花火 花火と炎色

花火

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 23:51 UTC 版)

花火と炎色

炎色反応を用いて多種多様な色を花火に持たせることができる(第352回筑後川花火大会

原子励起した時に電子が外側の軌道に移り、元の軌道に戻る時に放出されるエネルギーに応じた色の光を放出する炎色反応および放射を利用している[23]。添加される元素はアルカリ金属、アルカリ土類金属が多く用いられる。

花火の歴史

中国

花火の起源については諸説ある。一般的には花火のルーツは古代中国の狼煙(のろし)とされ、煙による通信手段であり、火薬の技術の発達とともに花火が誕生することとなった[24]

21世紀の現代において、中華人民共和国は世界の花火生産量の9割を占めると推定されており、最大の輸出国である[25]。「四大花火の里」と呼ばれる地域にメーカーが集積している(江西省万載県上栗県湖南省瀏陽市・醴陵市)[25]

ヨーロッパ

ヨーロッパに伝わったのは13世紀以降で、初期のものは祝砲の音を大きくしたり、煙に色などがつくようにしたりしたものだったと考えられる。ヨーロッパでの主な生産地はイタリアで、火薬と花火製造が盛んに行われた。

鑑賞用の花火は14世紀、イタリアのフィレンツェに始まるとされ、キリスト教の祝祭で用いられる人形に口から火を吐く仕掛けのために用いられたとされている[24]

16世紀になるとイングランドで花火の技術が大きく進歩する。1532年ヘンリー8世は王室軍隊の花火師を徴用するための規則を定め、戴冠式や王室の結婚式誕生日などでテムズ川で水上花火を楽しんだという記録がある。

さらに17世紀になるとポーランドスウェーデンデンマークなどに花火学校が設立され、体系的な知識を有す専門的な花火師集団が形成されていった[24]。イングランドのジェームズ1世はデンマークから技術者を招聘し、娘エリザベスの結婚式を花火で盛大に祝った。また1672年にはウリッジ兵器廠に花火研究所が設立され、1683年には花火に関するテキストが刊行されるなど、花火技術は漸次発展していった。

日本

歌川広重『名所江戸百景』に描かれた19世紀中頃の両国花火

日本における花火の最古の記録としては、室町時代公家万里小路時房の日記『建内記(建聖院内府記)』1447年5月5日文安4年3月21日)条に記されている。浄華院における法事の後に境内にて、「唐人」が花火と考えられる「風流事」を行ったという記事が確認されている。そこでは、竹で枠を作り、火で桔梗仙翁花水車などの形を表現したもの、火が縄を伝って行き来するといったものや、「鼠」と称し火を付けると「走廻」るもの、手に持って火を付けると空中を「流星」のように飛ぶもの、などが披露されたという。時房は「希代之火術也」と賞賛し、褒美を与えている。

この時代は足利義満の死後途絶えていた日明貿易足利義教によって再開されており、花火も大陸から持ち込まれていたとも考えられる。

少なくとも戦国時代には鉄砲や火薬とともに鑑賞用の花火が伝来したとされている[24]。まもなく日本でも花火が製造されるようになったとされているが、以後もキリスト教宣教師や「唐人」といった外国人の手による花火の記録が多く見られる。

1582年4月14日天正10年3月22日)にポルトガル人のイエズス会宣教師が現在の大分県臼杵市にあった聖堂で花火を使用したという記録(『イエズス会日本年報』『フロイス日本史』)は、大友宗麟が花火を活用して聖週間の祭儀をキリシタンを増やすための盛大な公開イベントとしたものである。聖土曜日の夜から翌明け方までの復活徹夜祭では、三つの城楼から花火細工が出て来る仕掛けが、三千もの提燈(教会堂や日本の物語を象った夜高行燈)の行列に豪華さを加えた。さらに数々の花火が「中で実にさまざまな形となった」ので人々は皆立ち止まって花火見物をした。そして真夜中には教会堂も中庭広場も立錐の余地もない人込みとなった[26]

外国人による花火の技術を学び日本でも独自に花火が作られたと考えられるが、その最初はよくわかっていない。1585年に、現在の栃木県栃木市で、皆川山城守佐竹衆が戦のなぐさみに花火を立てたという説もあるが、戦の最中に当時貴重だった火薬をそのようなことに使うはずがないという主張もされている。

