ち‐どり【千鳥/×鵆】
読み方:ちどり
1 チドリ目チドリ科の鳥の総称。約60種が南極を除く世界中に分布。くちばしは短く、足の指はふつう3本。海岸や河原で、少し歩いては地をつついてえさをとる。イルカチドリ・シロチドリ・ケリ・コチドリなど。《季 冬》「星崎の闇を見よとや啼く—/芭蕉」
ちどり【千鳥】
消防ヘリコプター
中型ヘリコプター | 大型ヘリコプター |
消防ヘリコプターは、中型3機(ちどり・かもめ・つばめ)、大型3機(ひばり・ゆりかもめ・はくちょう)の合計6機が就航し、空からの消火、救助、情報収集、救急患者の搬送等を行っています。 |
諸元性能(ちどり) 全長13.68m(主回転翼を含む) 燃料タンク容量1,158L 全幅11.94m(主回転翼を含む) 燃料消費量350L/h 全備重量4,250kg スリング能力1,600kg 最大速度315km/h ホイスト能力272kg 巡航速度260km/h、製造会社仏ユーロコプター社 航続距離715km AS365N2(ドーファンII) 航続時間2時間45分、座席数13席(かもめ・つばめは14席) | 諸元性能(ひばり) 全長18.7m(主回転翼を含む) 燃料タンク容量2,743L 全幅15.6m(主回転翼を含む) 燃料消費量650L/h 全備重量8,600kg スリング能力3,000kg 最大速度278km/h、ホイスト能力272kg 巡航速度256km/h、製造会社仏ユーロコプター社 航続距離1,012km、AS332L1型(スーパーピューマ) 航続時間3時間58分座席数23席(ゆりかもめ・はくちょうは27席) |
ちどり
- これもハリガタ。縫製で使った糸巻きを綿花でくるんだもの。女二人が前後から同時にインサートできるようになっている。糸巻きの両端の突きでたフチを有効に利用、ソリかげんが千鳥が飛ぶ形に似ているので、こう呼ばれている。グッアイはいいーッ!
分類 犯罪
千鳥(ちどり)
ちどり
ちどり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/02 13:58 UTC 版)
1969年竣工、三保造船所 (大阪府)建造。1975年に今治高速船に売却
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ちどり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:51 UTC 版)
太平洋戦争終戦後、原子爆弾投下から急速に復興した広島市は、国の出先機関が設置されるなどの施策で中国地方全域の中心都市として求心性を強めた。このため、従来は京阪神方面との結びつきが強かった山陰地方からの交通需要が高まった。しかし、広島に連なる陰陽連絡の鉄道路線は芸備線・木次線・伯備線がすでに全通していたものの、戦後しばらく優等列車の設定はなく、普通列車も鈍足で本数が少ないまま置かれていた。 国鉄が新たな需要に対し迅速な対応を欠いた中、1950年(昭和25年)10月から一畑電気鉄道が松江 - 広島間急行バスの運行を開始。昼夜各1往復運転で新鋭の大型バスを投入し、当時の道路状況の悪さにもかかわらず、峠越えを含む200 km弱を6時間30分で運行して、直通客の獲得に成功した。 これに先だつ同年6月から、国鉄は自動車線の雲芸線に出雲今市(現・出雲市) - 備後十日市(現・三次)間夜行便の運行を開始、芸備線との連絡を図っていたが、一畑電鉄バスの好成績から、山陰 - 広島直通列車運行に踏み切る。鉄道としては最短ルートとなる木次線経由で、1953年(昭和28年)11月に臨時列車として、米子駅 - 広島駅間に快速列車が運転を開始した。この列車は松江城の別名である千鳥城にちなんで「ちどり」と命名された。1955年(昭和30年)には夜行列車の「夜行ちどり」も運転を開始した。 全区間で蒸気機関車が牽引する客車で運転され、大きな峠越えを擁する木次線内では、簡易線向け小形機関車のC56形によって牽引される過酷な条件にあったことから、二・三等合造車を含むわずか3両の軽量編成が組まれ、「ちどり」「夜行ちどり」とも同じ編成で運転されていた。 1959年(昭和34年)に準急列車として定期列車化され、使用車両も準急用の2基エンジン強力車であるキハ55系気動車が投入され、無煙化と大幅な速度向上が実現し、以後この地域のローカル優等列車には基本的に気動車が使用されるようになった。1962年(昭和37年)に「夜行ちどり」が「ちどり」に編入されて廃止されたことにより、「ちどり」は2往復が運転されるようになった。気動車列車となったことで、客室面積に寄与しない機関車が不要となったことと、牽引定数に縛られない車両の増解結が容易になったため、木次線内では出雲坂根駅の三段スイッチバックにて線路有効長を最大限に生かすなどの対策を講じ、輸送力の向上が図られた。 1966年(昭和41年)に急行列車化され、1968年(昭和43年)には芸備線・木次線で運転される急行列車の愛称が「ちどり」に統一されたことにより、3往復となったが、米子鉄道管理局管内では、急行「いずも」とならび、傑出した乗車率の列車であった。繁忙期には輸送力が不足していたため、上り(米子行)を中心に臨時列車も運転され、夜行「ちどり」が3本運転される日もあった。その後、上り夜行「ちどり」の末端区間の、松江 - 鳥取間は普通列車(米子からは快速)となり、通勤輸送を担うことになり、前日の山陰本線経由「さんべ」の付属編成を米子止まりとして、翌朝の夜行「ちどり」と繋いで7両編成で運転していた。 新幹線が岡山市に乗り入れた1972年(昭和47年)から中国地方と山陰地方を結ぶメインルートは伯備線が担うようになり、さらに1975年(昭和50年)3月の山陽新幹線全線開業、中国自動車道や国道54号の整備が進むにつれて利用者数が低下した。1980年(昭和55年)には夜行「ちどり」が廃止されたが、廃止直前の夜行「ちどり」の収入は、1日20万円であった。1985年(昭和60年)には運転区間の短縮によって「みよし」が運転開始されると、1往復にまで削減された。国鉄分割民営化後も継続して運転されたが、1990年(平成2年)に木次線への乗り入れが廃止されて運転区間が備後落合駅 - 広島駅間に短縮され、2002年(平成14年)3月23日に「みよし」に編入(備後落合駅 - 三次駅間は新たに普通列車を設定)されて廃止された。 その後、「広島県デスティネーションキャンペーン」の一環として、2013年(平成25年)8月31・9月1・7・8日に、広島 - 三次間で1日1往復、リバイバル急行「ちどり」が運転された。車両は往年の急行形気動車色風にラッピングされたキハ48形の2両編成が使用され、全区間全車指定席での運転となった。途中停車駅は下深川、志和口、向原、吉田口、甲立であった。
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ちどり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:27 UTC 版)
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鵆
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