一〇〇式司令部偵察機
(100式司令部偵察機 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 02:32 UTC 版)
キ46 一〇〇式司令部偵察機
「新司偵」
注釈
- ^ 制式表記は一〇〇式(一〇〇式司令部偵察機)であるが、資料により百式(百式司令部偵察機)とも表記される。
- ^ 略さず新司令部偵察機とも。
- ^ のち、三菱自動車工業社長。
- ^ 初代司偵である九七式司偵は九八式陸上偵察機として海軍に制式採用されている。日中戦争時、陸軍司偵隊の活躍に刺激された海軍は、日本軍を代表するテスト・パイロットである荒蒔義次大尉が隊長を務める独飛18中の協力により陸上偵察機隊を創建し九八式陸偵を採用した。なお、この時に陸軍司偵隊から指導・教育を受けた臨時陸偵隊の千早猛彦海軍大尉は海軍陸偵隊の筆頭として日中戦争に従軍し、太平洋戦争期には真珠湾攻撃後の帰途機誘導や、彩雲で名を馳せる第一二一海軍航空隊の飛行隊長を務め活躍したものの1944年6月11日に戦死した。
- ^ 陸士46期、最終階級は陸軍少佐。片倉衷陸軍少将(下志津教導飛行師団長等を歴任)の弟。片倉陸軍大尉は、白城子陸軍飛行学校教官を経て飛行実験部員に復帰することとなった荒蒔義次陸軍大尉の後任として独飛18中隊長となったのち、司令部偵察機生みの親である藤田雄蔵陸軍航空兵中佐(陸軍航空技術研究所)の後を継ぎ、後身の陸軍航空審査部飛行実験部にて終戦まで偵察隊長として司偵機を担当した。
- ^ 仮制式制定は事実上の制式採用でありこの後に制式制定される。
- ^ なお、戦後アメリカ軍がハイオク燃料や高品質点火プラグを使用し日本機の性能テストを行った際、四式戦「疾風」は実用化された日本軍戦闘機では史上最速である689km/hを記録した。一〇〇式司偵もそれを凌駕する記録を出した可能性はあるが、アメリカ軍による記録は残っていない。
- ^ 機体の流麗さから使者ではなく天使と呼ばれた。
- ^ ただし防空戦闘機として機関砲と弾薬、およびタ弾(50kg爆弾2発)を爆装する場合は必然的に重量増となり、高空で従来の高速度を発揮し得たかは未検証である。
出典
- ^ a b 『世界の傑作機』 p.14 - p.15
- ^ 一〇〇式司偵を収蔵しているイギリス空軍博物館ウェブサイトの本機説明ページ序文(2015年6月15日閲覧)より
- ^ 『世界の傑作機』 p.16
- ^ 『世界の傑作機』 p.17
- ^ a b c d 『世界の傑作機』 p.17
- ^ a b c d e f 『世界の傑作機』 pp.18 - 19
- ^ やまももの木は知っている ヤマハ発動機創立時代のうらばなし - ヤマハ発動機の技と術 - ヤマハ発動機
- ^ 渡辺洋二 『兵器たる翼』 光人社、2017年、pp.64 - 72
- ^ 『世界の傑作機』 p.66
- ^ 渡辺洋二 『異なる爆音』 光人社、2012年、p.189
- ^ 渡辺洋二 『航空戦士のこころ』 光人社、2013年、p.25
- ^ 碇 1997年『新司偵』
- ^ 『世界の傑作機』 p71
- ^ 『世界の傑作機』 p.38
- ^ 檜與平『つばさの血戦―かえらざる隼戦闘隊』光人社NF文庫、1984年、p.160
- ^ 碇義朗『新司偵』第二次世界大戦ブックス85 pp.158-162
- ^ 戦史叢書 22 P.116
- ^ “旧陸軍 秘密兵器「空中機雷」の正体 「一〇〇式司偵」に搭載し戦果6機の本当のところ”. 乗りものニュース. 2020年4月29日閲覧。
- ^ 『世界の傑作機』p.6
[続きの解説]
「一〇〇式司令部偵察機」の続きの解説一覧
- 一〇〇式司令部偵察機のページへのリンク