アブドゥロ・タングリエフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アブドゥロ・タングリエフの意味・解説 

アブドゥロ・タングリエフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 03:01 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
獲得メダル
 ウズベキスタン

柔道
オリンピック
2008 北京 100kg超級
世界柔道選手権大会
2003 大阪 無差別級
2007 リオデジャネイロ 無差別級
2009 ロッテルダム 100kg超級
2011 チュメニ 無差別
グランドスラム
2009 東京 100kg超級
2009 パリ 100kg超級
アジア競技大会
2002 釜山 100kg超級
2006 ドーハ 100kg超級
アジア柔道選手権大会
2003 済州 100kg超級
2004 アルマトイ 100kg超級
2005 タシュケント 無差別級
2007 クウェートシティー 100kg超級
ユニバーシアード
2003 大邱 100kg超級
2003 大邱 無差別級

アブドゥロ・タングリエフウズベク語: Abdullo Tangriev1981年3月23日 -)は、ウズベキスタンの男子柔道選手[1]。 得意技は裏投内股

概要

国際大会では、日本人選手に敗れるジンクスがある。初の五輪である2008年北京夏季オリンピックでは決勝で日本石井慧の前に敗れて銀メダルだった[1]。その北京オリンピックにおいて準々決勝で世界王者でもあるフランステディ・リネールと対戦して勝利し、決勝進出を果たした。解説の篠原信一は「まさかタングリエフが決勝に上がってくるとは、夢にも思わなかったですね」と発言している。 なお2017年現在に至るまで、この時以来リネールはポイントによる敗北を経験していない。

しかし2009年11月のグランプリ・アブダビドーピング違反があり、順位剥奪と半年間の出場停止処分を受けた[2]

2011年10月にロシアのチュメニで開催された世界柔道選手権大会無差別では、決勝でハンガリーボル・バルナに一本勝ちして30歳にして世界大会初の優勝を果たした[3]

だが、2012年6月にはグランドスラム・モスクワにおいて再びドーピングの陽性反応を示して2年間の出場停止処分を受けたことによりロンドンオリンピックには出場できなくなった[4]

復帰後の2014年9月に開催されたアジア大会では3位に入った[5]

2016年のリオデジャネイロオリンピックでは35歳という階級最高齢ながら準決勝まで進むも、日本の原沢久喜に反則負けを喫すると、三位決定戦でも地元ブラジルのラファエル・シルバに敗れて5位にとどまった[1]

主な戦績

(階級表記のない大会は全て100kg超級での成績)

(出典[1]JudoInside.com)。

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アブドゥロ・タングリエフ」の関連用語

アブドゥロ・タングリエフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アブドゥロ・タングリエフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアブドゥロ・タングリエフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS