建設予算
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:15 UTC 版)
計画初年である1939年より完成予定年である1950年までの11年間にて、年に国家予算の約4%にあたる5億マルク(即ち総額55億マルク)を拠出・資金投入する見積もりが立てられていたとされる。 膨大な支出に対する批判について、ベルリン市関係者に対しては既存首都再開発案とは別案(メクレンブルク遷都計画案)の存在も示唆して牽制を行なったり、或いは部分的に別名目化可能な工事には個別の財源から支出させる(例えばベルリン鉄道網再編成に関する工事はドイツ帝国鉄道予算から、交通整備に関する工事はベルリン市予算から)事で国家財源支出負担額を減らす等、問題化を避ける方策を実行している。フリードリヒ通りに取って代わる新たな南北縦貫メインストリートについても建設予定地の大半は比較的地価が低く、沿道に社屋建設を望んでいた企業からも支持された。 それでも閣内不一致覚悟で反対の姿勢を崩さないルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク蔵相に対しては、「大蔵大臣には、この建築が(将来のドイツ)国家にとってどんなに凄い(観光収入)財源になるか分からないのだ。ルートヴィヒ2世はどうだ。城(ノイシュヴァンシュタイン城)の建設費で常識はずれの浪費家と言われた(詳細は「ルートヴィヒ2世の精神病について」参照の事)が、外国人の大部分はそれがあるからバヴァリア(バイエルン州)に来るではないか」とヒトラーが反論し、一蹴されている。
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