東武鉄道への経営参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 10:04 UTC 版)
「根津嘉一郎 (初代)」の記事における「東武鉄道への経営参加」の解説
晩年に経営者となった東武鉄道との関係は、明治38年(1905年)に780株を取得したことから始まる(しかしながら、1902年9月に160株を取得し、1905年には1,000株、1909年下期の増資時2万株とし株式総数に占める割合を18.9%へと高めた、とする文献もある)。これは根津が当時所有していた他の鉄道会社の持株数に比べるときわめて少ないものであり、当初経営への参加は当然行っていなかったが、赤字続きだった東武鉄道からの要請もあって経営に参加し、路線延長や東上鉄道との対等合併を推進するなどその手腕を発揮した。延長した路線は、1903年4月に川俣まで、1907年8月に足利までであり、営業収入の増大をもたらした。 しかし、根津は昭和に入る頃までは、まだ東武鉄道の経営が主な仕事となっておらず、なおも投資家として資本参加した南海鉄道、京浜地下鉄道、南朝鮮鉄道をはじめとする全国の鉄道の取締役に就いていた。 没後、長男・藤太郎が2代目嘉一郎を名乗り、東武鉄道の経営を引き継いだ。なお2代目嘉一郎の退任後、社外出身社長の時代を経て、現在は孫に当たる2代目嘉一郎の次男・根津嘉澄が社長を務めている。
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