エコノミカルトラック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 17:09 UTC 版)
「鉄道車両の台車史」の記事における「エコノミカルトラック」の解説
汽車製造において1自由度系台車の開発の発端となったのは、空気ばね台車の項で記した汽車製造KS-50の枕ばねをロックしての走行試験であった。 この試験を通じて乗り心地を支配する枕ばねと、走行特性を支配する軸ばねという図式が明確になったことから、一定の走行特性を確保しつつ軸ばねを簡素化し、たわみ量を大きくできる空気ばねを枕ばねに用いることで、従来の金属ばね台車と同程度かそれ以下のイニシャルコストで乗り心地の良い空気ばね台車を提供しよう、という構想が汽車製造大阪製作所で立てられた。 この構想の先行例となったのは、南海電気鉄道(現・阪堺電気軌道)が軌道線である阪堺線用として1957年(昭和32年)に製造したモ501形に装着された汽車製造KS-53である。これは型番からも明らかなように量産空気ばね台車としても極初期の製品で、また日本初の路面電車用量産空気ばね台車でもある。この台車は低床の路面電車用であるため、揺れ枕を床下に収めるのが困難であったことなどから揺れ枕を排したインダイレクトマウント構造として設計されており、枕梁やボルスタアンカー周辺の構造が幾分複雑なものとなっているものの、以後のエコノミカルトラック各種に継承されることとなる各部の基本構造は、ここでほぼ全て確立されている。 この台車を装着したモ501形は阪堺線としては初のカルダン駆動方式採用車でもあったことから乗り心地面で好評を博した。そのため、同形式以後の南海電気鉄道阪堺線向け新造車ではモ351形用汽車製造KS-69(1962年〈昭和37年〉)、モ351形用帝国車輌工業TB-58、とこのKS-53を基本とする1自由度系軸箱梁式空気ばね台車が順次採用されている。 また、TB-58を設計製造した帝國車輛工業は軸箱支持機構などはこれと同様ながら枕ばねをコイルばねとした西日本鉄道北九州線1000形連接車用TB-21、鹿児島市交通局600・460形用としてTB-55・TB-55A、伊予鉄道モハ50形用としてTB-57、と汽車製造KS-53と同様のコンセプトに基づく1自由度系軸箱梁式台車を多数製造し、さらに帝國車輛工業や汽車製造大阪製作所とほど近い尼崎に所在し、帝國車輛工業と分担して各社への車両納入を行う機会の多かったナニワ工機でも、鹿児島市交通局600形用NK-51、呉市交通局2000形用NK-52、と同種の1自由度系空気ばね台車を製造納入している。 譲渡先(仙台市交通局)を含む運用路線の廃止で消滅となった呉市向けNK-52と保守面の事情から早期に淘汰された伊予向けTB-57、それに路線の部分廃止時に少数派台車の装着車から優先淘汰されたために先行処分されて早期消滅となった西日本鉄道向けTB-21を除くと、この種の路面電車用1自由度系軸箱梁式台車は、その乗り心地の優秀さから、大半が製造から半世紀前後が経過した現在も引き続き使用されている。 もっとも、路面電車向けに続く高速電車向け1自由度系軸箱梁式空気ばね台車の開発と実用化にはしばらく時間を要した。 汽車製造の提案する高速電車向け1自由度系空気ばね台車を最初に受け入れたのは、同社製空気ばね台車の最初のユーザーとなった京阪電気鉄道であった。 同社では試作のKS-57が1959年(昭和34年)に1810系で試用され、従来方式空気ばね台車や金属ばね台車との比較試験が実施された。これは同年から量産が開始されていた2000系への採用を企図してのもので、翌1960年(昭和35年)製造の2000系2次車ではKS-57を基本としつつ設計をさらに洗練させたKS-63が採用された。 後にエコノミカルトラックあるいはエコノミカル台車と呼称されることになる、この1自由度系台車シリーズは、以下の特徴を備えている。 側梁と軸箱の間には、薄い防振ゴムが巻かれているのみで、これ単体では上下方向への大きな変位に対応しない。 左右の側梁はつなぎ梁と呼ばれるねじり方向への弾性変形に対応する特殊な梁(一種のトーションバー・スプリング)で連結され、軸箱部の防振ゴムでは対応できない大きな変位に対応する。 