太田牛一著『信長公記』巻十四に見える1581年2月18日(天正9年正月15日)のところに「御爆竹の事」に見える「御爆竹」を花火の爆竹であるとし、安土城下で爆竹(花火の一種)の製作されたと考える説もあるが、これは竹を燃やして音を立てる小正月の催しの一つとして少なくとも鎌倉時代から行なわれているものであり、火薬を使用した花火であったかどうかは即断できない。

ただし、この頃には鉄砲に使用する需要から火薬の大量生産が行なわれるようになって、日本独自の花火の製作も行われていたことであろう。

戦国時代から江戸時代初期にかけて「花火見物」が行われたとする記録としては、伊達政宗が居城の米沢城で、1589年8月17日(天正17年7月7日)夜、「大唐人」による花火を見物したというもの(『貞山公治家記録』『伊達天正日記』など)、1613年8月に徳川家康駿府城で英国使節ジョン・セーリスと謁見した際、同行した明の商人から火の粉が筒から吹き出るような形状の花火を見せられたという記事(『駿府政事録』『宮中秘策』『武徳編年集成』)などがある(但し政宗の記事は元禄頃の編纂資料によるものであり、家康の記事と酷似するなど問題が指摘されている)[24]

江戸時代

江戸時代になり、戦がなくなると、花火を専門に扱う火薬屋が登場した。徳川発祥の地である、岡崎を中心とした三河地方(現在の愛知県東部)は江戸時代、徳川幕府によって唯一、火薬の製造・貯蔵を公式に許可されていた。そのような歴史もあり花火は昔から岡崎を中心とした三河地方に普及発達し、全国に三河花火の名をほしいままにした。その名残か、現在においても三河とその東隣の遠州地方(現在の静岡県西部)周辺は全国的にみて煙火の製造業や問屋が多く集積している。

1648年には幕府隅田川以外での花火の禁止の触れを出しており、花火は当時から人気があったとされる。当時のものは、おもちゃ花火であったと考えられる。1712年頃出版された絵入り百科事典和漢三才図会』(寺島良安著)には、鼠花火、狼煙花火[27]などが紹介されている。

花火禁止令が慶安元年(1648年)、寛文5年(1665年)、寛文10年(1670年)などにも出され、江戸中では、花火は全く行われないようになり、漸次地方へ移っていった。打ち上げ事故が起き、禁令が出されるということを繰り返したとされている。

2013年時点で現存する日本で最も古い花火業者は、東京(当時の江戸)の宗家花火鍵屋であり、1659年に初代弥兵衛がおもちゃ花火を売り出した。

鍵屋初代弥兵衛は大和国篠原(吉野郡、後に奈良県五條市)出身であり、幼少の頃から花火作りに長けていたと言う。1659年、江戸に出てきた弥兵衛は葦の中に星を入れた玩具花火を売り出した。弥兵衛はその後研究を続けて両国横山町に店を構え、「鍵屋」を屋号として代々世襲するようになり、現代に続いている(2018年時点で15代目)[28]。その後、大型花火の研究を進め、1717年には水神祭りに合わせて献上花火を打ち上げている。

なお、隅田川川開きの花火の起源として、これまで広く流布していた言説に次のようなものがある。

1733年畿内を中心に飢饉に見舞われ、江戸ではコレラが猛威を振るい多数の死者を出した暗い世相の中、将軍吉宗が死者の慰霊と悪霊退散を祈り両国大川(隅田川のこと)の水神祭りを催し、それに合わせて20発前後の花火が披露された[24]

しかし、このエピソードは、明治中期から昭和初期にかけて徐々に創られていったものであり、歴史的事実とはかけ離れている[29]。例えば、コレラの日本国内での流行は、1822(文政5)年に西日本一帯で起きたのが最初であり[30]、1730年代に流行したというのは事実に反する[31]。詳細は「隅田川花火大会」を参照。

鍵屋と並んで江戸の花火を代表したのが玉屋である。玉屋は六代目の鍵屋の手代であった清吉が1810年暖簾分けをして、市兵衛と改名の上、両国広小路吉川町に店を構えたのが始まりである[32]

