2010〜2014年:『シャルリー・エブド』第三期
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「シャルリー・エブド」の記事における「2010〜2014年:『シャルリー・エブド』第三期」の解説
2010年、販売部数が減少していた『シャルリー・エブド』は販売価格を2ユーロから2.5ユーロに引き上げざるを得なくなった。これについて編集長のシャルブは、2010年6月9日号の社説で「報道機関の危機にあって、我々の株主には裕福な財界人はいないし、そういう連中には株主になってくれと言うつもりもない。また、広告収入に頼りたくもない。もともと広告を掲載しないのだから、「広告収入が少ない」新聞社に対する国の援助を受けることもない。独立系の新聞、完全に独立した新聞であるためには、それなりの代償を払うことになる。広告主体で無料配布される新聞は、編集方針においてあまりにも多くの妥協を強いられている。シャルリーが自由な新聞であり続けるための代価は2.5ユーロである。そしてシャルリーの存続はひとえに読者の皆様にかかっている」と説明した。 2011年11月2日、チュニジアの憲法制定議会選挙でイスラム政党「アンナハダ」が第一党になった後、「預言者ムハンマドが編集したシャリーア・エブド」と銘打った号を刊行した。表紙にはターバンを巻いたムハンマドが描かれ、「笑い死にしなかったら、100回の鞭打ちの刑だ」と書かれている(リュズの絵)。この直後、事務所に火炎瓶が投げ込まれ全焼する事件が起きた。『シャルリー・エブド』はこれを受けて、「愛は憎しみより強し」と題し、イスラム教徒とシャルリーのジャーナリストがディープキスをしている風刺画を掲載し、同紙ウェブサイトがクラックされる事件が起きた。 2012年、米国で制作された反イスラムの映画『イノセンス・オブ・ムスリム』、およびこれに対する抗議としてエジプトやリビアなどアラブ諸国の米在外公館が次々に襲撃された事件(2012年アメリカ在外公館襲撃事件)の風刺画を掲載した。反イスラムの映画にかけて表紙画は映画『最強のふたり (Intouchables, 2011年)』、もう1枚はジャン=リュック・ゴダール監督の映画『軽蔑 (1963年)』を題材にしたものであり、前者はイスラム教徒が乗った車椅子を正統派ユダヤ教徒が押している絵、後者は主演のブリジット・バルドーがベッドに横たわるシーンになぞらえて全裸のムハンマドを描いた絵であった。これに対して一部の政治家や仏イスラム教評議会 (CFCM)、ユダヤ系団体代表協議会 (CRIF) などの宗教団体から非難が殺到し、『シャルリー・エブド』のウェブサイトが乗っ取られた。反イスラムの映画に対してはフランス各地でも抗議デモがあり、『シャルリー・エブド』の事務所が入った建物の周囲にも厳重警備が敷かれた。ジャン=マルク・エロー首相は、「法の枠内での」表現の自由を強調しつつも、「(アメリカ在外公館襲撃事件をめぐる危機をはらんだ)現状においては……行き過ぎは認められない」、各自「責任感」を持つべきだと訴えた。ちょうどエジプトを公式訪問していたローラン・ファビウス外相も、表現の自由の重要性を強調しつつも、「挑発には反対だ」とした。グランド・モスケ・ド・パリの代表ダリル・ブバクール(フランス語版)は、「火に油を注ぐ」ようなことはしないようにと呼びかけた。これに対して編集長のシャルブは、「私はイスラム厳格主義者に『シャルリー・エブド』を読んでくれとは言っていない。私は私の信念に反するような説教を聞きにモスクに行ったりしないのだから、同じことだ」と反論し、併せて、これまではフランス国内でのみ販売されていた『シャルリー・エブド』が、インターネットの普及に伴って世界中の人々が目にするようになったことに一因があるとし、後にこの件について自著で、文脈や「言外の意味」とは無関係に「1枚の風刺画がバタフライ効果によって地球の向こう側で憎しみの嵐を巻き起こすこともあり得る」と指摘している。このような「バタフライ効果」はこの時期に掲載され、襲撃事件後にあらためて話題になることが多かった他の風刺画についても同様であり、後に『シャルリー・エブド』に加わることになったアイルランド人作家のロバート・マクリアム・ウィルソン(英語版、フランス語版)は、特に英米でのシャルリー批判について「(見出しや吹き出しの)フランス語を読むことができないのに、どうやってシャルリーについて判断を下すことができるのか。絵を見るだけで十分だと言うのか」と抗議している。同じく『シャルリー・エブド』に寄稿している作家のマリー・ダリュセックは日本の某女子大学で行われた講演会で「シャルリーは人種差別的だと思うか」という質問を受け、複雑な背景をフランス語で説明したが理解されず、「私は打ちひしがれ、このことを決して忘れまいと誓った。