感染源対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:54 UTC 版)
「地方病 (日本住血吸虫症)」の記事における「感染源対策」の解説
日本住血吸虫の中間宿主はミヤイリガイ唯一固種であるが、最終的な終宿主はヒトを含む哺乳類全般である。終宿主の糞便に含まれる虫卵から孵化した幼虫(ミラシジウム)が水中のミヤイリガイに接触することにより感染源となる。 したがって、堆肥として使用していたヒトの糞便の場合、一定期間貯留し虫卵を腐熟させ殺滅させることが感染源を絶つ有効な手段であったため、糞便を貯留するための改良型便所の設置が奨励された。山梨県では1929年(昭和4年)より改良型便所の設置に助成費を出し、1943年(昭和18年)には普及徹底を呼び掛けるなど、ヒトの糞便からの感染対策は一定の効果を上げた。しかし、家畜や野良犬、野良猫など動物の糞便を特定の場所に貯留することなどできるはずがない。苦肉の策として1942年(昭和17年)より山梨県知事となった多湖實夫により、農耕で使うウシやウマにおむつを履かせるという試みが行われた。多湖知事の熱意により考案されたおむつは、官名糞受袋と名付けられた布製のものであったが、効果はほとんどなかった。 このように、排泄場所をコントロールできない保虫動物に対する対策は困難なもので、1933年(昭和8年)にウシ、ウマ、ヤギなどの家畜動物の糞便検査と健康管理が寄生虫病予防法細則により義務付けられ、農耕で使う家畜を感染率の高いウシから感染感受性の低いウマへと変えることが積極的に行われた。同時に、田畑での家畜の糞便はできる限り収集して肥溜めに集めるようにした。また、野糞は厳禁とされ、特に子供たちに遵守するよう学校で指導させた。 1943年(昭和18年)11月3日には、家畜への感染を究明するために、東京高等獣医学校(後の東京獣医畜産大学)の調査団が西山梨郡山城村(現:甲府市上今井町)に本部を設置し調査を始めた。また、ノネズミなどの野生動物は計画的に捕殺され、イヌやネコなどの愛玩動物の管理監視体制が強化された。 農民への感染防止策として、農作業時にはできるだけ脚絆、腕袋の着用を行うよう指導し、セルカリアとの接触を極力回避する努力も試みられた。
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