3代目の劇場
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「ロイヤル・オペラ・ハウス」の記事における「3代目の劇場」の解説
1856年3月5日に劇場は再び火事に襲われた。翌年、エドワード・ミドルトン・バリーの設計により崩壊した部分の再建が開始され、1858年5月15日にジャコモ・マイアベーアの『ユグノー教徒』の上演によって再開された。歌劇場は1892年にロイヤル・オペラ・ハウスへと名称を変更した。フランス語およびドイツ語作品の上演も増え、毎年夏と冬にオペラおよびバレエの公演が行われた。 第一次世界大戦中には建設省 (Ministry of Works) によって接収され、家具の保管場所として利用された。第二次世界大戦中はダンスホールとして用いられている。戦後そのままダンスホールとして利用する計画が持ち上がったが、長期にわたる折衝のすえ歌劇場として再建することが決まり、音楽出版社であるブージー・アンド・ホークスが建物の賃貸契約を結んだ。 デイヴィッド・ウェブスターが総監督に、さらにはサドラーズ・ウェルズ・バレエが常設のバレエ団として招かれた。そして運営団体としてコヴェント・ガーデン・オペラ・トラストが設置された。 ロイヤル・オペラ・ハウスは1946年2月20日にオリヴァー・メッセルの手による『眠れる森の美女』の上演により再開された。ウェブスターは音楽監督のカール・ランクルとともに常設団体の設置を進めた。同年12月、ヘンリー・パーセル作のバレエ『妖精の女王』が上演された。翌年1月14日、コヴェント・ガーデン・オペラ・カンパニーによる初演作品、ジョルジュ・ビゼーの『カルメン』が披露された。
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