枕ばねはインダイレクトマウント方式で枕梁と左右側梁の間に置かれ、牽引力は心皿・側受を経て枕梁左右端から下ろされた支持腕で結合されるボルスタアンカーにより、前後軸箱間の一点で側枠に伝達される。 基礎ブレーキ装置は片押し式踏面ブレーキとする。 このように、このエコノミカルトラックでは、軸箱支持機構が大幅に簡素化されただけでなく、台車の占有床面積が削減され、さらに下揺れ枕や吊りリンクも廃止されたことで、ばね間重量の劇的な軽減と製作コストの大幅な低減、それに機器艤装スペースの捻出が一挙に実現された。 京阪電気鉄道に続いてこの台車に興味を示したのは、京阪神急行電鉄であった。 同社では京都線用1300系での試験採用を経て、阪急2000・2100系・2300系 (KS-65A・KS-65B) と各線で少数ずつ採用して評価試験を行った。 だが、これら第一世代の高速電車用エコノミカルトラックは、京阪電気鉄道と京阪神急行電鉄の双方において、防振ゴムが薄すぎて高速走行時のビビリ振動が大きい、と判定された。 そのため京阪神急行電鉄ではこの問題をゴム厚増加で対処したKS-71A・KS-71Bを京都線用の2300系で追加採用したが、軌道条件が良好な京阪神急行電鉄では従来の金属ばね台車に対して特に優位性を謳えるものではないとして、以後の本格採用は見送られた。 これに対し京阪電気鉄道では、このエコノミカルトラックが好んで採用された。 初期に採用されたKS-63こそ不評を買ったものの、通勤車用として軸箱を支える防振ゴム厚を増大するなどの改良を加えたKS-73系においてKS-63系で指摘されていた問題が概ね解決したことから、2000系に続く2200系では編成中の約3/4にこの台車が採用され、その後も1977年(昭和52年)の1000系まで、後述する住友金属工業FS-337系側梁緩衝ゴム式台車と共にこの系統の台車が大量採用された。 これは急曲線が多く、しかも太平洋戦争後の沿線への団地建設の急進展で極端な混雑状態を呈していた1960年代の京阪本線において、一定水準以上の乗り心地が確保され、しかも積空にかかわらず床面高さが保たれラッシュ時の円滑な乗降が確保できる空気ばねを採用し、しかもイニシャルコストが低いこの種の1自由度系空気ばね台車が、急増する乗客に対応するため限られた予算内で1両でも多く新造車を投入せねばならなかった、1960年代から1970年代にかけての京阪電気鉄道の財政事情に適していたことによる。 また、片押し式ブレーキ装備で床面投影面積が小さいこの系列の台車は、床下に艤装すべき機器が多く、しかも発電ブレーキや回生ブレーキを常用するため片押し式ブレーキでも何ら不都合のない電動車への装着に好適であった。 もっとも、昇圧工事に伴う車両の大量新造計画の最初の締めくくりとなった1977年(昭和52年)の1000系代替新造の際に製作されたKS-77Aをもって、京阪電気鉄道でもエコノミカルトラックの新規製作は終了した。続く2600系の代替新造では、種車である2000系の台車が全数流用されたこともあって次の台車新造は3年後の1980年(昭和55年)となり、製作数の減少や新設計の開発も手伝って、それらにはより高価かつ複雑な機構を備える2自由度系台車のシンドラー式やSUミンデン式が採用された。 なお、京阪電気鉄道では初期のKS-63系こそビビリ振動の大きさが問題視されて淘汰となり、1981年(昭和56年)から2006年(平成18年)までに台車の新製交換や振り替え、装着車両の廃車が実施されて全数廃却済みであるが、軸箱部のゴム厚を増加したKS-73以降の各形式については当初より解体・破壊検査の実施を前提として試作された全アルミ合金製台車枠のKS-75を除き、2009年(平成21年)の時点で全数が現用されており、電動車・付随車合計で139両に装着され、装着車は特急から普通まで幅広く使用されている。 国鉄では、アーチバー形やベッテンドルフ形といった1自由度系台車が貨車のみで使われていたが、エコノミカルトラックとほぼ同じ構造の空気ばね台車も純粋な旅客車に使われることはなく、貨物列車の大幅な高速化のために新製された10000系貨車の各形式とロールボックスパレット荷役用のスニ40/スニ41/スユ44・ワキ/ワサフ8000形にTR203形として大量に採用された。
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