世界学生柔道選手権大会とは? わかりやすく解説

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世界学生柔道選手権大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 14:18 UTC 版)

世界学生柔道選手権大会(せかいがくせいじゅうどうせんしゅけんたいかい)は、大学生の柔道選手による柔道世界一を決める大会である。

文献によっては世界大学柔道選手権大会とも訳されていた[1][2]

概要

1964年フランスにて9カ国参加のもと第1回ヨーロッパ学生選手権大会が開催され、翌65年にはオランダで第2回大会が開催された[2]。 一方、1967年東京で開催される第5回ユニバーシアードで初めて柔道競技が採用される事となり、国際大学スポーツ連盟日本に対し第3回ヨーロッパ学生選手権大会への参加を強く要望[2]。これに対し日本は、ユニバーシアードの柔道競技がヨーロッパ学生選手権大会の運用ルールに基づいて企画される条件となっていた事に加え、柔道の母国として、国境を跨いだ学生柔道選手間の交流はその親和を深め、柔道の発展にも寄与するという判断から、これに参加する事を決定した[2]。 こうしてヨーロッパ学生選手権大会は日本の参加を機に名称を“世界学生選手権大会”と改め、その第1回大会として1966年6月にチェコスロバキア(現・チェコ)のプラハで日本を含む18カ国参加のもとに開催されたのが当大会の始まりである[2]

第1回大会で全日本柔道連盟は、団長に葉山三郎、監督清水正一を据え、審判員として香原勝一と、早稲田大学の東在久など6名の選手を日本選手団として派遣し[注釈 1]、全6階級のうち5階級と団体戦で優勝した[2]

第2回大会は1968年9月にポルトガルリスボンで日本を含む15カ国参加のもと開催され、日本からは団長・山本秀雄、監督・曽根康治、審判員・細谷文男のほか選手6名を派遣し[注釈 2]、前大会と同様に全6階級のうち5階級と団体戦で優勝した[2]。特に団体戦は、2回戦のブラジル、3回戦のベルギー、準決勝戦のポーランド、決勝戦のフランスをいずれも5-0で降すなど圧倒的な強さを誇り、柔道の本家としての面目を保った[2]

以後も基本的に隔年開催で大会が続いて、1984年からは女子の大会も開催される事になったが、2006年大会を以って休止となった[3]。 なお、この大会は前述の通り個人戦のみならず団体戦も開催されていた[4]

歴代優勝者

男子

歴代優勝者
軽々量級 軽量級 中量級 重量級 超重量級 無差別級
1 1966年 超元洛 園田義男 栗原泰郷 笹原富美雄 篠巻政利 篠巻政利
2 1968年 水信健 マテウス・スギサキ 橋本昇 須磨周司 中川良夫 須磨周司
軽量級 軽中量級 中量級 軽重量級 重量級 無差別級
3 1972年 伊志嶺朝秋 光本正輝 吉永浩二 恵谷正雄 上村春樹 中村均
4 1974年 森脇保彦 ワレリー・ドボイニコフ 原吉実 石川裕章 角張力 丸谷武久
60kg以下級 65kg以下級 71kg以下級 78kg以下級 86kg以下級 95kg以下級 95kg超級 無差別級
5 1978年 細川伸二 阿部新二 西田孝宏 道場良久 マリオ・ベッチ ウラジーミル・グリン オズワルド・クペルティーノ 山下泰裕
6 1980年 細川伸二 ビクトル・カレンティエフ 中右次泰 ウラジーミル・バルタ ベルト・フェルホーフェン ライコ・クシッチ 斉藤仁 ヴォイチェフ・レシェコ
7 1982年 カン・ウィスク ビクトル・カレンティエフ 宮腰裕之 赤星陽治 ファビアン・カヌ アレクサンダー・シュロフ グリゴリー・ベリチェフ 斉藤仁
8 1984年 イゴール・ジュッツコフ ユン・ヨンバル ゲオルギ・テナーゼ パスカル・タイヨ フランソワ・フルニエ アウレリオ・ミゲル 滝吉直樹 正木嘉美
9 1986年 金載燁 セルゲイ・コスミニン イ・ヨンウ 岡田弘隆 ヤン・チョンオク エフゲニー・ドリーニン ロジェリオ・ロチャ ロジェリオ・ロチャ
10 1988年 アミラン・トチカシビリ セルゲイ・コスミニン 古賀稔彦 吉田秀彦 オレグ・マルツェフ コバ・クルタニーゼ 小川直也 エフゲニー・ペチュロフ
11 1990年 イブラギム・バハエフ ナセル・ネカール セルジュ・ケイタン 吉田秀彦 ジョセフ・ワナグ 賀持道明 ジョルジュ・マトネ 三谷浩一郎
12 1994年 金赫 チャーク・ヨージェフ 郭大成 尹東植 ルスラン・マシュレンコ 大原尚喜 シャラランボス・パパイオアヌ 金載植
13 1996年 関口幸三 ファン・インス クリストフ・マッシーナ 趙麟徹 藤田博臣 ニコラス・ギル 上口孝太 ダノ・パンティッチ
60kg以下級 66kg以下級 73kg以下級 81kg以下級 90kg以下級 100kg以下級 100kg超級 無差別級
14 1998年 鄭富競 マルティネス・サバ ギリェルメ・ベンテス パトリック・ライター 飛塚雅俊 アンタル・コバチ エルネスト・ペレス エルネスト・ペレス
15 2000年 内柴正人 ヨゼフ・クルナーチ ギョーム・フォール ロベルト・クラフチク 矢嵜雄大 アンタル・コバチ 棟田康幸 イハル・マカラウ
16 2002年 米富和郎 ミロス・ミヤルコビッチ デニス・カルタニウク アンジェイ・カルワッキ ファラー・アッバス ドミトリー・マクシモフ イェウヘーン・ソトニコフ マチュー・バタイユ
17 2004年 米富和郎 ミクローシュ・ウングバリ ショキール・ムミノフ クウォン・ヨンウ ゲルハルト・デンプフ 中野竜 アレクサンダー・ミハイリン アブドゥロ・タングリエフ
18 2006年 ディミトリ・ドラジャン ハシュバータル・ツァガンバータル ブラウン・アーコシュ オーレ・ビショフ マチュー・ダフレビーユ 穴井隆将 ボル・バルナ 立山広喜

