三好氏
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三好氏(みよしし)は、日本の氏族の一つ。室町時代には阿波守護細川氏の守護代を務め、戦国時代に細川氏に対して下剋上を起こし、阿波をはじめとする四国東部のみならず畿内一円に大勢力を有し、三好政権を築いた。
- ^ 東京大学史料編纂所所蔵の原蔵文書である「七条氏系図」、「七条氏家系考証」、「七条氏本支録」などの記載によると、鎌倉時代後期 ~ 南北朝時代初期あたりに、三好氏とともに分岐した同族の七条氏や高志氏がすでに、阿波に勃興しており、三好氏の先祖はその頃には阿波に入ったと述べており、三好氏の本姓は七条氏や高志氏とともに藤原氏とも久米氏とも称したという。[独自研究?]
- ^ 天野忠幸『三好長慶』(ミネルヴァ書房、2014年)
- ^ a b c 馬部隆弘「細川澄元陣営の再編と上洛戦」(初出:『史敏』通巻14号(2016年)/所収:馬部『戦国期細川権力の研究』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02950-6)
- ^ 三上景文『地下家伝 第27-33 (日本古典全集 ; 第6期)[1]』(日本古典全集刊行会、1937年)
- ^ 三好本宗家ゆかり(義興・義継)の「義」の字を使うことにより、羽柴秀吉が自らの甥を三好康長の養嗣子にして「三好信吉(後の豊臣秀次)」と名乗らせたことを警戒し、自身の三好の血統の正統性および三好本家相続の意思を誇示したと推測される。
- ^ 天野忠幸「三好氏の権力基盤と阿波国人」(初出:『年報中世史研究』31号(2006年)/所収:天野『増補版 戦国期三好政権の研究』(清文堂、2015年) ISBN 978-4-7924-1039-1)および同「三好一族の人名比定について」(初出:天野『戦国期三好政権の研究(初版))』(清文堂、2010年)/改訂所収:天野『増補版 戦国期三好政権の研究』(清文堂、2015年) ISBN 978-4-7924-1039-1)
- ^ “「最初の天下人」三好長慶の子孫健在 広島藩の要職歴任 信長や秀吉の文書守る”. 徳島新聞 (2021年12月18日). 2021年12月18日閲覧。
- ^ 三上景文『地下家伝 第27-33 附録1・目録1 (日本古典全集 ; 第6期)[2]』(日本古典全集刊行会、1937年)
- ^ 『寛政重修諸家譜』は政長の父を善長(之長の子)とする。
- ^ 赤井直房の三男。病気のため離縁。
- ^ 小笠原信用の三男。早世。
- ^ 田村景厖の三男。妻は長憙の養女(川勝氏方の娘)。
- ^ 曽我儔祐の三男。妻は直興の娘。
三好家
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「戦極姫 -戦乱の世に焔立つ-」の記事における「三好家」の解説
松永久秀(まつなが ひさひで) モデル:松永久秀 原画:ごばん CV:前田恵(PS2/PSP版) ストーリー上の立場は三好家重臣だが、ゲームシステムでは独立した勢力となっている。一見、可憐な美少女だが、その内面には強い野心と男女問わずいたぶる性癖を秘めている。 十河一存(そごう かずまさ) モデル:十河一存 原画:Kyo1 CV:なし 三好家重臣。松永久秀の台頭に危惧を覚えている。
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三好家
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「平グモちゃん-戦国下剋上物語-」の記事における「三好家」の解説
三好長慶 声 - 古河徹人 戦国大名・三好家の当主。優れた力量を持つが、武将としては優しすぎる性格が玉に瑕。 三好義賢 声 - 小次狼 三好家の次男、長慶の弟。武野紹鴎とは知り合い。 安宅冬康 声 - 来栖川勇 三好家の三男。安宅家に養子に入っている。水軍を率いる。 十河一存 声 - 越雪光 三好家の四男。十河家に養子に入っている。武勇に優れ、「鬼十河」と呼ばれて恐れられている。 松永長頼 声 - 真木将人 久秀の弟。三好家に仕えている。猛将と名高い人物。 三好義興 声 - 榛名れん 長慶の長男。将来は当主の座を継ぐものと期待されている。
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三好家
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(鳥取県米子市道笑町、東京都) 三好家は道笑町・日野町にわたって本家分家が広い間口を占めて、諸商売を営み土地への投資も行った。米子近世の富商としての三好家は、阿波三好氏の一党である。元亀・天正のころ河内・和泉のあたりに活躍した三好康長は河内高屋城主であった。 横田村詮は三好の重臣であったが、三好氏が松永勢に攻められて滅亡後、豊臣秀吉の将中村一氏の家臣となり、一氏の妹を妻とした。中村一忠が米子城主となり、慶長8年(1603年)老臣横田内膳村詮を暗殺した時、横田方に三好右衛門兵衛がいた。これが阿波三好の流れである。 中村家十八万石の執政家老横田内膳正村詮は三好一門、子がなかったので三好右衛門兵衛を養子とした。米子へきた右衛門兵衛には左内、玄蕃の兄弟がいた。しかし内膳正暗殺事件によって右衛門兵衛らは城内飯山にこもり一忠に反抗した。その侍たちの横田党を指揮したのは、当然右衛門兵衛で、一党の生き残りは助命されたが、当時の法によって主将は切腹して部下の助命にかわるのは又当然である。三好家にのこる古文書によると、切腹にあたり一門に帰農土着を訓えている。右衛門兵衛は実名義紹とおもわれる。内膳の事件後六年、中村一忠が急死したので、三好家の二人は米子に帰った。だが左内、玄蕃の同一人であるかはたしかでない。兄を久兵衛義信、弟を仁兵衛長政といい、兄は稲田氏と改めて農家になり四日市(福市)に土着し、弟は三好氏で商人になった。これが道笑町・三好家の先祖であるという。 伝承では仁兵衛長政が米子三好の先祖となっているが初代清心が寛文四年(一六六四)死去とすれば、義紹没後五十年、仁兵衛の子か孫となるわけである。左内、玄蕃ともつながる可能性は大きい。米子城下の大通りしかも目ぬき通りに店をもち豪商郷士の誇りをもっていた三好氏は、中村家遺臣、大阪出身の第一級であったであろう。 五代佐二郎の時文化5年(1808年)に藩の献金要請があり、全額銀700貫のうち300貫を三好が拠出しているから、当時の富力のほどがうかがわれる。その前後三好家は分家が次第に増加したのは富の分配が可能であったからで砂糖・酢・紙類・古手類などと分家が軒を連ね、町内外に多くの土地・借家も持ち、在方での小作地の保有も増えた。米子城代荒尾氏から20人扶持をあたえられていたということは、三好家が財力で藩財政に種々の貢献をしたことを物語る。 現在も町内に三好内科医院やその一門が繁栄している。三好三七夫(みよし みなお)は昭和34年(1959年)医学博士号を受け、昭和40年(1965年)に三好内科医院を開業した。 父・常次郎 文久元年6月生 - 没 母・フテ(天野大三郎長女) 明治元年(1868年)2月生 - 没 弟・次一郎 明治21年(1888年)11月生 - 没 妹・たき(島根県平民、原本大三郎養子虎一郎に嫁する) 明治23年(1890年)10月生 - 没 妻・モト(島根県、政治家遠藤嘉右衛門の妹) 長男・基之(実業家) 大正7年(1918年)11月生 - 同妻・世志子(実業家、政治家米原章三(元鳥取県議会議長)の娘) 娘
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三好家
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「義風堂々!! 疾風の軍師 -黒田官兵衛-」の記事における「三好家」の解説
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三好家
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「戦極姫2〜戦乱の世、群雄嵐の如く〜」の記事における「三好家」の解説
三好長慶(みよし ちょうけい) モデル:三好長慶 絵師:開栓注意 声 - 花南(Windows版)、上田朱音(PS2/PSP/Xbox版) 三好家当主。独特の思考と言い回しが特徴の、いわゆる「不思議ちゃん」。隠れた酒豪であるが、飲みすぎると大胆になる。
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三好家
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「戦極姫3〜天下を切り裂く光と影〜」の記事における「三好家」の解説
