ダライ・ラマらチベット高僧を利用した宣伝とは? わかりやすく解説

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ダライ・ラマらチベット高僧を利用した宣伝(1988年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:35 UTC 版)

オウム真理教の歴史」の記事における「ダライ・ラマらチベット高僧を利用した宣伝(1988年)」の解説

1988年昭和63年)頃、麻原チベット亡命政府日本代表であったペマ・ギャルポ接触し自分瞑想体験成果チベット仏教先生見てもらいたい、というのでギャルポダラムサラ紹介した現地長老たちは、一緒に瞑想すると、かなりのということになり、ダライ・ラマに会うことになったダラムサラは、麻原傲慢さ察知し法王監督の下におければと思い面会させたともいう。麻原訪問前に10万ドルダラムサラ寄付しその後150ドル上の寄付をした。 1988年3月麻原カギュ派カル・リンポチェ師を訪問する。同師は麻原修行体験について質問すると「体験解脱ではない」と繰り返し戒めるかのように語りながら、「ヴァジラヤーナ金剛乗)」の教えには、他に手段無ければ大きな悪を働こうとしている人を殺すことを肯定する場合があるとも話した通訳だった上祐によれば、この時以来麻原は「ヴァジラヤーナ」という言葉盛んに使い始めた。カギュ派には、グルへの帰依強調される中で、グル指示王族襲ったとか、他人の物を盗んだとかいう逸話があり、オウム使われマハームドラーという言葉カギュ派の最高の修行法である。 1988年7月6日にはダライ・ラマ14世会っている。麻原側は両者会談模様ビデオならびに写真撮影し、会談ダライ・ラマ14世が「ねえ君、今の日本の仏教見てみたまえ。あまりにも儀式化してしまって仏教本来の姿見失ってしまっているじゃないか。これじゃあいけないよ。このままじゃ、日本仏教はなくなっちゃうよ。」「君が本当宗教広めなさい(中略)君ならそれができる。あなたはボーディ・チッタ(仏陀の心)を持っているのだから」と麻原告げたとしてオウム真理教広報・宣伝活動大い活用したインドから帰国直後1988年7月21日に、麻原元幹部との極秘会話ヴァジラヤーナ救済するために本当に必要な力、仏陀の持つ神秘的な力を身につけることによって一日早く救済成功させる道である、「グルのいったことは絶対であるとかね、あるいはグルのためには殺生ですらしなければならないとかね。例えば、大乗の戒において、ここで五百人の衆生苦しむんだったら殺されるだったら、その殺す人を殺して構わない」と語り、後に実行される殺害行為正当化することをすでにこの時に語っていた。 1988年8月富士山総本部道場落成記念イベント招待されカル・リンポチェ師は、麻原を「偉大な仏教の師」と称賛し、「あなた方グル奉仕し、そして彼がするようにといったことは何でもするようにしなさい」と説法し、自分ミラレパに、麻原カギュ派拡大したガンポパに例えた。師の麻原への評価インドでの評価より格段に高くなったことに麻原驚き、「私に多く信者がいることを見たからではないか」と推察した上祐はじめ多く信者カル・リンポチェ師の称賛理由麻原への帰依強め中沢新一も「カル・リンポチェ師は簡単にだませる人ではない」とオウム肯定する根拠とした。 1989年11月坂本弁護士一家失踪事件起きると、ペマ・ギャルポ被害者の会接触し未成年者入会弁護士一家失踪血のイニシエーションの話を聞いたペマ危機感強めチベット亡命政府麻原と関係を持たないように助言した。これに怒った麻原雑誌や本などでペマを「妨害した」「卑劣極まる」と非難したペマ麻原テレビで共演し、「最終解脱者はダライ・ラマ言っていないし、それを自称するのはおかしい。チベットで日本でも最終解脱者を名乗った宗教家はいない。名乗るならば麻原教を名乗ればよく、仏教をやめるのはおやめなさい」、ダライ・ラマ法王は『すべての人々仏陀になれる。仏性を持つ』と麻原にいったのであり、麻原仏陀だとはいってないし、そもそも法王自分仏陀だとはいっておらず、『(自分は)ただ一人僧侶にすぎない』と、いつもいう。その法王があなたのことを仏陀だとおっしゃるはずがないと言ったら、麻原怒ったペマによれば血のイニシエーションチベット僧侶誰も聞いたことがなく、また、教団シヴァ神祭られているのは奇妙で、麻原テレビ出演の際に世俗権威象徴するような大きな椅子座っていたことにも疑問抱いた1989年12月ダライ・ラマ14世ノーベル平和賞受賞式に麻原招待されなかった。 衆議院選惨敗後の1990年3月9日、「被害者の会」の永岡弘行ジャーナリスト江川紹子らがチベット亡命政府宗教文化次官カルマ・ゲーリックに面会すると、オウム法王発言として宣伝しているのは「ありえない。嘘だ」「ダライラマが、麻原仏陀素質があるなどと発言するわけがない」と回答し、「麻原活動について我々はほとんど知らない直接的に間接的にも、我々はオウム無関係である。