このように鍵屋、玉屋の二大花火師の時代を迎えるようになった江戸では、両国の川開きは、両国橋を挟んで上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持つようになった[24]。「たーまーやー」「かーぎーやー」というかけ声が生み出された[注 4]。当時の浮世絵を見ると玉屋の花火は多く描かれており、また「橋の上、玉や玉やの声ばかりなぜに鍵やといわぬ情(じょう)なし」(「情」と鍵屋の「錠」をかけている)という狂歌や「玉屋だと またぬかすわと 鍵屋いい」という川柳が残っていることからも、玉屋の人気が鍵屋をしのいでいたと考えられる[独自研究?]。しかし1843年5月16日天保14年4月17日)、玉屋から失火、店のみならず半町(約1500)ほどの町並みを焼くという騒動があった[34]。当時、失火は重罪と定められており、また偶然ながら将軍徳川家慶東照宮参拝出立の前夜であったことから厳しい処分が下され、玉屋は闕所(財産没収)、市兵衛は江戸お構い(追放)となってしまい、僅か一代で家名断絶となってしまった[34]

当時は、鍵屋のような花火専門業者の花火は町人花火と呼ばれた。このほか、大名らが配下の火薬職人らに命じ、競って隅田川で花火を揚げたという。これらの花火は武家花火と呼ばれる。特に、火薬製造が規制されなかった尾張藩紀州藩水戸藩の3つの徳川御三家の花火は御三家花火と呼ばれ、江戸町人らに人気があった。また仙台の伊達家の武家花火も、伊達政宗以来の豪放な藩風を反映させ、仙台河岸の花火として江戸町人の人気を得て、見物人が大挙押しかけ、江戸藩邸近くの萬年橋欄干が折れるという事故まで発生している。武家花火は、戦に用いる信号弾のようなものが進化したもので、狼煙花火と呼ばれ、いわば垂直方向に着目した花火であり、色や形を楽しむ仕掛け花火を中心とした、いわば平面に特化した町人花火とは方向性が異なった。この方向の違いを共に取り入れたのが現代の日本の花火技術である。

日本煙火芸術協会創立者で煙火に関する書物を数多く著した花火師の武藤輝彦(1921年 - 2002年)によれば、打揚花火は、1751年に開発されたとされている。それ以前の花火は、煙や炎が噴き出す花火であったと考えられている。

鍵屋は第二次世界大戦期に十三代天野太道が花火製造を取りやめ、2013年時点では打ち揚げ専業業者となっている。

花火に関しては特に江戸での記録が多く残っているが、これ以外の地方で花火が製造されなかったわけではない。特に、外国と交易のあった九州と、長野県、愛知県などでは、江戸時代から花火が作られていた。特に、三河国岡崎地方(愛知県岡崎市付近)は徳川家康の出身地ということで、火薬に関する規制が緩やかであり、江戸時代から町人が競って花火を製造した。2013年現在も岡崎周辺におもちゃ花火問屋が多いのはこの名残だといわれる。これ以外の日本国内での花火の主な産地は長野県、新潟県秋田県茨城県で、徳川家にゆかりのある地方が多い。

明治時代以降

大正時代の花火工場(愛知県岡崎市

ヨーロッパで18~19世紀に化学の発展によって新しい化合物が合成され、それらを原材料にした「西洋花火」が明治元年(1868年)に日本に初めて輸入された。[35]

明治時代になると、海外から塩素酸カリウムアルミニウムマグネシウム炭酸ストロンチウム硝酸バリウムといった多くの薬品が輸入され、それまで炭火色といわれる橙色の強弱のみで表現されていた花火に新たな色彩が加わったばかりか明るさも大きく変化した[24]。これらの物質の輸入開始は1879年から1887年にかけて段階的に行われ、日本の花火の形は大きく変化した。これ以前の技術で作られた花火を和火、これ以後のものを洋火と言い分けることもある。

新たな薬品によって多彩な色彩を持つ鮮やかな花火が誕生した反面、化学薬品に対する知識不足から相当な事故が発生したのも明治時代である。特に塩素酸カリウムは他の酸性薬品と混合すると不安定になり、僅かな衝撃でも爆発する危険性が高まる性質を有しており、和火時代の酸化剤として使用していた硝石と同様に扱った場合重大な事故を招く結果となった。

多彩な色彩を持った洋火を大規模に打ち上げた記録としては、1889年2月11日大日本帝国憲法発布の祝賀行事で、皇居二重橋から打ち揚げたものである。

それまで、花火の製造は打ち揚げには何の免許も規制も存在しなかったが、1910年に許可制となった。これ以前の地方の花火は、農家などが趣味で製造しているものが多かったが、この後、化学知識を駆使する必要から花火師の専業化が進むことになる。

