東武鉄道の車両を製造したメーカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:18 UTC 版)
「東武鉄道」の記事における「東武鉄道の車両を製造したメーカー」の解説
ナニワ工機→アルナ工機→アルナ車両 阪急阪神東宝グループの企業。元々初代嘉一郎と阪急電鉄の創業者小林一三の間に親交があったことから、1951年(昭和26年)の5700系を皮切りに取引が始まり、以後100系(スペーシア)・1720系 (DRC)、1800系、2000系、8000系、9000系、10000系、20000系、30000系を竣工。なおかつ新形式を起こす場合、その初号編成をアルナに発注していた(9000系は最初の10両中4両を担当)。また、7800系から5050・5070系への車体更新、6000系から6050系への車体更新、1720系から200系への更新、そして1800系から300系・350系への改造工事も同社が行った。 バブル崩壊以降、阪急の業績不振もあり、2001年度に同社は債務超過に陥り、鉄道車両製造から撤退。新たに設立されたアルナ車両へ路面電車製造および車両更新工事の事業を引き継いだ。現在でも8000系・10000系のリニューアル工事で津覇がアルナ車両の下請けの形を取るなど細々と関係が続いている。 東急車輛製造(現事業:総合車両製作所) 東急グループの企業で、取引は1954年(昭和29年)熊谷線の気動車キハ2000形、7800系の製造より始まった。以後他の車両製造はしなかったが1973年の8000系から製造を始め、100系、200系、6050系、9000系、10000系、20000系、30000系などを竣工した。同社は早くからアメリカ・バッド社 (The Budd Company) と技術提携し、ステンレス車両製造を行っている。東武初のステンレス車9000系の製造を手掛けたのも同社である。30000系製造終了以後は新車取引がないが、総合車両製作所発足直後に6050系のうち4両が横浜事業所に入場し、634型「スカイツリートレイン」に改造された。 宇都宮車両→富士重工業(現・SUBARU) 宇都宮線江曽島駅 - 南宇都宮駅間にある宇都宮製作所で気動車中心に鉄道車両を竣工していた(電車は黎明期を除き東武向けのみ)。宇都宮車両時代の1949年から1954年にかけて、国電戦災復旧車クハ450形、木造客車を鋼体化したクハ500形やクハ550形などの制御車、7800系の一部、日光軌道線の100形、200形を竣工。1965年の8000系2R車(2両編成)から取引が復活し、2000系(中間車)、6050系、9000系、10000系、30000系などの電車、ホキ1形、トキ1形、ワラ1形などの貨車を製造した。また、7800系から5070系への車体更新も行った。 しかし生産両数の減少から、同社は自動車部門(スバル)と航空宇宙部門(米ボーイング社向け分担生産等)へ経営資源の集中を決定、2003年2月に新潟トランシスへ鉄道車両事業を譲渡した。また、同時期に撤退したバス車体部門も伊勢崎市に工場があり、東武バス向けに多数製作した。 日立製作所 電気機関車のED5010形やED5050形、7800系を竣工後、長い間取引がなかった。ただし、制御装置など電装品での取引は長らくあった。アルナ工機の鉄道車両事業の事実上の受け皿になったことをきっかけに、2004年の50000系から取引再開。50000系列と60000系の全車が同社笠戸事業所で竣工した他、N100系も日立に発注されることが決まっている。また、9000系、9050系の副都心線乗り入れに伴う改造工事を日本電装と、20000系の栃木地区転用に伴う改造工事を津覇とともに行った(後述)。施工車両には日立と日本電装、または津覇の連名のプレートが取り付けられている。 日本車輌製造 愛知県名古屋市に本社を置くJR東海グループの会社。1971年(昭和46年)まで埼玉県蕨市に東京支店工場(蕨工場)があり、短距離の甲種輸送で済むため東武鉄道との取引が多かった。本線は北千住、東上線は下板橋(赤羽線板橋駅を介していた)と川越(国鉄川越線は当時非電化で大宮 - 川越間は蒸気機関車9600形やディーゼル機関車DE10形などで牽引していた)で引き渡していた。黎明期の客車を始め、東武最初の電車デハ1形、東武形電車デハ4形 - 6形、デハ10系、運輸省規格形モハ5300形やクハ330形、戦後に木造客車を鋼体化したクハ500形、63系割当車7300系、5700系、7800系、1720系、1800系、6000系、8000系ほか、総武鉄道からの編入車モハニ1101形やクハ1201形などを竣工したが、東京支店工場閉鎖後はアルナや富士重工、東急車輛に注文が流れ、取引が無くなった。 汽車製造(汽車会社) 東京都江東区に東京支店(工場)があった関係上、日車同様甲種輸送には短距離で済むため取引が多かった。デハ2形、デハ4形 - 6形、デハ10系、戦時規格統制形クハ1200形、運輸省規格形モハ5300形、5700系、7800系と吊り掛け車を中心に竣工し、1963年の8000系2編成(8104F・8105F)をもって取引が終了した。なお、同社は1972年に川崎重工業に吸収合併された。 川崎重工業→川崎車両(旧:川崎造船所、川崎車輛) 兵庫県神戸市に本社を置く。1927年から翌年にかけてデハ4形 - 6形の一部のほか、下野電気鉄道からの編入車デハニ101形や、63系割当車7300系を製造した。他社向けとは違いいわゆる“川造型”の納入はなかった。2016年度から、久々の川重での東武向け新造車両となる500系を製造している。 近畿車輛 大阪府東大阪市にある近鉄グループの企業。日比谷線直通用車両70000系を東京メトロ13000系と一括で受注し全車製造した(東京メトロ13000系電車#概要も参照)。 東芝(旧:東京芝浦電気) いずれも電気機関車で、東芝戦時形のED4010形やED4020形、箱型機のED5000形、ED5060形、ED5080形を竣工した。電装品では車両空調装置や30000系の運転台製作を担当している。 東洋電機製造 日光軌道線の電気機関車ED610形を竣工した(車体は東洋工機が担当)。主に電装品を担当し、パンタグラフや、7800系、20000系、9050系では制御装置やモーターなどを総合的に関与、8000系など日立製制御装置搭載車ではモーターを担当。 大栄車輌 運輸省規格形クハ330形の一部および3000系を竣工した。そのほか東武に譲受された国電の戦災車や事故車の復旧を行った。 津覇車輌工業 旧西新井工場で東武車両の改造や更新作業を行ってきた特殊車両製造会社だが、東武系の企業ではない。7300系の更新、16 - 18m級旧形電車の3000系への更新、7800系の5000系への更新、8000系の冷房化改造や車体修繕工事などを手掛けた。 2004年に西新井工場を閉鎖し、館林へ移転後は8000系、10000系、20000系の車体修繕工事を行っている。なお、車体修繕工事は前述のアルナ車両あるいは日立と合同で受注しているため、車内製造銘板は2社の企業名が表記される。
※この「東武鉄道の車両を製造したメーカー」の解説は、「東武鉄道」の解説の一部です。
「東武鉄道の車両を製造したメーカー」を含む「東武鉄道」の記事については、「東武鉄道」の概要を参照ください。
- 東武鉄道の車両を製造したメーカーのページへのリンク