東武鉄道B1形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 04:27 UTC 版)
「国鉄5500形蒸気機関車」の記事における「東武鉄道B1形」の解説
東武鉄道は、伊勢崎線北千住・久喜間の新規開業用として、1898年にベイヤー·ピーコック社から(製造番号4026 - 4035) 10両輸入し、B1形 (3 - 12) に改番。5500形と主要寸法は同一だったが、使用圧力が9.8kg/cm2と低下した。 翌年、伊勢崎線を開業したが、以遠の建設は資金難のため困難となった。10両の大型機関車の保有が重荷となり、小型機関車を多く保有する総武鉄道に1899年に4両 (9 - 12) 、1901年に2両 (7, 8) 計6両が譲渡され16 - 21に改番された。 4両 (3 - 6) のみを継続して使用したが、1907年(明治40年)8月に(亀戸線)亀戸 - 足利間の開通に伴い、残った4両だけでは不足を来たした。同年、追加で製造番号5089,5090を輸入し、14, 15(1915年、7, 8(いずれも3代目)に改番)とした。 その後、国鉄から5両の同形機 (5541, 5544, 5549, 5531, 5551) を譲受し、東武鉄道では54 - 56, 59, 58(2代)と改番して使用した。これにより、東武鉄道プロパーの6両を合わせて計11両のB1形が東武鉄道で使用されることとなったが、これらは1945年(昭和20年)に3が事故廃車(除籍は1952年)となった以外は、1959年(昭和34年)から1963年(昭和38年)に至るまで社線内の貨物列車牽引に使用された。 廃車は、4が1959年、55, 59が1960年、56が1962年、8, 54が1963年、58が1964年、5, 6が1965年である。最後まで残った5・6が東武鉄道創業時の機関車として東武関連施設で保存・展示されたのち、1989年に開設された東武博物館に保存・展示されている。
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