2014年2月以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:59 UTC 版)
落語、曲独楽、ものまねなどの演芸を中心に、休日には演歌も上演。毎月ごとに出演者・演目が入れ替えられ、出演者は月中でも交替することがあった。1 - 10日を上席、11 - 20日を中席、21 - 30日を下席とし、原則として10日間同じ番組だが、出演者の都合(病欠、営業、テレビラジオなど他の仕事など)によって変更する場合があった。 開演は平日が12時から2回公演、土日祝日は11時から3回公演。いずれも出演者は同じで、入れ替え無しの出入り自由。客入り具合で途中打ち切りもあり。3回公演の場合、3回目に全員が出ない場合がある(2回半公演)。一組の持ち時間はおよそ20分で、6組2時間が一公演の標準。1 - 2か月に1度くらいの割で不定期で18時開演の夜席が行われていた。 2008年までは7月にはスーパー一座の『大須オペラ』を、12月には『大須師走歌舞伎』を上演していた。毎年9月には落語芸術協会による『芸協まつり』が実施されて、浅草演芸ホールや新宿末広亭、また、テレビでおなじみのメンバーが出演していた。この他、本公演以外に各種イベント会場として使用されることもあった。 2006年の4、5月には、今池の大衆演劇専門劇場(今池アカデミー劇場)閉鎖に伴い、貸し小屋となり大衆演劇が上演された。
※この「2014年2月以前」の解説は、「大須演芸場」の解説の一部です。
「2014年2月以前」を含む「大須演芸場」の記事については、「大須演芸場」の概要を参照ください。
2014年2月以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:59 UTC 版)
かつて、大須演芸場を拠点としていた落語家・芸人・歌手。 タクマ コント・漫談。初期は「涙・笑隊(るいれんしょうたい)」というタクマ&メグ&モモコの3人組コントとして大須演芸場専属になる。テレビ愛知と中日新聞社主催の第1回「コントコメディーコンクール優勝」。トリオ解散後はタクマがピン芸人として出演していた。現在はイリュージョンを中心のマジシャンとして、また、ラジオパーソナリティとして、中京圏を中心に活動している。長らく同場への出演から遠ざかっていたが、2016年7月に独演会を開き、22年ぶりに大須演芸場出演を果たした。 多嶋ゆきお コミックマジック。なげやりな口調で客の少なさを愚痴りながら、テレビで見た事のある様な演目を披露するが、オチはテーブルマジックでも大技を演じる信念を持って演じていた。待ち時間の間にロビーで犬を抱いている事が多い。2005年死去。 伊東かおる 1949年大分県出身の名古屋弁漫談家。本名は伊藤薫。「名古屋弁を全国に広める会(名全広)」会長。1974年大須演芸場デビュー。もとはボーイズやコントユニットのメンバーとして東京でも活動し、浅草松竹演芸場にもレギュラーで出演していた。2007年7月8日死去。 染井詞労 浅草などで活動したのち、昭和25年に名古屋に移り、ミヤコ蝶々とも共演していた。「新講談」を名乗り、釈台を前にしての語り芸。 大東両 居合い切りが出来た唯一の紙切り師。また、アニメ『機動戦士ガンダム』に登場する全てのモビルスーツを切ることができた。浪曲師・寿々木冨士若は同一人物。2006年6月6日死去。 なごやのバタやん バタやんこと田端義夫公認のものまね。映画『オース!バタヤン』(2013年(撮影は2006年)、田村孟太雲監督)にワンカット出演している。2010年11月21日死去。 波たかし 漫談家。東京の軽演劇出身で三波伸介門下。伊東かおると組んでの漫才・コントも行う。 ふしぎ光 手品師。 桂三の丞 岐阜県出身の大阪を拠点とする桂三枝門下の落語家。主に前座として活躍していたが、いつの間にか廃業していた。 大須くるみ (三遊亭笑くぼ) 落語家、ダンサー。愛知県出身。天狗連の女流漫才師出身。稲垣流社中の舞踊家、パフォーマーとして、それまでのキャリアのほとんどを大須演芸場と共に過ごしたが、主任を長年勤めていた師匠(1989年入門)である三遊亭歌笑の東京復帰とともに上京して活躍の場を移し、以降は愛知と東京を行き来し活躍している。 伊勢元気 1954年三重県伊勢市出身のコメディアン・漫談家・喜劇俳優・劇団主宰者。萩本欽一に師事後、吉本興業やホリプロに在籍していた (1970年入社の間寛平や木村進と同期) 。大阪→東京と流転を重ね、大須を本拠地と定めて活躍している。マルセ太郎+間寛平と並び、猿のモノマネで有名。映画『お姐ちゃんお手やわらかに』(1975年4月26日公開、ホリプロ+東宝)に当時在籍していたコントチーム『てんつくてん(天突天)』の一員として出演した。2020年5月に久しぶりに演芸場で公演予定であったが、新型コロナウイルスによる休館のため一年延期した後に開催された。 かつら竜鶴 三味線漫談、民謡。愛知県警察本部警察官、カメラ店経営、芸人と多彩な経歴を持つ。2020年8月2日、肝硬変で死去。 早川侊志(こうじ) 司会・漫談。本名前田幸夫。大阪府生まれ。1972年松竹演芸場で初舞台。及川洋・高橋博に師事。日本司会芸能協会・東京演芸協会所属。足立席亭時代の末期に出演していた。2020年4月2日、心筋梗塞で死去。 東英治 一輪車・手品。自分の歌う『チンライ節』をBGMに手品を演じていた。 鳥居克次 マジシャン。1965年、マジック同好会に所属。1997年よりマジッククラブ「ユートピア」代表。2006~2014年出演。 柳家小三亀松 日本都々逸協会会長。ボーイズ出身の元落語家。愛知県出身、在住。柳家三亀松の名前弟子。2009年死去。 雷門小福 名古屋出身。東京落語の亭号のひとつ「雷門」をなのる一党ではあるが、デビュー以来ずっと名古屋で活動していた艶笑落語を得意とする落語家。東京の協会等には属さず、フリーの芸人として自身のプロダクションを持っていた。前出の幸福、獅篭、福三の師匠。得意ネタは「花色木綿」(=「出来心」)など。2012年4月7日死去。 桂福若 上方落語家。犬山市在住のためか、「名古屋の落語家」としてカウントされていない。桂福團治は師匠で実父。従姉の泉ピン子も大須演芸場に出ていたことがある。阪神優勝時に、初めて道頓堀川に飛び込んだ人物とされる。2013年以降『愛国落語』を標榜して賛否両論の物議を醸した。 ひとみちゃん 漫談家・司会者・俳優、『艶歌シャンソニエ』家元。名古屋市出身。無慈悲なパイプ所属。自作の艶歌を織り交ぜたバーレスクショーを意識した老若男女が楽しめるオリジナルの芸題で出演していた。その後、名古屋のみならず、大阪と東京も視野に入れ、映画に出演する様になる。その特異なキャラクターが評価され、様々な作品に起用されることとなり、出演作の主題歌、挿入歌を手掛ける様になる。 坂井千春・桜ゆみ・星まゆみ 演歌歌手。「美人」演歌歌手という肩書で出演していた。 四代目三遊亭歌笑 落語家。1985-2004年の長きに渡り、同劇場の主任を勉め、東西の落語家との橋渡し役をつとめた。2016年以降の大須演芸場では、年に一度貸館で独演会を開催。
※この「2014年2月以前」の解説は、「大須演芸場」の解説の一部です。
「2014年2月以前」を含む「大須演芸場」の記事については、「大須演芸場」の概要を参照ください。
- 2014年2月以前のページへのリンク