衆議院選惨敗とは? わかりやすく解説

衆議院選惨敗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:35 UTC 版)

オウム真理教の歴史」の記事における「衆議院選惨敗」の解説

1989年参院選マドンナ旋風沸き起こったことから、1990年2月行われる衆院選に、当初麻原石井久子をはじめとした女性信者出馬させる構想立てたその後麻原自身が徳によって政を行い地上真理広めるために1990年平成2年)には真理党結成して第39回衆議院議員総選挙麻原信者24人 が集団立候補選挙立候補するかどうかオウムとしては珍しく幹部による多数決が採られた。結果10:2で賛成派勝利反対した2人上祐史浩岐部哲也であった真理党政策は、消費税廃止などで、徹底的な行政改革によって財源ひねり出すとし、ほか医療教育改革大統領制国民投票導入などを主張した選挙活動の際には信者麻原お面ガネーシャ帽子をかぶり、尊師マーチなど教祖の歌を歌うといった派手なパフォーマンスなど奇抜な活動注目浴び修行様子なども雑誌テレビで報道され徐々に知名度上がっていく。この時には公職選挙法定められ時間帯大きく超える16時間/日に及ぶ街頭宣伝運動繰り広げ麻原彰晃写真入りビラパンフレット雑誌選挙区中に撒き麻原そっくりのお面大量に作って運動員に被らせた。これは違法警視庁から警告受けたが、運動にかり出され元信者は「もしも誰かから注意されたりしたら、『これは布教活動です』と言って逃れるように」と指示受けていた。また他の候補者のポスターを剥がす、汚損するなどを麻原自身勧め深夜信者使って他の候補者を中傷するビラ配布させた。教団が特に敵視し石原伸晃ポスター剥がしたスプレー吹きつけたりし、「サンデー毎日にオウムバッシングをさせたのが石原だ」と大師信者説明した。 しかし、2月18日選挙の結果は、最も得票多かった麻原でさえ1,783票 で惨敗だった。当時立候補1人あたり200万円だった供託金として計5,000万円没収される選挙敗北脱会者が続出し麻原は「教団はもう無理かな。お金もないし」と呟いた選挙翌日2月19日富士山総本部道場での説教では、社会国家負けたとし、選挙管理委員会トリックによって1万数千票あったはずの票が出されず千数百になったことが「国家負けたということだ、つまり「票に操作なされた」と説教した。さらに「オウム反社会・反国家である」と宣言し私腹を肥やす大企業餓鬼地獄落ちていくが、「ドブ川の中で美しく咲く蓮華のようにあり続けるためには、反社会でなければならない。よって国家・警察マスコミ、これ全てこれからも敵に回ってくだろう」、その後さらに、1989年9月に「ドン妙なエネルギー入ってきた。そして、イエス・キリストになれという言葉があった」と告白し、これは「さらし者になれ」という意味で、サンデー毎日バッシングを指すと説教した麻原幹部上祐にも「自分は、弾圧されるが、戦って勝利するキリストだ」と語っていた。選挙での惨敗麻原被害者意識より一層高め非合法活動を更にエスカレートさせたといわれている。

※この「衆議院選惨敗」の解説は、「オウム真理教の歴史」の解説の一部です。
「衆議院選惨敗」を含む「オウム真理教の歴史」の記事については、「オウム真理教の歴史」の概要を参照ください。

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