むしろ、これは即座に理解されるべきものであって、説明なんかすべきではなかったのだろう。シャルリーは川のように流れ、いったん川底を離れたら、もう戻ることはない。もともとフランス国外で読まれたり、インターネット上で拡散されたりするために作られた新聞ではないのだ。それが問題だ。危険だ」と書いている。同年9月、『シャルリー・エブド』は「責任感を持て」、「火に油を注ぐな」という言葉を受けて、「責任感のある新聞」、「無責任な新聞」という2つの号を同時に発表した。検閲を受けた「責任感のある新聞」の表紙は真っ白で上部に「笑いはおしまい!」と書かれている。「無責任な新聞」の表紙にはゼロからの再出発の意味を込めて「ユーモアの発明」と題し、松明(火)とヤシの実(油)を持った原始人が描かれている(シャルブの絵)。 2013年、シャルブが『ムハンマドの生涯(La vie de Mahomet)』と題した漫画を出版。また、ムスリム同胞団に対するエジプト軍の攻撃(2013年エジプトクーデター)を描いたリスの風刺画も攻撃の的となった。この絵ではコーランを盾にして身を守ろうとするイスラム原理主義者が虚しくもコーランもろとも砲弾に撃ち抜かれている。タイトルには、「コーランはダメだ。弾丸を止めることができない」と書かれている。この風刺画については2件の告発を受け、出頭を命じられた。1件は「宗教への帰属を理由とした憎しみの扇動」の疑いでパリ大審裁判所から、もう1件はアルザス・モーゼル地方法の適用による「冒瀆」の疑いでストラスブール軽罪裁判所からであった。後者については、ライシテ法(政教分離法)が成立した1905年にアルザス・モーゼル地方(バ=ラン県、オー=ラン県、モーゼル県)はまだドイツ領であったためにこの法律の適用を免れ、この時点でもまだ冒瀆罪が存在していたからである(「平等及び市民性に関する2017年1月27日の法律第2017-86号」により廃止)。ただし、原告側はこのいずれの件についても書類を揃えることができず、出頭命令にも応じなかった。 2013年5月、アラビア半島のアルカイダの機関誌『インスパイア』に、「人道に反する犯罪」をもじった「イスラムに反する犯罪」で「手配中の人物(死者及び生者)」11人の名前を挙げたポスターが掲載された。サルマン・ラシュディ、デンマーク紙『ユランズ・ポステン』のフレミング・ローゼ文化欄編集長らとともにシャルブの名前も挙がっている。ポスター右側にはナチス牧師の写真が掲載され、この男の左側には銃口から煙を上げる拳銃、右側には飛び散る血潮が描かれている。見出しには「YES WE CAN」、その下には「1日1個のリンゴで医者いらず」をもじった「1日1発の弾丸で異教徒いらず」、そして最後に「預言者ムハンマドを守りたまえ、彼にアッラーの平安あれ」と書かれている。 黒人女性のクリスチャーヌ・トビラ法務大臣を猿に模した絵がソーシャルメディアで拡散したこともさらなる誤解を生んだ。当時、市町村議会選挙で極右「国民戦線」の候補者名簿のトップに挙げられていた議員が、Facebookにトビラ法務大臣と猿の写真を並べて揶揄したことが問題になったが、シャルブは国民戦線を非難するために(国民戦線の党首マリーヌ・ル・ペンの「ブルーマリーヌ連合 (Rassemblement bleu Marine)」をもじった)「ブルー人種差別主義者連合 (Rassemblement Bleu Raciste)」というタイトルの風刺画を掲載した。風刺画の左下には国民戦線のシンボルである青・白・赤の炎が描かれていた。ところが、この絵からタイトルと国民戦線のシンボルが削除され、猿に模されたトビラだけの絵がソーシャルメディアに拡散し、シャルリーは人種差別的だと非難されることになった。これは映画『行進(フランス語版)』の封切りに伴って発表されたラップの作詞者ネフク(フランス語版)の仕業であった。この詞には「オレは要求する、シャルリー・エブドの犬どものアウト・ダ・フェ(異教徒の火刑)を」という文句があり、「もう一度シャルリー・エブドに放火しろ」というメッセージと解された。 2014年10月、「もしムハンマドが再来したら」と題する表紙画が掲載された。描かれたムハンマドは「ばか野郎、おれはムハンマドだ」と言うのに対して、イスラム過激派テロリストが「黙れ、異教徒め!」と叫び、ムハンマドの喉を掻き切ろうとしている。これは、テロリストがムハンマドをムハンマドと認識することもできず(したがって、イスラム教、コーランを理解せず)、真のムハンマド、真のイスラム教徒はその犠牲になっているというメッセージであったが、これもまた日本の一部のメディアでは見出しや吹き出しの翻訳も何の解釈もなく「イスラム国が預言者ムハンマドの首を切るマンガ」として紹介された。
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