天敵による捕食とDDTの散布とは? わかりやすく解説

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天敵による捕食とDDTの散布

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:37 UTC 版)

八丈小島のマレー糸状虫症」の記事における「天敵による捕食とDDTの散布」の解説

八丈小島バク呼ばれた奇病正体は、トウゴウヤブカマレー糸状虫媒介するリンパ系フィラリア症であると判明した。しかもスパトニンという新たな駆虫薬治療可能な段階入ったフィラリア媒介者とするライフサイクル持っている以上、およびボウフラ全滅させることが一番確実な方法である。とはいえ小さな離島であってもボウフラ全滅させるのは現実的に難しい。しかし、一時的にを減らすことができればその期間中新たな感染防げるはずで、スパトニンの服用駆除対策同時進行数年根気強く継続すれば、いずれ近い将来病気をなくすことができるかもしれない佐々伝研メンバー島民らのスパトニン服用マレー糸状虫駆虫)と併行して、大掛かりな媒介駆除作戦計画実行した。 1956年昭和31年8月5日から15日にかけ、佐々伝研関係者9回目となる八丈小島上陸調査出向いた。今回通常の臨床検査加え媒介駆除という大きな目的があった。 この計画大掛かりな準備の下、 天敵による捕食 DDT散布 大きく分けてこの2つ方法実行された。 天敵利用ボウフラ対策として有効な方法であり、佐々2回目来島した1950年昭和25年5月、既に鳥打村のとある家の天水桶へ3匹の金魚放していた。しかし、金魚などの淡水魚東京から遥か離れた絶海の孤島生きたまま運ぶのは非常に困難で、2回目放たれた3匹の金魚以来天敵利用行われていなかった。今回伝研メンバー意を決して金魚50匹、メダカ200匹を大きなバケツ入れ東京竹芝桟橋から八丈島行き定期船詰め込んだが、八丈島から八丈小島金魚メダカを運ぶのは大変で、八重根港から八丈小島船着き場まで小舟で渡る2時間は、荒波の中をこぼれないよう3人がかりでバケツ押さえ続けたという。打の船着き場からは島の青年たちが集落まで重いバケツ担いで登った。 久し振り佐々来島八丈小島島民たちは大歓迎迎え恒例歓迎会続いて早速一行その夜採血検査行ったが、感染率以前調査時とあまり変化無かった。これにはある理由があった。 八丈小島におけるマレー糸状虫ミクロフィラリア検出成績検査/年月1950年5月1950年9月1951年8月1952年5月1952年9月1956年8月1956年12月検査人員93 74 67 88 49 66 66 陽性29 12 14 11 11 22 19 陽性率/%〔ママ〕31.5 16.2 20.8 16.4 22.4 33.3 28.8 前述したようにスパトニンを10日以上連続して服用すれば体内ミクロフィラリア死滅する。したがって者の全員一様に10日以上連用すれば、当該地域でのマレー糸状虫症の根絶期待できるが、実際に難し問題があった。例え服用後のミツレル様熱発作の誘発一部島民恐れ抱いていること、また、まったく無症状潜伏期)の保者がを飲むことに対して抵抗感を持つなど、その普及には心理的な障害があったのであるだからこそ住民のスパトニン服用だけではなく、それと連動してボウフラ駆除による感染源対策が必要であった各戸のコンクリートタンクや天水桶確認すると相変わらず物凄い数のボウフラ湧いていたが、6年前に佐々が3匹の金魚放したにはボウフラ湧いておらず、当時2センチ足らずであった金魚15センチ程に成長していた。コンクリートタンクの大型のものは幅8メートル深さ3メートルに及ぶものもあり、鳥打村全戸ではこのようなタンク31作られていた。佐々1つタンク金魚2匹メダカ5匹の割合放したメダカ見たことのない島の子供たちの歓声の中、ボウフラ次々食べられていったもう一つ駆虫対策であるDDT散布大掛かりなものであったDDTとはdichloro-diphenyl-trichloroethaneジクロロジフェニルトリクロロエタン)の略で、有機塩素系殺虫剤であるが、人体への有害性問題となり1971年昭和46年以降日本国内では製造および使用禁止されている。しかし、八丈小島散布が行われた1951年昭和31年)頃にはそれらの有害性広く認知されておらず、DDTは主に農業用殺虫剤として使用されていた。八丈小島使用されDDT粉末総量1トン金魚メダカと同じ定期船八丈島経由八丈小島まで運ばれた。 前述したように八丈小島でのボウフラ発生源はコンクリートタンクなどの天水桶と、海岸溶岩地帯無数に存在するロックプールであったこのうち集落内のDDT散布は人の手充分可能であるが、推定8万平メートルほどの溶岩地帯岩場)は大小さまざまな凸凹のある険し地形であるため、人の手による散布は困難であった。 ちょうどその1か月ほど前、佐々バンクロフト糸状虫調査するため、鹿児島県奄美大島滞在していた。おりしも取材来ていたNHK科学班長の村野賢哉と名瀬市食堂昼食食べながら八丈小島話題になった際、ひとつ応援しましょう村野から申し出があり、NHKヘリコプター利用したDDT空中散布が行われることになった。 ロックプールへの空中散布使用され薬剤10パーセントDDT粉剤で、DDT協会斡旋により、日本曹達味の素呉羽化学(現クレハ)、大阪化成旭硝子(現AGC)の各社より提供された。使用した機材日本ヘリコプター所属ベル47で、東京から伊豆大島三宅島経由し八丈島飛行場(現八丈島空港)を基地として、DDT粉剤搭載し八丈小島のロックプールへ向かったDDT搭載量1回あたり90キログラムずつ2回行われ、計180キログラムDDT粉剤散布された。空中散布が行われたのは1956年昭和31年8月9日午前9時から10時の間で、風速は4メートルから6メートル気温摂氏28度、天候快晴であったヘリコプターの翼圧によって粉剤はよく地表叩きつけられ岩場全体にほぼ均一に散布された。トウゴウヤブカボウフラ1時間後には既に中毒の症状起こし7時間後、24時間後と観察続けた結果、ロックプール一帯ボウフラはほぼ全滅したことが確認された。 続いての手による鳥打村集落内へのDDT散布が行われたが、こちらは主に成虫であるに対して行われた。もちろん生活用水となっている天水DDTかからないよう、天水桶タンクなどにはしっかりとフタがされた。佐々が行ったのはDDT残留噴霧という散布方法であったこの方法がマラリアの予防顕著な成果もたらしたこと(DDT#イタリアにおけるDDT屋内残留噴霧マラリア根絶目的したもの参照)は、寄生虫学者や公衆衛生学者の間で知られ始めており、フィラリア駆除対策においても同様の成果期待され佐々八丈小島においてこれを実行したい考え鳥打村人家30軒あまりと、役場小中学校など1軒残らず屋内残留噴霧法によるDDT散布行い村中の家の内壁天井などが真っ白になった。 これまで八丈小島では殺虫剤の類はまった使用されたことがなかったため、殺虫効果てきめんで、DDT散布当日からハエ見られなくなったが、これは1度だけの散布であり殺虫効果一時的なものであった。 後に島民語ったところによれば、10月末頃まではハエもいない状態が続いたが、それ以降徐々に出現し始めたという。同年12月再調査訪れた際には集落内のだけでなく、海岸のロックプールにも再びボウフラ湧き始めていた。予想されてはいたが、DDT散布効果一時的なものであることが確認された。

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