女子

歴代優勝者
48kg以下級 52kg以下級 56kg以下級 61kg以下級 66kg以下級 72kg以下級 72kg超級 無差別級
1 1984年 ティナ・タカハシ ベロニク・ルソー ベアトリス・ロドリゲス ダニエル・モロー サビーナ・ディルダ ヨランタ・アダムチク ジョイス・マレー アナリサ・コラウティ
2 1986年 セシル・ノバック ヨアンナ・マイダン カトリーヌ・アルノー セリーヌ・ジェロー ミシェル・リオネ ウテ・ウルスペルガー イザベル・パック レギーナ・ジークムント
3 1988年 ジョバンナ・トルトラ ドミニク・ベルナ ジェニー・ハル カトリーヌ・フローリ イリーナ・バラブルキナ ガリーナ・ネステロワ ベロニカ・コズロフスカヤ チャン・イン
4 1990年 シルビー・メルー ジェシカ・ガル ラウラ・ジンバロ 具賢淑 エマヌエーラ・ピエラントッツィ レギーナ・シェッテンヘルム クラウディア・ヴェーバー ハイジ・ラケルス
5 1994年 マウゴジャータ・ロシュコフスカ マリー=クレール・レストゥー 菅原教子 鄭成淑 曹敏仙 陳秋萍 マルタ・コウォジェイチク マルタ・コウォジェイチク
6 1996年 セブリーヌ・ブルノー ソイジク・パランシェール イサベル・フェルナンデス セブリーヌ・バンデネンド エマヌエーラ・ピエラントッツィ イレニア・スカピン 李賢暻 セリーヌ・ルブラン
48kg以下級 52kg以下級 57kg以下級 63kg以下級 70kg以下級 78kg以下級 78kg超級 無差別級
7 1998年 ジュゼッピーナ・マクリ ミレン・レオン ズルフィア・グセイノワ サラ・アルバレス 崔英熙 ベアトリス・マルティン フランソワーズ・ハルテフェルト 水谷有希
8 2000年 中島英里子 鍛冶宏美 バレリー・デグリジェ クリステル・フォール エディス・ボッシュ 森島直美 薪谷翠 小松崎弘子
9 2002年 リュドミラ・ルスニコワ 吉村依子 許岩 ヤン・シュエラン マリーナ・プリスチェパ ステファニー・ポサメ マーラ・コバチェビッチ 劉霞
10 2004年 宝真由美 オドレー・ラリッツァ 宮本樹理 マリー・パスケ 七條芳美 堀江久美子 テア・ドングザシビリ ユリヤ・バルシク
11 2006年 呉樹根 デルフィーヌ・デルサーユ ジュ・グイロン エマニュエル・ペイエ 朴佳軟 鄭敬美 マウゴジャータ・ゴルニカ チン・シ

