考察は難しいか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:31 UTC 版)
考察すべき事柄は、研究の目的、つまり「何をどのように明らかにするのか」を確定した / 確定できた段階において機械的に決まる。通常は、実験初期に「何をどのように明らかにするのか」が確定した段階で研究する対象に関する大まかなモデルをいくつか立て、実験の計画を立てる。この時点で実験、データの解析、シミュレーション、理論的な検討、仮定すべき事柄は自動的に決まる。これに従い計画段階で構想したモデルのうちいずれかを明確に支持あるいは反証する結果が出た場合には、わざわざ論文に投稿するだけの価値があるか否かはともかくとして自動的に考察も含めた論文が作成できる。 逆にいえば、どれだけ立派な目的があり、どれだけ沢山データが出ても、上記のような流れで考察が機械的に導き出せない状況であるならば、実験者がよほど未熟な場合を除き、目的、取得すべきデータの測定計画の少なくとも片方を修正せねばならないということになる。考察が出来ない理由としては、得られた結果が当初の予想のいずれをも支持しているとも反証しているとも言い難い場合(非常によくある)か、あるいは計画段階の予想を大きくはずれる結果となったか、実験の計画がほとんどまともに行われていなかったかである。このようなケースは、考察が難しいというよりも、実験計画自体に問題があったと考えた方が良い。得られた結果が当初の予想のいずれをも支持しているとも反証しているとも言い難い場合というのは、得られた結果の一部、あるいは全部が当初予想したモデルのいずれとの関係も微妙、つまりポジティブな結果ともネガティブな結果とも言い難いことである。得られた結果が当初の予想のいずれをも支持しているとも反証しているとも言い難い場合はよくあり、したがってリサーチクエスチョンを思い付いた直後に本式のデータを取ろうと試みることは賢くない。通常は、いくつものリサーチクエスチョンをもち、どういうデータが面白いのかをよく熟考した上で、際立った特徴のあるデータが取得される条件等に関する辺りをつけるための「予備実験」や「基礎検討」をしつこく行う必要がある。「予備実験」や「基礎検討」に関しては、必ずしも「実験計画法」が理想とする「全盲」な実験を行う必要はない。そのようなことをすれば、逆に何を行っているのか分からなくなる場合がある。実験計画法が理想とする「全盲」な実験は、「実証実験」の際に行えばよい。このときには、既に研究の勝負は終わった後である。 得られた結果の一部が当初予想したモデルと反していたとしても、「一部のデータを除き、提案したモデルと合致している」という言い方で論文にすることもある。この場合は、扱っている問題の難易度にもよるが必然的に提出時の評価は下がる。合致しなかったデータを棄却する理由を明確に示せた場合に、その旨を考察で述べるか、あるいは読者に余計な混乱を与えないためにそのデータ自体を論文執筆段階では無視して論文にする。得られた結果の一部が当初予想したモデルと反している場合に打てる別の手段としては、実験結果と合致するモデルを逆に考案することである。このようなモデルが提案できた場合には、通常は最初から合致したモデルを示すことを目的として論文を書くため、考察を記述する段階では機械的な考察が可能である。モデルの修正もデータの棄却もできない場合にはそもそも実験の計画自体を根本から見直すか、あるいは実験の精度等を根本から工夫し直さねばならない。 教養課程の学生実験の場合には、実験の目的も、過程するモデルも、実験の計画も既に与えられた物を用いる、つまり実験データ以外のものは全て与えられたものを使うことが多いため、考察すべき事柄自体も、その主幹たる部分については天下りに与えられているに等しい。そのため、論文における考察において最も重要な「実験結果との間をつなぐ推論過程」の記述は、あらかじめ与えられた公式と自分のデータとを比較して機械的な処理をしてそれを文章にするだけの機械的な作業になる。また、提示した仮説を検証するために行った実験方法の妥当性も一般の論文では重要な考察の対象だが、学生実験では、この部分については十分に考えて作り上げられていて、もはやその妥当性を云々する余地はほとんどなく、実験装置を予備的に評価する時間も与えられないため、できたとして「なぜこの構成が最適なのか」を自分なりに考えた結果を記述する程度である。学生実験の目的は仮説 - 実験 - 評価という実験科学の方法論を体験することが目的なので、このような過程を忠実に体験することは、実験家としてのセンスを磨く上で重要であり、考察の主幹の部分が機械的であってもきちんと書かねばならないが、一方で教官においてはそれだけではあまりに機械的すぎるため評価を与えない場合がある。学生実験において本筋の考察だけではだめだとする考え方も一つの見識ではあるが、現実の論文において重視される「問と解の合致」の重要性が十分教育されない結果につながる可能性があり、本来考察すべきことを十分に論じず、瑣末なことをばかり論じる傾向を助長する危険もある。
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