淡河城とは? わかりやすく解説

淡河城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/29 17:17 UTC 版)

logo
淡河城
兵庫県
淡河城本丸址と櫓
別名 上山城
城郭構造 平山城
天守構造 不明
築城主 淡河成正
築城年 1222年
主な改修者 有馬則頼
主な城主 淡河氏、有馬則頼
廃城年 1615年
遺構 模擬櫓、模擬城壁、曲輪、天守台、土塁、空切岸
指定文化財 なし
地図
淡河城
テンプレートを表示

淡河城(おうごじょう)は、兵庫県神戸市北区にあった日本の城。現在はの上に田畑となっている本丸址とがあり公園になっている。

概要

播磨一帯の豪族であった北条時房の孫にあたる淡河時治の城とされる。

淡河氏は南北朝時代暦応2年(1339年)に石峯寺・三津田で赤松則村(円心)率いる北朝方と戦い敗れた。明徳3年(1392年)には淡河範清が赤松氏より季範を養子として迎え、その後は赤松氏に属した。

戦国時代には別所氏に属したが、淡河定範が城主であった天正7年(1579年)に羽柴秀長の攻撃で落城、有馬則頼が城主となった。

慶長6年(1601年)に則頼は三田城に移り、元和元年(1615年)に廃城となった。

現状

道の駅淡河の南側の小高い山に城跡がある。

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「淡河城」の関連用語

淡河城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



淡河城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの淡河城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS