KS形台車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 04:17 UTC 版)
汽車製造は第二次世界大戦後、自社開発の台車について、KSで始まる形式を与えた。 これらはその最初期から他社に先駆けてオイルダンパとコイルばねを併用した枕ばね機構を導入し、また蛇行動抑止の手段としてボルスタアンカーをいち早く導入するなど、戦後の日本における高速電車用台車の研究開発では業界をリードする立場にあった。中でも高田隆雄技師(当時)の主導の下で研究開発された空気ばね台車は、新幹線を含む以後の日本の鉄道車両用台車設計に絶大な影響を及ぼした。 このKS形台車には、スイスのシンドラー社との技術提携によって導入された円筒案内式軸箱支持機構を備えるシンドラー式台車、独自の構想により開発された防振ゴムによる簡素な軸箱支持機構と単純な形状の側梁を備える軸箱梁式の一自由度系低コスト空気ばね台車であるエコノミカル・トラック(エコノミカル台車)など、特徴的かつ先進的な構造のものが多数含まれており、その大半は京阪電気鉄道や京阪神急行電鉄をはじめとする私鉄各社に納入された。 また、日本初の実用空気ばね台車となったKS-50、左右の車輪を車軸で結合せず、それぞれ個別に回転可能とした自由回転車輪台車のKS-68、それに前代未聞の全アルミ製側梁を持つKS-75など、京阪神急行電鉄時代から川崎重工業との合併まで重要な顧客であり続けた京阪電気鉄道の協力を得て、多くの試作台車を世に送り出したことでも知られている。 これらの汽車製造の独自設計に由来する台車群は、1972年(昭和47年)の川崎重工業との合併後も生産と開発が継続した。もっとも、新規開発は京阪3000系電車 (初代)用KS-132Aを最後に川崎重工業の台車開発の本流であるKWナンバーの台車に引き継がれてKSナンバーでの開発を終了、生産も1978年(昭和53年)3月竣工の京阪1000系最終編成用として納入されたエコノミカル・トラックのKS-77Aが最終形式となり、約四半世紀に渡ったKSナンバーを持つ台車の設計製作は終焉を迎えた。 なお、台車の開発で汽車製造にとって最大の競合相手であった住友金属工業でも、路面電車用のKS-40JをはじめKSを形式に冠した台車が存在した。こちらは住友家の歴代当主が襲名する名である住友吉左衛門のイニシャル(Kichizaemon Sumitomo)に由来する名称である。もっとも、1948年(昭和23年)以降は当時の社名である扶桑金属工業からFSを形式の識別子として使用するようになっており、直接に形式番号の重複が問題になるようなケースは発生していない。
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