芥川長光とは? わかりやすく解説

芥川長光(あくたがわ ながみつ) ????~????

三好氏 次郎?三郎? 民部丞
◇父:三好筑前守長 子芥川孫十郎(勝長?)
 芥川氏鎌倉期から続く西国御家人流れ長光三好氏であるが、摂津の一勢力である芥川氏縁戚関係を結ぶ等して、芥川氏名乗ったものと思われる。しかし、1520年細川高国勢と戦って敗れ、父之長、弟長則らと共に捕らえられ、京・百万遍自害

三好長光

(芥川長光 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 00:11 UTC 版)

 
三好 長光
三好長光像模本(京都大学総合博物館蔵)
時代 戦国時代室町時代後期)
生誕 不詳
死没 永正17年5月12日1520年6月7日
別名 孫四郎
氏族 三好氏
父母 父:三好之長
兄弟 長秀頼澄長光芥川長則
長逸
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三好 長光(みよし ながみつ)は、戦国時代武将三好之長の三男で、子に三好三人衆の1人である三好長逸がいる。

略歴

父や弟の長則、従兄弟の新五郎と共に、永正17年(1520年5月5日等持院細川高国六角定頼と戦ったが敗北し(等持院の戦い)、5日後の10日に長則と共に投降した[1]。父と新五郎が翌11日に降伏、処刑され、その翌日の12日、長光は長則と共に処刑された[1]。『二水記』に「壮年者」と書かれているが具体的な年齢は不明[2]

三好之長の三男と四男である三好孫四郎・芥川次郎(二郎)兄弟は、史料によって続柄実名が入れ替わっている[2]。長江正一はその中で三男・芥河次郎長光、四男・三好孫四郎長則とする『細川両家記』の説を採用していた[2]。それに対し天野忠幸は、三好長逸が子として賛を付した『三好長光画像模本』(京都大学総合博物館所蔵)の存在を指摘し、三男・三好孫四郎長光、四男・芥川二郎長則としている[3]

脚注

  1. ^ a b 今谷 1985, pp. 55–58; 長江 1989, pp. 31–33; 今谷 2007, pp. 70–72.
  2. ^ a b c 長江 1989, p. 33.
  3. ^ 天野忠幸『増補版 戦国期三好政権の研究』清文堂出版、2015年(原著2010年)、215頁。ISBN 978-4-7924-1039-1 

参考文献




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