1980年 クラマトルスク放射線事故(英語版)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:20 UTC 版)
「原子力事故」の記事における「1980年 クラマトルスク放射線事故(英語版)」の解説
ウクライナ共和国のクラマトルスクに新築されたフルシチョフカ様式のアパートメントに入居した人々のうち、2組の家族から次々に白血病による死者が出た。4名の死者のうち3名までが子供であったが、医師は当初白血病が発生した原因を特定できず、「遺伝的要因によるものではないか?」と推定したが、この説明に納得しない片方の家族の父親が、1989年に当局に対して「建物が何かおかしい」と訴え出た事から事態が発覚した。原因はアパートメントの壁のコンクリートの中に骨材として紛れ込んでいたセシウム137の放射線源であった。この放射線源は1970年代にドネツィク州の採石場で工業用放射線源として使用されていたもので、70年代後半に採石場から紛失し、捜索を行っても行方知れずのままとして報告されていたものであった。この放射線源が意図せず埋め込まれた壁が2家族の子供部屋のベッドの真横に位置していた事が、10代の子供たち3名が犠牲となる悲劇を生んでしまった。ウクライナ当局は直ちに壁の一部を切り取り、カプセルはキエフ原子力研究所(英語版)で回収され廃却された。悲劇の舞台となったアパートメントは、カプセルの除去後は放射線量が自然界と同一となり、周囲は平穏を取り戻した。一連の事態での死者の数は資料によって幅があり、事件発覚直後の報告では子供3名、大人1名の4人であるが、この時点で重病となっていた子供1名、大人1名も後年死亡した為、合計人数を6名とする場合もある。
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