旧ソビエト連邦・ロシア
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「原子力事故」の記事における「旧ソビエト連邦・ロシア」の解説
1957年9月29日 ウラル核惨事 旧ソビエト連邦ウラル地方に建設された「チェリャビンスク65」という暗号名を持つ秘密都市の、「マヤーク」(灯台の意味)という兵器(原子爆弾)用プルトニウムを生産するための原子炉5基および再処理施設を持つプラントで起こった事故。プルトニウムを含む200万キュリーの放射性物質が飛散した。放射性物質の大量貯蔵に伴う事故の危険性を知らせた事故である。当初この事故は極秘とされていたが、西側に亡命した科学者であるジョレス・A・メドベージェフが1976年に英科学誌「ニュー・サイエンティスト」に論文を掲載したことで知られるようになった。国際原子力事象評価尺度でレベル6の大事故であり、現在も放射能汚染は続いている。 1958年4月16日 マイリ・スウ鉱滓ダム崩壊事故(英語版) ソビエト連邦下のキルギス共和国、ジャララバード州のウラン鉱山を有する閉鎖都市マイリ・スウ(英語版)(西側名称:メールボックス200)にて、それまでも地滑りや地震が多発していたテクトニクス上不安定な丘の中腹に設置された、ウラン鉱滓を杜撰に野積みしていた鉱滓ダムが崩落、隣接するマイリ・スウ川(ロシア語版)に大量の鉱滓が流入し、キルギスのみならず、下流のカラダリヤ川を通して隣接するウズベク共和国(ウズベキスタン)のフェルガナ盆地一帯に放射能汚染が拡散した。ウラン鉱山は1968年に閉山したが、ソ連政府による鉱滓の封じ込めの措置は一切行われず、その後も大小の鉱滓崩壊事故が複数回発生して汚染が拡散し続けている。ソ連崩壊後に国際連合や世界銀行の出資による実態調査が進み、ブラックスミス研究所に因ればマイリ・スウ一帯は放射能に世界で最も汚染された10の区域の一つとされている。 1980年 クラマトルスク放射線事故(英語版) ウクライナ共和国のクラマトルスクに新築されたフルシチョフカ様式のアパートメントに入居した人々のうち、2組の家族から次々に白血病による死者が出た。4名の死者のうち3名までが子供であったが、医師は当初白血病が発生した原因を特定できず、「遺伝的要因によるものではないか?」と推定したが、この説明に納得しない片方の家族の父親が、1989年に当局に対して「建物が何かおかしい」と訴え出た事から事態が発覚した。原因はアパートメントの壁のコンクリートの中に骨材として紛れ込んでいたセシウム137の放射線源であった。この放射線源は1970年代にドネツィク州の採石場で工業用放射線源として使用されていたもので、70年代後半に採石場から紛失し、捜索を行っても行方知れずのままとして報告されていたものであった。この放射線源が意図せず埋め込まれた壁が2家族の子供部屋のベッドの真横に位置していた事が、10代の子供たち3名が犠牲となる悲劇を生んでしまった。ウクライナ当局は直ちに壁の一部を切り取り、カプセルはキエフ原子力研究所(英語版)で回収され廃却された。悲劇の舞台となったアパートメントは、カプセルの除去後は放射線量が自然界と同一となり、周囲は平穏を取り戻した。一連の事態での死者の数は資料によって幅があり、事件発覚直後の報告では子供3名、大人1名の4人であるが、この時点で重病となっていた子供1名、大人1名も後年死亡した為、合計人数を6名とする場合もある。 1982年2月 アンドレエフ湾原子力事故(英語版) ムルマンスクのソビエト連邦海軍の使用済核燃料貯蔵プールにて、厳冬期の貯留水の凍結融解に起因する第5プールの亀裂から汚染された貯留水の漏出が始まった。第5プール付近のガンマ線が急激に上昇した事から事態の発生がソ連海軍に把握されたが、ソ連海軍は当初はプールの破損はピンホール程度で、検出される線量から漏出も日量30リットル程度と判断し、小麦粉をプールに投入するなどの手段でしか対処が行われなかった。