各国メダル数

国・地域
1 日本 66 34 30 130
2 フランス 33 23 61 117
3 韓国 22 17 42 81
4 ソビエト連邦 19 12 20 51
5 ポーランド 10 23 36 69
6 イタリア 8 11 19 38
7 スペイン 7 12 17 36
8  ハンガリー 6 2 8 16
9 オランダ 5 6 10 21
10 中国 5 4 7 16
11 ブラジル 4 9 21 34
12 ユーゴスラビア 4 2 10 16
13  ウクライナ 4 2 5 11
14 西ドイツ 3 9 19 31
15 ロシア 3 9 11 23
15  ベラルーシ 3 0 8 11
16 ドイツ 2 14 16 32
17 カナダ 2 4 7 13
18 ベルギー 2 2 8 12
19 ウズベキスタン 2 1 1 4
20 アメリカ合衆国 1 5 4 10
21  オーストリア 1 3 5 9
22  チャイニーズタイペイ 1 3 4 8
23 チェコスロバキア 1 2 4 7
24 イラン 1 2 1 4
25 ポルトガル 1 1 6 8
26 イギリス 1 0 10 11
27 スロバキア 1 0 3 4
28 モンゴル 1 0 2 3
29 ギリシャ 1 0 1 2
セルビア・モンテネグロ 1 0 1 2
30 アゼルバイジャン 1 0 0 1
31  ブルガリア 0 2 3 5
 フィンランド 0 2 3 5
33  チェコ 0 1 7 8
34 ジョージア 0 1 3 4
35 スロベニア 0 1 1 2
36 イスラエル 0 1 0 1
 リトアニア 0 1 0 1
38 東ドイツ 0 0 6 6
39 カザフスタン 0 0 4 4
スイス 0 0 4 4
41 アルジェリア 0 0 2 2
北朝鮮 0 0 2 2
 ルーマニア 0 0 2 2
 スウェーデン 0 0 2 2
45 アルゼンチン 0 0 1 1
ボスニア・ヘルツェゴビナ 0 0 1 1
 キューバ 0 0 1 1
 ノルウェー 0 0 1 1
セルビア 0 0 1 1
トルクメニスタン 0 0 1 1
トルコ 0 0 1 1

歴代開催地一覧

開催都市 開催国
1966 プラハ チェコスロバキア
1968 リスボン ポルトガル
1972 ロンドン イギリス
1974 ブリュッセル ベルギー
1978 リオデジャネイロ ブラジル
1980 ワルシャワ ポーランド
1982 ユヴァスキュラ  フィンランド
1984 ストラスブール フランス
1986 サンパウロ ブラジル
1988 トビリシ ソビエト連邦
1990 ブリュッセル ベルギー
1994 ミュンスター ドイツ
1996 ジョンキエール カナダ
1998 プラハ  チェコ
2000 マラガ スペイン
2002 ノヴィ・サド セルビア
2004 モスクワ ロシア
2006 水原 韓国

脚注

注釈

  1. ^ 日本は無差別級を含む全6階級に6名の選手を派遣したが、このうち笹原富美雄篠巻政利は本来の自分の階級と無差別級との2階級に出場している。軽々量級出場の東在久は初戦でソビエト連邦のクルーゼに、重量級出場の笹川正明は決勝戦で笹原富美雄にそれぞれ敗れ、優勝は成らなかった[2]
  2. ^ 第2回大会では須磨周司中川良夫が無差別級を含む2階級に重複出場した。なお、軽中量級に出場した石沢祥市と重量級に出場した高木長之助の2名が優勝は成らなかった[2]

出典

  1. ^ 葉山三郎 (1966年8月1日). “世界大学柔道選手権大会 大会から帰って”. 機関誌「柔道」(1966年8月号)、24-25頁 (財団法人講道館) 
  2. ^ a b c d e f g h i j 老松信一 (1970年7月1日). “第12章 国際大会 -世界大学柔道選手権大会-”. 柔道百年、691-692頁 (時事通信社) 
  3. ^ Judo - FISU
  4. ^ 2006世界学生柔道選手権大会結果 全柔連 2006年12月21日

関連項目

外部リンク




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