麻原法王会ったのは確かだが、それを麻原利用するのは間違っている。」「麻原仏教学びに来た者の一人に過ぎないダライラマは何万人に仏の教え説いており、麻原だけに特別に教えるようなことはない」とした上で麻原仏教教義沿った活動をするつもりがあるなら、ダライラマセンター支部日本作り、そこで麻原正しい道に導く努力はできると答えたまた、ゲーリックは、オウム未成年から金をとったり逃げた人を独房監禁することに驚き、「仏教では未成年出家する時には両親許可必要だ」「麻原が道を踏み外したことも十分考えられる」と答えた上に、麻原教団名も知らなかった。またこの取材麻原インド訪問時にニューデリー最高級のホテルハイアット・リージェンシー・ホテルに宿泊していたことも判明しており、教団が「尊師今でも毛布一枚で畳の上寝られるほど質素あられる。それは(略)『自己のために布施を使うくらいなら、信徒方々思う存分修行ができる道場充てたい』という尊師願いがあるからなのだ」と信者説明 していたこととの矛盾指摘された。これらは週刊文春1990年3月29日号で報道された。 報道後4月4日麻原富士山総本部で、3月16日ダライ・ラマ政庁手紙問い合わせたところ、「カルマ君」(ゲーリックを指す)は3月27日付け手紙で「わたしが言ったとされていることの九九パーセントは、全く本当のことではない」「自尊心を持つ人間なら、だれでも永岡氏とその一行訴えたことでしょう」「日本社会および政府このように責任程度の低い公共メディア野放しにしているとは全くショックなことです」と書かれていたと弟子たち報告した(ただし、このゲーリックの手紙は麻原説法以外で確認されていない)。麻原は、シヴァ神仏陀への完壁なる信、あるいは完壁なる帰依からすると本件どうでもいいことだと述べながら、聖者修行者誹謗した被害者の会マスコミにはどういうカルマ返ってくるか、バッシング報道で「オウムへの信がなくなって落ちていった人」(脱会者)がいるが、彼らはチベット仏教帰依していたのか、だとしたらオウム真理教に入信すべきではない、情報わたしたち苦しみ世界叩き込む述べ麻原帰依するカルマ法則絶対だから、被害者の会マスコミ墓穴を掘るだろう、と説いた翌月には被害者の会マスコミ地獄落ちるのは、仏陀宇宙秩序約束した絶対的な真理だと説いた1990年5-6月に撒かれチラシでは、オウムダライ・ラマ悪用したという記事は、「マスコミ被害者の会江川紹子仕組んだ捏造記事」と主張した教団ゲーリック報道などに関して江川紹子出版社訴えたが、判決では名誉毀損当たらないとされた。この頃全世界ボツリヌス菌撒いてポアすると言い始め本格的な武装化開始した当時通訳担当していた上祐によれば、オウムバッシングの際、麻原ダライ・ラマ法王オウム擁護する公式な書簡要請したが、法王オウム個人的な友人関係での交流であり、組織活動内容はよく知らない以前別の日本の宗教団体法王利用した苦い経験があることを理由法王断ったその後法王サイドが「オウム真理教は、大乗仏教伝統推進しチベット難民のためにおしみなく援助している」といった公式の簡潔な1989年5月26日付け親書作成したが、これは多額寄付への感謝の意であり、麻原神秘力などについての言及はなく、ダライ・ラマ麻原宗教家として特別視することはなかった。 オウム真理教教団権威づけに多くチベット高僧インド修行者接触し宣伝材料として利用していたが、事件後に行われたマスコミ取材に対してオウム真理教から接触があった高僧修行者軒並み深い関係を否定している。 地下鉄サリン事件後1995年4月5日来日したダライ・ラマ14世記者会見で「(麻原と)会ったことはあるが、私の弟子ではない。彼は宗教より組織作りに強い興味持っているという印象残っている。私に会いに来る人には誰でも友人として接している。しかし、オウム真理教教え承認してはいない。私は超能力奇跡には懐疑的だ。仏教は、一人指導者に信者依存し過ぎるべきではないし、不健全だ」、「麻原支持したのは、私の無知による間違いだった。これが私が生きた仏ではないことを示している」と語った。 また麻原著書で「チベット亡命政府宗教大臣カムトゥール・リンポチェからイェシェー(完全な神の叡智)の段階にあると称賛された」と書いていたが、カムトゥール・リンポチェは「信じられないことだ。確かに二度麻原会ったのを覚えている。利用されとすれば残念だ」と後に語っている。 江川紹子は「多額寄付をしてもらえば、普通お礼はするし、多少リップサービスをすることもある」とし、麻原はそれを利用しオウム権威信用高めようとしたと指摘する上祐ものちの総括において、麻原チベット高僧権威利用して宣伝用い、またチベット高僧麻原人間であり、盲信してならない反省するようになったという。

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