野瀬清喜
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野瀬 清喜(のせ せいき、1952年8月10日 - )は、日本の柔道家(講道館8段)。
注釈
- ^ 野瀬とザイゼンバッハーとは前年(1983年)の世界選手権の際にも顔を合わせている。ただし試合ではなく試合会場から宿舎へと向かうバスの中であり、この時は上位進出して疲労困ぱいの野瀬に対しザイゼンバッハーが座席を譲ってくれたという。野瀬は「以前なら『年寄り扱いしやがって』とムッとしていたが、その時は思わず礼を言って座ってしまった」「こいつイイ奴だな、と思った」と述懐し、「だからと言って五輪で油断したわけでは無いが、自分が負ける相手は人間的に敬意を持てる相手が多かった気がする」と続けている[3]。
- ^ 国公立大学としては女子3人制で茨城大学が翌1999年に、男子では筑波大学が2015年に続いた。
- ^ 元々は全日本男子コーチとの兼任であったが、掛け持ちは無理があるという事で女子の専任となった。野瀬は「当時の女子柔道は認知度も低かったが、これから女子を強くしていくのは面白いかもしれない」と思ったという[3]。
出典
- ^ Biography and Olympic Results[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.
- ^ a b “輪メダリストは今 柔道・野瀬清喜氏は平凡な国立大学を一人で超強豪校に導く 4/4”. 日刊ゲンダイ (2020年6月25日). 2020年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 生島淳 (2007年3月22日). “転機-あの試合、あの言葉 第53回 –野瀬清喜-”. 近代柔道(2007年4月号)、92-95頁 (ベースボール・マガジン社)
- ^ “輪メダリストは今 柔道・野瀬清喜氏は平凡な国立大学を一人で超強豪校に導く 1/4”. 日刊ゲンダイ (2020年6月25日). 2020年12月9日閲覧。
- ^ a b “輪メダリストは今 柔道・野瀬清喜氏は平凡な国立大学を一人で超強豪校に導く 2/4”. 日刊ゲンダイ (2020年6月25日). 2020年12月9日閲覧。
- ^ “シリーズ ザ・監督”. 近代柔道(1989年9月号)、30-33頁 (ベースボール・マガジン社). (1989年9月20日)
- ^ “輪メダリストは今 柔道・野瀬清喜氏は平凡な国立大学を一人で超強豪校に導く 3/4”. 日刊ゲンダイ (2020年6月25日). 2020年12月9日閲覧。
- ^ a b 子ども発達学科の野瀬清喜教授が埼玉県公安委員会の委員長に就任しました埼玉学園大学2019年9月30日活動の紹介-子ども発達学科
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