3代目の庁舎
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「インディアナ州会議事堂」の記事における「3代目の庁舎」の解説
1831年、インディアナ州議会は新しい州会議事堂庁舎の建設を承認した。建設費用にはインディアナポリス町内の土地売却益が充てられた。庁舎のデザインは賞金150ドルで公募され、イシール・タウンおよびアレクサンダー・ジャクソン・デイビスによる、パルテノン神殿を模したものが採用された。この庁舎の外観は中央の大きなドーム以外、パルテノン神殿にそっくりであった。タウンおよびデイビスはこの庁舎の建設を受注し、予定よりも早い1835年に完成させた。 この庁舎は青いライムストーンで造られ、2階建てであった。1階には州知事室および州最高裁判所が、2階の各ウイングには州議会の上下両院がそれぞれ置かれた。この庁舎は様々な歴史的出来事の舞台となった。1865年4月30日、スプリングフィールドへ向かうエイブラハム・リンカーンの葬送列車がインディアナポリスに停車した際には、リンカーンの棺台がこの庁舎の前に運ばれ、推定10万人を超える弔問者が集まった。 このギリシアリバイバル様式の庁舎は建設直後こそ好評であったが、1860年代に入ると老朽化が進んで醜い姿をさらすようになった。ライムストーン造の基礎は崩れ始め、いずれ建物全体が崩落するのではないかという懸念が広まった。1867年にはインディアナ州議会下院の議場の天井が崩れ落ちた。1873年には、どうすればこの建物を保存できるかという議論が持たれたが、結局解決策は何も出なかった。やがてこの庁舎は使用不適とされ、1877年に取り壊された。
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3代目の庁舎
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3代目となる新しい議事堂は1936年12月4日に建設が始まり、1938年に完成した。議事堂は1938年10月1日に開庁した。開庁式では当時の大統領フランクリン・ルーズベルトをはじめ、レズリー・M・スコット、ロバート・W・ソーヤー、そして州知事チャールズ・ヘンリー・マーティンによる演説が行われた。庁舎のデザインは全米からの公募で123案が集まり、その結果他州の州会議事堂とは一線を画するものに決められた。デザインは古代エジプト建築の質朴さと古代ギリシア建築の精巧さを取り入れつつ、全体的にはアール・デコ調にまとめられた。全米の州会議事堂の中でも、アール・デコ調の建築様式で建てられたのはこの3代目のオレゴン州会議事堂だけである。 建設開始前には、マーティンが新庁舎をダウンタウンから南に離れた、高台のキャンデラリア・ハイツ地区に建設する案を出したことに対する批判が出た。また、ウィラメット大学のキャンパスを州が買い上げ、そこに新庁舎を建てるという案もあった。しかし、ダウンタウンの商人たちの力により、結局新庁舎は以前の庁舎と同じ敷地内に建てられることになった。その一方で、新庁舎への「道」を造るために、ダウンタウンにあった何軒かのビクトリア様式の家屋は取り壊された。また、他州の州会議事堂の庁舎によく見られ、2代目の庁舎にもあった伝統的なドームとは異なるこの新庁舎のドームが「ペンキ缶のように見える」という不満も出た。このドームを「荘厳さに欠けるリス籠」とまで呼ぶ者もいた。加えて、ドームの屋上に立てられた、金色に輝くオレゴン・パイオニア像を民衆が称えるようになるまでにも時間がかかった。この像の設置作業は1938年9月17日に始まり、重機を用いて数日間にわたって行われた。 この庁舎の建設には250万ドル(当時)の費用を要した。建設費用の45%は公共事業局を通じて連邦政府が負担した。完成当時、庁舎は幅50m、奥行き122m、高さ51mで、有効床面積は約12,240m²であった。外観はバーモント州産の大理石が用いられた。ロビー、ロタンダ、ホールには研磨されたモンタナ州産のばら色の石灰華が並べられた。ロタンダの階段と床にはミズーリ州産のフェニックス・ナポレオン大理石が用いられ、その縁にはバーモント州産のラジオ・ブラック大理石が用いられた。当初の予算は350万ドルであったが、州議会が承認した予算は250万ドルであった。予算がカットされたため、委員会室の設置は建設計画から外された。委員会室は1977年にウイングが増設された際に、増設費用1,250万ドルの中に盛り込まれ、設置された。増設されたウイングには議会事務所、聴聞室、サポートサービス、1階のガレリア、および地下駐車場が設けられた。この増設により、庁舎の床面積は増設前に比べて、約2倍に広がった。 1997年、「生きた歴史を創り、議事堂の威厳と美観を高め、文化的・教育的な機会を育む」ということを目的として、州議会は非営利のオレゴン州会議事堂財団(Oregon State Capitol Foundation)を創設した。 2002年には、130万ドルを投じて改装が行われ、アンティーク調のワイヤー、新しい絨毯や照明装置の敷設など、庁舎の内装がアップグレードされた。同年4月には、全米の州会議事堂としては初めて、このオレゴン州会議事堂に太陽光発電装置が設置された。60枚の太陽電池を用いたこの装置は7.8kWの電力を生み出すことができた。このうち1/3は夜間にオレゴン・パイオニア像をライトアップするのに用いられ、残りの電力は配電網システムに送られた。 2007年にはウイングが改装され、備品、配管、および電気システムが交換・アップグレードされた。3,400万ドルの費用を投じたこの改装プロジェクトは、2008年にゴードン・スミスとジェフ・マークレーの間で戦われたオレゴン州選出連邦上院議員選挙において争点となった。この選挙戦において、当時現職であったスミスは、この改装プロジェクトが承認されたときにオレゴン州議会下院議長であったマークレーを攻撃する広告で、このプロジェクトの費用を取り上げた。スミスが行った攻撃には、議員用・スタッフ用の新しい机のコストや、それらの机がオレゴン州内の刑務所の囚人によって作られているといったことも含まれていた。その後行われた選挙では、マークレーがスミスを破り、翌2009年に連邦上院議員に就任した。この改装は2008年11月に完了した。 2007年12月31日には、オレゴン州会議事堂史上初めて、公認の結婚式が執り行われた。新郎の州下院議員トビアス・リードの後押しによって、州議会は年4回まで議事堂で公共のイベントを行うことができるという法案を通した。 1993年3月25日に発生した、オレゴン州北西部を震源とするマグニチュード5.6のスコッツ・ミルズ地震ではドームが損傷を受け、修理のために庁舎は一時閉鎖された。特にロタンダの周辺は2年近くにわたって閉鎖された。この地震ではドームにひびが入り、屋上のオレゴン・パイオニア像の位置もずれた。また、庁舎の西端の土地は1m隆起した。庁舎の修理に伴って、コンクリートや鉄筋が加えられるなどの補強もなされた。これらの修理および補強には430万ドルの費用を要した。また、2008年8月30日午前0時30分頃、オレゴン州会議事堂では三たび火事が発生した。しかし、1855年や1935年の火事とは異なり、この火事は庁舎を焼失させるような惨事にはならず、早いうちに鎮火された。この火事で2階の南端にあった知事室は被害を受け、移転を余儀なくされた。オレゴン州知事の公式な仮事務室は、2010年まで通りの向こう側に立地するオレゴン州立図書館内に設けられる予定になっている。
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3代目の庁舎
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1870年代初頭、州知事ヘンリー・P・ボールドウィンは州議会に対し、新しい、恒久的な議事堂を建てるように促していた。1871年3月31日、「新しい州会議事堂、および州政府職員が臨時で使用する建物の建設のため」の法案が可決された。新しい州会議事堂の建設予算としては、州の所得税の6年分にあたる120万ドルが充てられた。 1872年、新しい庁舎の設計にイリノイ州スプリングフィールドの建築家イライジャ・マイヤーズが携わることになり、マイヤーズの Tuebor(「私は守る」の意)と名付けられた設計案が採用された。マイヤーズはこの庁舎を連邦議会議事堂に倣って中央のドームと左右両ウイングを有する設計とした。後に、マイヤーズはコロラド州会議事堂、テキサス州会議事堂、およびアイダホ準州会議事堂の設計にも携わった。この庁舎の礎石は1873年10月2日、7,000人のランシング市民と30,000-50,000人の訪問者が見守る中で定められた。139部屋を有するこの庁舎は1878年に完成し、翌1879年1月1日に新しい州知事チャールズ・クロスウェルの就任と同時に開庁した。 この庁舎は耐火性を備えていること、政府の拡張に耐え得る大きさを有していること、戦争の遺物を保存する耐久性の高い保管庫としての役割を兼ねていることなど、南北戦争後の時代における全米的な傾向のきっかけとなったものであった。完成当初は薄い黄褐色をしていたドームは、やがて明るい白色に塗り直された。 1989年、州議会は庁舎の修復のための予算を計上し、1992年に修復が完了した。この修復プロジェクトでは、ドームにはもとのオフホワイトのシェードが取り戻され、内装は多くがもとの設計に戻されると同時に改善がなされ、身障者用の設備も設けられた。この庁舎は1971年1月25日に国家歴史登録財に、また1992年10月5日には国定歴史建造物にそれぞれ指定された。
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