだして批判した。 吉本隆明は『マチウ書試論』(1954年)のなかで、「人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。」と述べ、階級性に関係のない人間の自由意志の存在を指摘している。 クロード・ルフォールもソ連の体制は、ナチスや東欧諸国とならんで全体主義であると批判した。 ミシェル・フーコーは、マルクス主義によって政治的な想像力が貧困化し、枯渇したと批判し、その理由として、マルクス主義が権力の一様態にほかならないからであるとした。 ズビグネフ・ブレジンスキーは「共産主義とファシズム、ナチズムは歴史的に関連があり、政治的にも類似している。いずれも、工業化時代の深刻な問題―何百万という根無し草のような労働者の出現、初期資産主義がもたらす不公平、そこから生じた階級対立など―への答えとして生まれたものである」「社会的憎しみを社会正義という理念で包み、社会を救済する手段として、国家の組織された暴力を正当化するにいたるのである。ヒトラーのナチス・ドイツとスターリンのソビエト・ロシアは、のちに大規模な戦争を展開する」が、これは「共通の信念を持つ者同士の兄弟殺しの戦争であった」「スターリンがナチであったと同様、ヒトラーはレーニン主義者であったといっても過言ではない」と述べている。 ソ連から西ドイツに亡命したミハイル・S.ヴォスレンスキーは、ソ連の「現存社会主義社会には、生産手段の『国有』ないし『社会有』以外に法的な所有形態は存在しないから、生産手段の所有を通じての支配・被支配の関係は生まれない」という主張はフィクションにすぎず、実際のソ連ではソビエト共産党の党員1,700万人中4パーセントの70万人が、指導者層のノーメンクラトゥーラを形成し、それが生産手段を超独占的に管理することによって、労働者階級を支配し搾取し、一党独裁による官僚制国家であると西側社会に報告した。 歴史学者フランソワ・フュレは『幻想の過去―20世紀の全体主義』(1995年)において、共産主義は20世紀に全体主義体制として出現したが、フランス革命の記憶を利用して、進歩の先導者を自称し、世界を革命と反革命に分けたことで、共産主義への批判は困難になり、普遍主義は独善の論理に転化したと指摘した。山下範久も同書書評において「世界の改造や社会の改革を叫ぶ普遍主義者が、「味方でなければ敵」というレトリックを振り回す状況が、決して過去ではない」と指摘した。 1960年代には初期のマルクスは理想主義的な「ヒューマニズム」にあったが、後期マルクスはハードコアで、スターリン主義の萌芽があると区別する議論がなされた。しかし、経済学者・政治哲学者マレー・ロスバードは、マルクスの思想は一貫して、人間の個性を破壊し、分業体制を破壊する、狂信的な救世主の目標に奉仕することによって支えられており、レーニン、スターリン、毛沢東、ポル・ポトなど20世紀の共産主義者による恐怖の歴史は、彼らの主人であるマルクスの狂信的で破壊的なビジョンの論理的な展開であると1995年の著書で指摘した。 欧州評議会議員会議は2006年1月25日の1481号決議において、「20世紀に席巻し、現在でも依然としていくつかの国で権力を握っている全体主義的な共産主義政権(The totalitarian communist regimes)は、例外なく、大規模な人権侵害を行なってきた。そこには、強制収容所、人為的な飢饉、拷問、奴隷労働およびその他の組織的暴力などによる個人および集団の殺害、また、民族的または宗教的迫害、良心や思想を表明する言論の自由と表現の自由への侵害、報道の自由の侵害、政治的多元主義の欠如などが含まれる。」「全体主義的共産主義体制における犯罪は、階級闘争理論とプロレタリア独裁の原則の名の下に正当化されてきた。共産主義の敵として排除された膨大な数の犠牲者は自国民であった。」「これらの犯罪は、ナチズムの犯罪のように、国際社会によっていまだ裁かれていない。その結果、共産主義政権の犯罪に対する諸国民の認識は非常に乏しく、一部の国では、共産党は合法政党であり、活動的な場合もある。」「欧州評議会は、共産主義体制の犯罪を強く非難するとともに、共産主義体制の犠牲者の苦しみに同情し、それを理解することは倫理的な責務であると考える。」と決議した。
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