その後ガンマ線量が急激に増加していった事でソ連海軍は現場にリクビダートルを投入する事を決定。4月にはプールの建屋の地下部分600平方メートルをコンクリートで埋め固めたり、貯留水を凍結させる方法なども試されたが、ほとんど効果が無かった。9月には漏出は日量30トンまで増加し、使用済核燃料が空気中に露出する危機が迫ったが、リクビダートルたちはプールの金属ケースの周囲を鉄・鉛・コンクリートの混合物で覆い尽くす手法で1983年2月14日に漏出を完全に停止させた。アンドレエフ湾への汚染水の総漏出量は77万トンに達した。その後プール内の1500本の使用済核燃料容器は1989年12月13日までに全量がマヤークに搬出された。公式には一連の事態における死者や負傷者は記録されていないが、リクビダートル達の回想では使用済核燃料容器の搬出作業中に1名がプールに転落し、救出の為にもう1名がプールに飛び込んで大きなベータ線被曝を受けた事や、容器の搬出作業中腐食や損傷などで容器内の高レベル放射性廃液がしばしば外部に漏出し、その度にチェレンコフ放射とみられる不気味な発光現象が複数のリクビダートル達に目撃されていたが、ソ連政府に対するソ連海軍の公式報告ではこれらの事象の一切が隠蔽され、箝口令が敷かれた事などが証言されている。この事故で投入されたリクビダートルはムルマンスク軍港の港湾労働者を中心とした約1000名であったが、いずれも「放射能が極めて恐ろしいものである」事を日頃からある程度以上理解していた者たちばかりであった為、人的な二次被害は最小限に食い止められた。 1986年4月26日 チェルノブイリ原子力発電所事故 ソビエト連邦下のウクライナ共和国チェルノブイリ原発4号機が爆発・炎上し、多量の放射性物質が大気中に放出されたレベル7の大事故。原因は諸説あるが、発電実験中、出力が急上昇して起こったとされている。放射性物質は気流に乗って世界規模で被曝をもたらした。直接の死亡者は作業員・救助隊員の数十名だけである。しかし、2005年に発表された世界保健機関 (WHO) 等の複数組織による国際共同調査結果では、この事故による直接的な死者は最終的に9,000人と評価された。2000年4月26日に行われた14周年追悼式典では事故処理に従事した作業員85万人のうち、5万5,000人が死亡したと発表されている。この事故を契機に国際的な原子力情報交換の重要性が認識され、世界原子力発電事業者協会(英語版) (WANO) が結成された。 1993年4月6日 トムスク-7での事故(ロシア語版) ロシア連邦トムスク州の都市セヴェルスクに旧ソ連時代からあるトムスク-7再処理コンビナートにおいて、硝酸での清掃時にタンクが爆発する事故。爆発によって放射性ガスの雲が放出された。国際原子力事象評価尺度レベル4の事故。 2017年9月、2017年秋の欧州空中放射線量増加(英語版) 2017年9月から11月に掛けて、スイスやフランスなど複数の欧州諸国の原子力機関が、微量ではあるが発生元不明のルテニウム106の空中放射線量の増加を検出した。ルテニウム106の有意な増加は原子力事故などの発生を示唆するもので、欧州諸国の各原子力機関はロシアのマヤーク核技術施設が発生源ではないかとしてロシア政府に照会を行ったが、ロシア政府自体はマヤークとの関連性を否定しており、公式には原因不明のままとなっている。 2019年8月8日、ネノクサ放射線事故(英語版) アルハンゲリスク州セヴェロドヴィンスク近郊のネノクサ(英語版)村の実験施設にて、9M730巡航ミサイルのものとみられる原子力推進エンジンのテスト中に爆発事故が発生し、8月12日までに事故に巻き込まれたロスアトムの労働者5人が急性放射線障害で死亡した。翌13日にネノクサ村の村人約450人が一時避難させられたものの、翌日には避難命令は解除された。
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