建設事業、経済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 01:24 UTC 版)
「ベーラ4世 (ハンガリー王)」の記事における「建設事業、経済」の解説
エステルゴムやセーケシュフェヘールヴァールなどの、モンゴル軍の攻撃に耐えた都市や城砦が石造りの城壁を備えていたことを踏まえ、1240年代末から石造りの城の建設に取り掛かった。モンゴル襲来以前の施政を転換して貴族からの王領の回収を中止し、新たな領土を与えた上で城の建設と守備隊の設置を呼びかける。シャーロシュパタク(英語版)、ヴィシェグラードなどにはこの時代の建設物が今も残る。 モンゴル侵入以前に王宮を置いていたエステルゴムは大司教に委ねられ、ブダに新たな王宮の建築が計画される。モンゴルの虐殺から逃れたブダ・ペシュト近郊の村落の人々と移民を丘陵地に住まわせ、新しい城壁と王宮を建設した。新しい王宮を中心とした地域はブダ、再建された本来のブダはオーブダ(古いブダ)と呼ばれ、ペシュトとともに今日のブダペストの原型となる。 宮廷の維持費は領地、租税、鉱山、塩から得られた収入によって賄われた。また西欧との交易も活発に行われ、牛肉、ワイン、塩がハンガリーから輸出され、布、絹、香辛料が輸入された。西欧との交易で得た銀は国庫に収められ、未開発のスロバキアでは森林と鉱山の開発が進められた。
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