山下泰裕とは? わかりやすく解説

山下泰裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 14:17 UTC 版)

山下 泰裕(やました やすひろ、1957年昭和32年)6月1日 - )は、日本柔道家体育学者学位体育学修士東海大学大学院1983年[1]日本オリンピック委員会(JOC)会長[2]。 東海大学体育学部武道学科 教授(1996年 -)、体育学部 学部長(2009年4月 - )、副学長(スポーツ・一貫教育担当)(2011年10月 - )。


注釈

  1. ^ 中学時代には、同級生の持っていた木村政彦の著書に倣い、家の柱に打ち込み稽古もしたという。
  2. ^ この頃、山下・吉岡・松井の3人は、高校柔道界のライバルとして“高校三羽烏”と呼ばれた。
  3. ^ 転校の際、恩師・白石が快く東京に送り出してくれた懐の大きさにひどく感銘を受けたと、山下は後に雑誌インタビューで語っている。
  4. ^ 同じ熊本県出身で高専柔道の経験があった、東海大学創始者の松前重義の、強い引き立てがあったともされる。
  5. ^ 東海大学付属相模高校と、東海大学の代々木校舎・湘南校舎などは同じ小田急線沿線に所在し、鉄道を利用することにより行き来は困難ではない。
  6. ^ 二宮に2度も投げられて完敗したので、この試合が一番悔しかったと後に述懐している。
  7. ^ 19歳4ヶ月で2006年大会を制した石井慧が最年少記録を塗り替えた。
  8. ^ ただし、大学生ながらに全日本王者となったことで、「チャンピオンのプライド」と「大学生の未熟な自分」をうまく共存させることができず、本人はそのジレンマに暫く悩まされたようだ。4年生の時に、東海大学の後輩で、親友のラドミール・コバセビッチユーゴスラビア出身の留学生。後のモスクワ五輪で銅メダル獲得。2006年没)に相談にのってもらってからは、気負いがなくなったと語っている。
  9. ^ この決勝戦について山下は、試合が膠着した時点で自分の勝利を確信し、「無理に攻める必要は無い」と受けの姿勢になったことが敗因だったと述べている。試合後、監督の佐藤宣践から猛烈に叱られたそうである。
  10. ^ これ以降ロサンゼルスオリンピック準決勝で、フランスのローラン・デル・コロンボに大外刈で効果を取られるまでの6年近くに渡って、技によるポイントは一度も取られたことがなかった。
  11. ^ 遠藤が山下に唯一勝てる技として、この大会のために密かに練習してきたのが蟹挟だった。山下の敗北自体がショッキングだった上に、重傷を負ったことで、この試合およびこの技は大きく取り上げられた。また、この試合が引き分けとなったため、山下の“9年間無敗203連勝”という大記録へとつながることとなった。蟹挟自体はそれまでは柔道のルールで有効とされていた技だったが、この試合で危険性が見直されたが10年以上たってから国際ルールで禁じ手とされた。そのため、ほとんどの大会で蟹挟を使うと反則負けとなる。
  12. ^ 柔道競技で他に選出されていたのは、超軽量級・森脇保彦、軽軽量級・柏崎克彦、軽量級・香月清人、軽中量級・藤猪省三、中量級・恵谷正雄、軽重量級・河原月夫の6人。
  13. ^ 実際にはそのようなことは無く、ラシュワンは山下の右足も攻めている。その後ラシュワンがフェアプレーを意識し右足を攻めなかったという主旨の発言をし、それをマスコミが美談と報じたため、山下も本当のことを言えずに口を閉ざした。
  14. ^ 当時は個人情報保護法が存在しなかったため、とくに問題にはならなかったが、この行為は現在なら個人情報の私的利用として犯罪行為となる。

出典

  1. ^ 山下 泰裕/ヤマシタ ヤスヒロ 東海大学
  2. ^ 新型コロナ: 日本選手の95%がワクチン接種へ”. 日本経済新聞 (2021年6月3日). 2021年6月3日閲覧。
  3. ^ 夢と感動と愛を与えた日本柔道界の偉人5人”. 【SPAIA】スパイア (2016年7月23日). 2020年11月15日閲覧。
  4. ^ a b c “対談「十連覇までがんばれ」木村政彦・山下泰裕”. 近代柔道(1981年11月号) (ベースボール・マガジン社) 
  5. ^ 2012年10月14日熊本日日新聞掲載の本人著の自伝より
  6. ^ a b c d e f “転機-あの試合、あの言葉 第1回-山下泰裕-”. 近代柔道(2001年11月号) (ベースボール・マガジン社). (2001年11月20日) 
  7. ^ 三上孝道『これだけは知っておきたい(11) オリンピックの大常識』株式会社ポプラ社、2004年、72ページ、ISBN 4-591-08135-4
  8. ^ おしらせ 祭り九学会 復興祈念カレンダーを学院に贈呈”. 九州学院HOME (2016年12月26日). 2021年6月29日閲覧。
  9. ^ 日刊スポーツ (2000年1月26日). “五輪を語る 山下泰裕氏<1> 自分のために戦う”. 2007年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月17日閲覧。
  10. ^ 当連盟会長山下泰裕『柔道における最多連勝記録』でギネス世界記録™ 認定
  11. ^ 山下、上村両氏が理事復帰へ=国際柔道連盟理事会で承認 時事通信  2015年8月20日
  12. ^ 【柔道】山下、上村氏がIJF理事復帰へ スポーツ報知  2015年8月20日
  13. ^ 山下、上村両氏が理事復帰 国際柔道連盟の会長指名枠 日本経済新聞  2015年8月21日
  14. ^ 山下、上村両氏が理事復帰=20年東京五輪へ尽力期待-国際柔道連盟 時事通信  2015年8月21日
  15. ^ 五輪金メダリストの上村・山下両氏、そろって殿堂入り 国際連盟 産経新聞  2015年8月23日
  16. ^ 改革プロジェクトを設置=山下理事らが担当-全柔連 時事通信 2013年3月26日
  17. ^ 宗岡氏が全柔連新会長=副会長は山下氏-再建へ新体制発足 時事通信 2013年8月21日
  18. ^ [1]
  19. ^ 全柔連、強化委員長に金野氏 女子監督に増地氏日本経済新聞
  20. ^ 全柔連 山下会長を選出 「子供たち憧れる柔道に」日本経済新聞
  21. ^ 山下泰裕会長が再選「活躍楽しみ」バスケ八村に期待 - 柔道 : 日刊スポーツ
  22. ^ 全柔連、山下泰裕会長が3期目 最重要課題は「次世代の育成」 サンケイスポーツ 2020年6月29日
  23. ^ 【柔道】全柔連の山下泰裕会長が退任「最も記憶に残るのは東京五輪」後任は中村真一副会長が昇格 日刊スポーツ 2023年6月28日
  24. ^ 山下泰裕、高橋尚子氏ら新理事=竹田会長は再任へ-JOC 時事通信 2013年6月27日
  25. ^ 【スポーツ】NTCの新センター長に山下泰裕氏「国民の期待に応えられる成果出せる環境を」 産経新聞 2015年12月25日
  26. ^ JOC強化本部長に山下泰裕氏 NHK
  27. ^ JOC新会長に山下泰裕氏 ロス五輪柔道金メダリスト日経電子版
  28. ^ 新理事に山下JOC会長ら=東京五輪組織委時事通信
  29. ^ 山下氏、多羅尾氏が副会長に=東京五輪・パラ組織委時事通信2019年07月30日
  30. ^ 山下氏が「傑出した選手賞」=柔道五輪金、203連勝-ANOC 時事通信 2019年10月18日
  31. ^ 山下泰裕、IOC委員就任へ 朝日新聞 2019年12月5日
  32. ^ 山下泰裕、IOC委員就任へ 朝日新聞 2020年1月10日
  33. ^ 山下泰裕氏、プーチン大統領を批判「愚かな行為」 嘉納治五郎師範の言葉用い戦禍の終結願う 日刊スポーツ 2022年4月11日
  34. ^ 山下会長が3期目 「信頼回復を」―JOC 時事通信 2023年6月29日
  35. ^ “JOC・山下泰裕会長が転倒し頸椎損傷、手術受ける”. サンスポ (産経デジタル). (2023年11月2日). https://www.sanspo.com/article/20231102-PPZ4KHYCIVMLHPQ3LDDIVR3LMA/ 2023年11月2日閲覧。 
  36. ^ 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 vol.8』ベースボール・マガジン社、2015年、7 - 9頁
  37. ^ オリンピックの群像“不敗の勇者 山下泰裕””. NHK (2021年7月20日). 2021年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月22日閲覧。


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