考察・評価
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「市川一家4人殺害事件」の記事における「考察・評価」の解説
Bは目の前で家族を次々と殺害されている間、1人で外部の人間と応対する機会が2度あった(Eが保育園から帰ってきた時と、「ルック」へ預金通帳を取りに行った時)にもかかわらず、助けを求めることができなかった。県警はその理由について、Bは当時、目の前で両親を殺されたショックと恐怖で茫然自失状態に近かった上、当時はまだ(戸が閉められたままの室内で死んでいた)Cの死を知らず、Eにも危害がおよぶことを恐れていたためであると説明している。また、平井富雄(東京家政大学教授:精神医学)は「極端な異常事態に置かれて自律神経が“喪失”、相手の言いなりになってしまうことはあり得る」と考察している。 起訴前にSの精神鑑定(小田鑑定)を担当した小田晋は、Sの実名を報じた『週刊新潮』 (1992) で、本事件と名古屋アベック殺人事件・女子高生コンクリート詰め殺人事件の共通点として、「犯罪衝動の抑制が利かない」「犯行に遊びの要素が含まれている」「犯人は少年期から放任されて育てられていた」「犯行には極端な冷淡さが見られる」といった4点、そしてアベック事件・コンクリート事件の犯人たちが事件当時「少年だから大した罪にはならない」と思っていたことを挙げた上で、「犯行が報道の通りなら極刑にすべき。もし極刑にならないなら、保安処分とすべき」というコメントを出していた。その上で、少年法の問題点として、本事件や先述の2事件のような18歳・19歳の年長少年による残虐な犯行でも、犯人の実名や職業などが報道されていないことを挙げ、「少年事件なら何でもかんでも報道を控えるといったマスメディアの姿勢が、実は本来なら防げるべき犯罪を防げないようにしている」と指摘していた。 『東京新聞』記者の稲熊均は、Sが父親に反発していた一方、祖父から溺愛されていたことについて、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人である宮崎勤との類似性を指摘し、「複雑な家庭環境が事件に与えた点は大きい」と述べている。また、佐木隆三もその点について言及した上で、東京都目黒区で発生した中学生による両親・祖母殺害事件との類似性を指摘し、「子にシビアな父母と違い、祖父母は愛情のあまり、孫を金銭でコントロールしたがる。特に父母の愛情が何らかの要因で欠落すると、バランスを失った祖父母の愛情で抑制の利きにくい子を育てることもあるのではないか」と述べている。石川弘義(成城大学教授:社会心理学)も同様に、Sが周囲から甘やかされて育ったことを挙げ、「非行少年生育の典型。“欲しいものは欲しい”だだっ子と同じだ」と指摘している。 ジャーナリストの飯島真一 (1994) は、本事件について「実際に起こった一家四人惨殺事件を題材にしたトルーマン・カポーティの『冷血』を彷彿とさせる。」と述べている。 覚正豊和(千葉敬愛短期大学教授)は、「少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行う……」と規定した少年法の基本理念を挙げ、「たとえ行為時に18歳を超えた少年であったとしても死刑を科すことは少年法の精神には合致しない。(中略)被告人は、本件犯行時19歳1カ月の年齢にあり、少年法51条によって死刑が禁止される犯行年齢に1年1カ月余加齢しているのみである。その僅か1年1カ月余の年月の経過が、一人の人間の生と死を分けるほどに大きな意味をもつ年齢差であろうか。」「福島鑑定等でも証明された改善可能性の問題よりも、社会的影響や結果の重大性により重きを置いた判決といわざるをえない。」と指摘し、死刑を適用した第一審判決に疑義を呈している。その上で、「こうした少年事件に対する死刑判決につき、もし、死刑制度が存在するからであって一裁判官の力量を大きく超えるべきものであるとするならば、死刑廃止を実現させる以外の解決はないだろう。」と述べている。 久田将義は自著で、それぞれ自身とほぼ同年代の少年たちが起こした事件である本事件と、女子高生コンクリート詰め殺人事件の2事件から大きな衝撃を受けたことを述べている。また、その両事件や名古屋アベック殺人事件、木曽川リンチ殺人事件といった、1980年代後半から1990年代前半にかけて発生した少年による凶悪事件を「一九八〇〜九〇年代型犯罪」と分類し、これらの事件の特徴について「不良グループ内でも軽んじられているような中途半端な不良少年が、中途半端な集団意識から『ノリ』で卑劣で残虐な犯罪を犯した」と述べた上で、これらの事件と川崎市中1男子生徒殺害事件(2015年)との類似性を指摘している。そして、これらの事件の加害者たちの特徴として、弱者に対しては強く出て暴力を振るう一方、自身以上の強者(Sの場合は暴力団)に対しては無力だったことを挙げている。
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考察・評価
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「京都・大阪連続強盗殺人事件」の記事における「考察・評価」の解説
第一審の公判を3回傍聴した作家の佐木隆三は、自身が死刑廃止論者であることを前置きした上で、本事件については日本の刑事裁判の量刑事情を踏まえ「(死刑は)仕方ない判決」と述べ、また廣田については「冤罪を訴える真摯な姿勢が感じられず、彼の主張に最後まで共鳴することはできなかった」と述べている。 福島章は、廣田が本事件を起こした動機について(廣田なりの)「たったひとりの正義」と評している。 山中幸一郎 (1985) は、昭和戦前から1984年までに起きた警察官の非行・不祥事を総括し、当時は戦前に多かった汚職型の不祥事が減少していた一方、本事件や山中湖連続殺人事件のような凶悪犯型の犯罪が増加傾向にあったことや、これらの事件は計画性・残忍性を有したもので、それ以前の警察官による殺人事件(泥酔しての犯行や、無理心中崩れの犯行などが多かった)とは異質であることを指摘し、両事件を「元警官の犯罪とはいえ、凶悪化を象徴する事件と言える。」と評している。 小林道雄(ノンフィクション作家)は、1983年 - 1985年にかけて発生した警察官・元警察官による犯罪(本事件や山中湖連続殺人事件を含む)について、いずれの事件もサラ金苦を動機に、主に40 - 45歳の人物が起こしているという共通項を挙げた上で、彼らのような世代は警察官のなり手が少なかったことから、採用人数を稼ぐために採用基準が甘くなっていたという可能性や、発生地が大都市に集中している一方、犯人のほとんどは地方出身者であること、そして外勤(警ら)・交通などの「制服組」に犯罪者が集中していた一方、刑事が不祥事を起こした事例は極めて少ないという点を指摘している。その上で、犯罪・不祥事を生む本質的な問題として、昇任試験制度を挙げ、不祥事を起こした者の多くを占める40 - 45歳は「この制度によって自分たちの警察社会における先行きが、はっきりと見えてしまう」年代という旨を指摘している。 『諸君!』1984年11月号は、新幹線の車内でカメラマンに駅弁を投げつけた廣田の行動について一定の理解を示す旨を述べている。 朝日新聞大阪本社社会部の山崎正弘は、本事件や大阪府警淀川警察署の巡査部長による愛人射殺事件(1983年9月)、1984年3月・4月に相次いで発生した兵庫県警察の現職警官による銀行強盗事件など、関西の3府県警(京都・大阪・兵庫)で相次いで不祥事が発生した背景として、各事件の犯人たちがサラ金から多額の借金を抱えていたことや、警察などの権力機構(「お上」)に対する庶民の畏敬の念が薄く、期待も少ないことから、「世の中は金次第」と打算的に物事を考える傾向が強い(=警察官が職業的な誇りを持ちにくい)関西特有の土壌などを挙げている。『週刊文春』記者の網谷隆司郎も、兵庫県警の幹部や難波利三(作家)、谷沢永一(関西大学教授)・大村英昭(大阪大学助教授)の意見を引用し、関西は関東に比べて庶民感覚が強いゆえ、警察官たちの間でも「けじめ」の意識が薄く、それが関西における警察不祥事多発の遠因になっている旨を指摘していた。 本事件は直接証拠がない中、多数の目撃証言などの間接証拠の積み重ねにより、事件当日の状況を分刻みで再現し、嫌疑を否認している被疑者が犯人であることを立証するという捜査手法が取られたが、『毎日新聞』(大阪本社版)は和歌山毒物カレー事件(1998年発生)の捜査手法もそれと同一である旨を報じている。
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