建設事業と黒色オベリスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 14:53 UTC 版)
「シャルマネセル3世」の記事における「建設事業と黒色オベリスク」の解説
詳細は「黒色オベリスク」を参照 シャルマネセル3世はカルフ(聖書におけるカラフ、現在のニムルド)に宮殿を建て、彼の諸遠征を記録した王年代記の複数の版を残した。そしてこれらの最後の版がカラフの黒色オベリスクに刻まれている。 黒色オベリスクは彼の治世中の重要な出土品である。これは黒い石灰岩で作られた浮彫彫刻で、イラク北部にあるニムルド(古代のカルフ)で発見された。発見された中で最も完全な状態で残るアッシリアのオベリスクであり、最初期のイスラエル人の描写を持つため歴史的に重要である。このレリーフの上部と下部には長い楔形文字の碑文でシャルマネセル3世の年代記が記されている。そこにはシャルマネセル3世と彼の最高指揮官が治世31年まで毎年行った遠征が記載されている。いくつかの特徴から、軍を指揮する責務が最高司令官のダヤン・アッシュル(英語版)に与えられていたことが示唆される。 上から2番目の層(英語版)にはイスラエル人の現存する最初期の肖像であるイスラエル王国の王イエフの肖像が含まれている。イエフはイスラエル王国とフェニキアおよびユダ王国との同盟を取りやめ、アッシリアに臣従した。黒色オベリスクはイエフが前841年頃に貢納を自ら持って行ったか、あるいは送ったことを描写している。この場面の説明はアッシリア楔形文字で書かれており、下記のように訳出できる。 「オムリの子イエフの貢物。余は彼から銀、金、黄金の鉢、尖底の黄金の壺、黄金の酒杯、黄金の容器(buckets)、錫、王笏[そして]槍を受け取った」 このオベリスクは前825年の内戦時に公の記念碑として建立された。そして1846年に考古学者オースティン・ヘンリー・レヤード卿によって発見された。
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