ダライ・ラマによるオイラトの首長に対する称号と印章の授与
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1620年代から1630年代半ばにかけてモンゴル南部(内蒙古)の諸侯たちがダイチン国(daicin gurun, 清朝)に服属していった際、残るモンゴル北部(ハルハ)の諸侯たちは、 ダイチン国の王家愛新覚羅氏によるハーン(大ハン)位継承(1636年)について、簒奪としてとがめることはせず、友好を計りつつ自立をたもつこと。 オイラトとの積年の抗争に終止符をうち、オイラトと対等の立場で講和し、同盟を結ぶこと。 チベットのダライ・ラマを団結のシンボルとして擁立・推戴する。 などにより、ダイチン国の圧迫に抗し、自立を保つことを目指した。ハルハ各部の首長たちは、ダライ・ラマから多数の形容詞で修飾したハン号やバートル号を、オイラトの首長たちは、オイラト本国とチベットそれぞれにおいて、ハンやホンタイジ、ジノン、タイジ等の称号を受けるようになった。 ※オイラト本国では、ホシュート、ジュンガル、トルグートの首長たちが、交代で順次ハン号を、ジュンガル部の首長が独占的にホンタイジ号をうけた。 オイラト本国における歴代ハン名部族称号(チベット語、括弧内はモンゴル語)時期トゥルバイフ ホシュート テンジン・チューキ・ギャルポ(シャジンバリクチ・ノミン・ハーン) 1637年 オチルト ホシュート セチェン・ギャルポ(シャジンバリクチ・ノミン・ハーン) 1666年 ガルダン ジュンガル ガンデン・テンジン・ボショクトゥ・カン 1678年 アユシ(アユーキ) トルグート ダイチン・アユシ・カン 1697年 オイラト本国における歴代ホンタイジ名部族称号(チベット語、括弧内はモンゴル語)在位ホトゴチン ジュンガル バートル・ホンタイジ 1637年 - 1653年 センゲ ジュンガル ホンタイジ 1653年 - 1670年 ガルダン ジュンガル ホンタイジ 1671年 - 1678年(1678年から1696年までハーン) ツェワンアブタン ジュンガル エルデニ・ジョリクトゥ・ホンタイジ 1694年 - 1727年 ガルダンツェリン ジュンガル ホンタイジ 1727年 - 1745年 ラマダルジャー ジュンガル ホンタイジ 1750年 - 1752年 ダワチ ジュンガル ホンタイジ 1753年 - 1755年 ※チベットではグーシ・ハーン一族のダヤン家(グーシ・ハーンの長子ダヤンの一族)が代々ハン号を独占的に継承し、ドルジ家(グーシ・ハーンの第6子ドルジの一族)、タシ・バートル家(グーシ・ハーンの第10子タシ・バートルの一族)が順次ホンタイジ号を授かった。詳細はグシ・ハン王朝を参照。
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