大正期には発光剤としてのマグネシウムやアルミニウムなどの金属粉が登場し、夜空により鮮やかに大輪の華を咲かせられるようになった。また塩素酸カリウムに鶏冠石を混合した赤爆を編み出し、大きな発音効果を有す花火が完成していった。また青木儀作や廣岡幸太郎などの名花火師が登場したのも大正期である[24]

このように順調に技術を発展させていった花火であるが、昭和に入り、日中戦争など戦火が拡大する世界情勢下で、停滞期を迎えることになる。花火製造は禁止はされないかわりに高い物品税がかけられたが、それでも当初は出征兵士壮行の花火や、英霊を迎える慰霊花火など、慰霊祭や戦勝祈願の花火が上げられていた。しかし戦火の拡大により隅田川川開きの花火大会も1937年に中止となった。そんな中、花火製造業者は防空演習で使用する発煙筒や焼夷筒(焼夷弾の音を再現する)を製造していた。

第二次世界大戦敗戦後は1945年9月長野市諏訪神社で花火が揚げられるが、翌10月連合国軍総司令部(GHQ)により火薬製造が禁じられた。しかし、1946年7月4日には、各地のアメリカ軍基地で日本業者がアメリカ独立祭の打ち揚げ花火を揚げ[24]、戦後初の花火大会として1946年8月10日、岐阜市長良川河畔で全国煙火大会(後に全国花火大会となる)、9月29日30日茨城県土浦市で開催された第14回全国煙火競技大会(後に土浦全国花火競技大会となる)、1947年の新憲法施行記念で皇居前広場(皇居前広場では最後の花火打ち上げとなった)などが行われた。

日本の花火製造業者の粘り強い説得により、1948年にはGHQが在庫花火の消費を許可。これを受け両国花火組合主催、読売新聞社が後援、丸玉屋小勝煙火店が単独で打ち上げる、両国川開きの花火大会が1948年8月1日に復活した。この時は打ち揚げ許可量僅か600発であったが、平和な時代の大輪の華に70万人の観客があった(『両国川開年表』)。

敗戦後はおもちゃ花火を含め、日本の花火は海外に多く輸出されたが、2013年時点では中国からの輸入量の方が多く、輸出は激減している。多くの花火業者は、2013年時点でも地元に根付いた零細・中小企業であり、技術を親の手から子の手へと伝える世襲制をとっている。