当主は三好長慶。メインヒロインは松永久秀。絵師は碧野グンジョウ(三好長慶)とごばん(松永久秀・三好三人衆)、京作(十河一存)。阿波・和泉・河内に勢力を持つ大名。畿内の有力大名であり、将軍家ともつながりがあるが、その関係は決して良いものではなく、ついに何者かが将軍・足利義輝を襲撃するにいたり、三好家の評判は悪化する。十河一存の友人として三好家に仕官していた颯馬は三好長慶・十河一存から将軍襲撃事件の首謀者と目される有力武将の松永久秀を調査するよう頼まれたことから物語は始まる。 三好 長慶(みよし ちょうけい) モデル:三好長慶 声 - 東星京子→同じ(PSP版) 三好家当主。戦の時には凛々しく果敢であるが、民生にも巧みな手腕を発揮するため、家臣たちの信頼は非常に厚い。弟の十河一存とは一心同体的な息のよさを見せる。松永久秀の野望には感づいているのだが、彼女の根底にある純粋さにも気づいているため、厳しい態度を取れないでいる。なお、ストーリーによっては隠居同然となってしまい、ユニットが消滅する。 松永 久秀(まつなが ひさひで) モデル:松永久秀 声 - 猪鹿ちよ→同じ(PSP版) 三好家重臣。元は商家の娘だったが、策謀を駆使して今の地位に登りつめた。実は颯馬は彼女の「下僕」であり、久秀の立てた策謀を実行する役割を担っている。現在は三好家を天下統一に導いた後に乗っ取る計画を立てている。ただ、心の根底には純粋なところがあり、長慶にそれを指摘されて動揺する。また、薬の調合にも長けており、強力な媚薬や体を麻痺させた上に思考能力を奪う薬を作る。 PSP版の三好家シナリオでも颯馬は「おもちゃ」であることに変わりは無いが「家族」としての情もあったのか最期には「いきなさい」と言った。(颯馬は「生きなさい」と「行きなさい」どちらの意味なのかと悩んだ) 十河 一存(そごう かずまさ) モデル:十河一存 声 - 風見トーリ→石川弘則(PSP版) 三好長慶の弟。「鬼十河」のあだ名を持つ猛将で、馬術にも長ける。松永久秀のことを強く警戒しており、三好家シナリオでは長慶とともに颯馬に調査を依頼する。しかし、その後まもなく謎の死を遂げる(三好家シナリオのみ死亡する)。 足利シナリオでも死亡するがPC版では椿が呪殺するがPSP版では長慶を逃すために殿軍になり、正に鬼のごとく暴れ回り死亡した 三好 長逸(みよし ながやす) モデル:三好長逸 声 - 和葉→伊藤葉純(PSP版) 三好三人衆の一人でリーダー的存在。方眼鏡が特徴。長慶と久秀の両方に取り入っていた。性格はクール。 三好 政康(みよし まさやす) モデル:三好政康 声 - 鈴音華月→飯野ユウ(PSP版) 三好三人衆の一人。露出狂の気がある。また、小難しいことを考えるのが苦手で、戦い専門を自負しており、戦の時にはテンションが極度に上がる。 PSP版では無数の死体の先にいる十河が既に死亡していることに気づいているが敬意を表して全軍を撤退させた。 岩成 友通(いわなり ともみち) モデル:岩成友通 声 - 倉田まりや→同じ(PSP版) 三好三人衆の一人。おっとりとしていてつかみ所がない。
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三好家(畿内・阿波)
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三好長慶(みよし ながよし) 演:山路和弘 細川家重臣。摂津守護代。堺でも強い影響力を持つ。 主君・細川晴元をしのぐ軍事力を持ち、政を巡って晴元と権力闘争をしている一方で、連歌や蹴鞠など公家の素養も持ち合わせている。 師・宗養らが参加した万里小路家の連歌会に内密で参加するが、晴元が放った刺客に襲われる。この時は松永久秀の奮闘や光秀と藤孝の助太刀もあり、久秀とともに難を逃れ京を脱出する。 のちに力を盛り返して京へ攻め込んだため内戦となり、将軍・義輝ともども晴元を京から追放。義輝と和睦後は畿内を支配し幕政の実権を握るが、病にかかり河内飯盛山城で没する。 三好義継(みよし よしつぐ) 演:黒部弘康 三好長慶の嫡男。 長慶の死後、松永久秀の嫡男・久通らとともに二条御所の義輝を襲撃する(永禄の変)。 三好長逸(みよし ながやす) / 岩成友通(いわなり ともみち) / 三好宗渭(みよし そうい) 演:宮原奨伍(長逸) / 高野弘樹(友通) / 岡けんじ(宗渭) 三好家の重臣。三好三人衆。 主君・義継とともに義輝を襲撃し、足利義栄を将軍に就ける。その後、松永久秀と対立、交戦する。信長が義昭を奉じて上洛戦を開始すると、六角承禎が観音寺城の戦いで敗れたこともあって阿波に退却する。永禄12年(1569年)、信長が京を離れた隙に本圀寺の義昭を襲撃するも、光秀らによって追い返される(本圀寺の変)。その後は信長包囲網に加わる。
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