花火と文化

日本

日本では、の夜の風物詩とされている。一部の自治体では大規模な花火の打ち揚げを「花火大会」と称して行っている。花火大会の大半の開催時期は7、8月に集中している。

伝統花火

主に歴史のある花火を紹介する。この中には手筒花火の様に地方公演も行うなど地域交流の1つともなっているものもある。

松下流綱火(茨城県つくばみらい市
別名をからくり人形仕掛花火ともいう。1603年小張藩主となった松下重綱が戦勝祝いなど陣中で行ったのが始まりとされる。江戸時代になると火難除けと五穀豊穣を祈って愛宕神社に奉納するようになった。
小張松下流綱火は民族芸能の人形芝居と花火を組み合わせた珍しい行事である。高さ10m程度の柱を3本立て、3本の大綱を中心に綱を張り巡らし、人形を操作するための櫓を組み、お囃子に合わせて人形を操りながら仕掛け花火で人形の姿を照らすというものである。
上演外題は『源平盛衰記』や『桃太郎』、安珍清姫日高川場などであり、お囃子も松下以外にも、巫女舞、繰こみ、三番臾など外題(げだい)によって様々である。
人形は外題により上演ごとにを束ねたものを使用する。また仕掛け花火の火薬の調合は、1807年の文書『万華火本』が現存[いつ?]しており、それに従った製法が守られている。
高岡流綱火(茨城県つくばみらい市)
「綱火」は、あやつり人形と仕掛花火を結合させ、空中に張り巡らせた綱を操作し、お囃子に合わせて人形を操るもので、別名をあやつり人形仕掛花火とも言う。その歴史は古く、慶長年間から続いており、それを中止すると村内は不幸に見舞われると言われている。
この綱火の起源について確かな記録は残っていないが、慶長年間の愛宕神社祭礼当日、黒蜘蛛と赤蜘蛛の空中での巣作りをみて、その動作から暗示を得て、藁で人形を作り、空中で演技をさせるようになったという。
その後このあやつり人形にたいまつや提灯をつけるようになり、火薬の伝来とともに花火の製造技術を研究し、人形に取り付け神社に奉納し、村内の安全を祈願したといわれる。現在[いつ?]は高岡地区に住む長男だけで組織される更進団により伝統が守られている。
秩父龍勢花火(埼玉県秩父市
天正年間に始まったといわれる秩父市下吉田、椋神社秋の大祭に奉納される手造りの花火。長さ約15mのロケット花火が300 - 500mの高さまで打ち上げる。
三河手筒花火(愛知県豊橋市東三河
直径約10cm、長さは70-80cmの青竹の節をくりぬき、周囲を麻縄で巻きつけた手筒を使用した花火である。氏神に奉納する前日に内部には火薬をたたき詰め、奉納の当日は若衆が脇腹に抱えて点火する。すると炎が時には10メートルを超えて噴出すという勇壮なものである。
手力雄煙火(岐阜市長森)
毎年5月、9月、11月に方策を祈って手力雄命(たぢからおのみこと。手力男命とも)に奉納する花火である。神輿に取り付けた手筒花火や、舞火、滝花火などの種類がある。
流星(滋賀県米原市・近江他)
関ヶ原の戦いの際、関ヶ原から石田三成が本陣を構えた佐和山まで狼煙花火で連絡を取っていたのを真似て今日に伝えたと言われている。
流星で使用されているのは日本の伝統的な黒色火薬であるが、集落ごとに配合が異なり流派を形成している。
篠田の花火(滋賀県近江八幡市
江戸中期に起源を持つ花火である。硝石と明礬を配合した上で糊を加え、板に絵や文字を描き、それを櫓に取り付けて火を放つというものである。
成羽愛宕神社奉納花火(岡山県成羽)
1704年成羽領主の山崎義方が愛宕神社の勧請のための奉納花火を催したことに由来する花火大会である。

花火大会一覧

日本の花火大会一覧を参照。

花火の日

戦後、花火が解禁された1948年8月1日の記念に、東京本所厩橋で大規模な花火爆発事故の起きた1955年8月1日の追悼、世界最大ともいわれる教祖祭PL花火芸術の開催日8月1日の記念を兼ね、花火の日が8月1日に制定された(1967年制定)。このほか両国川開きが旧暦5月28日であったことから、5月28日も花火の日となっている。

サプライズ花火

サプライズ花火は事前に予告せずに打ち上げる花火である[36]シークレット花火ともいう[37]。2020年代前半に新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、密集を避けるため等の理由で度々行われた[36][38]

花火が関連する作品


注釈

  1. ^ 火薬類取締法、および火薬類取締法施行規則では「がん具煙火」と表記する。
  2. ^ 火薬類取締法施行規則で、広義のおもちゃ花火である「緊急保安炎筒」(発炎筒)、「模型ロケットに用いられる噴射推進器」、「内容物盗用防止装置付きかばんに用いられる発煙火工品」は、これより多量の火薬使用が認められている。最も火薬を使えるのは、発炎筒の150グラムである。
  3. ^ たとえばJR東海では、旅客営業規則にて列車に持ち込めない危険品を定めており、適用除外の物品に「がん具煙火、競技用紙雷管及びその他のがん具用軽火工品で、容器・荷造ともの重量が1キログラム以内のもの。」とあり、これを上回る量は持ち込めない[13]。他の鉄道事業者でも類似する規則をそれぞれ定めている。バスの場合は、旅客自動車運送事業運輸規則により100グラムを超える量の持ち込みを禁じている[14]
  4. ^ “打ち上がって、花が開き、それが落ちていくまで「たーーーまやーーー」と声を出し続けるのが本寸法だと言い伝えられている。享保18年(1733年)の両国での花火大会はわずか二十発程度だったという”[33]

出典

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  15. ^ Q04.宅急便で送れない品物はどんなものがあるのですか? - ヤマト運輸
  16. ^ 花火はゆうパックで送れますか? - 日本郵便
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-花火-

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/09 09:56 UTC 版)

-花火-」(はなび)は、日本のバンドTUBEの27枚目のシングルである。1998年6月3日発売。発売元はソニー・ミュージックレコーズ




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