故事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/04 02:51 UTC 版)
た行
他山の石
「名もない山で拾った粗悪な石でも、自分が所有する玉(宝石)を磨くのには役立つ」ということから、他人のとるに足らない言動でも自身の向上の助けとなる事[20]。俗に模範とする意は誤り。
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
蛇足
断腸の思い
「断腸」とは『世説新語 黜免』の故事に由来。
晋の武将桓温が船で蜀に攻め入れようと三峡を渡った時に、その従者が猿の子供を捕らえて船に乗せた。母猿は泣いて悲しみ、その船を約百里も追って飛び移ったが、悶え苦しみ、死亡。母猿の腹部を切開すると腸がズタズタにちぎれていた[21]。
このことから、非常に辛い思いという意味となった。
朝三暮四
非常に猿と戯れるのが好きな男がいた。この男は家族のことも放っておいて、猿を可愛がるものだから、餌の時間になるといつも猿が寄ってくる。ところがそれが原因で、ある日奥方から「猿の餌を減らしてくれないと、子供たちの食べる物までなくなってしまう」と窘められてしまう。困った男は何とか猿たちを籠絡しようとし、一斉に呼びかけた。これからは「朝には木の実を三つ、暮(ばん)には四つしかやれない」と告げるも、猿たちは皆不満顔。それならば「朝は四つ、暮は三つならどうだ」と言うと、合計七つと変わらないにも係わらず猿は皆、納得してしまったのである[22][23]。
そこから朝三暮四は、人を巧みに言いくるめて騙すこと、また猿の立場から、物事の根本的な違いに気付かない愚かな人を指す言葉となった。
天衣無縫
登龍門
虎の威を借る狐
虎は多くの動物を求めてそれを食べる。ある時、狐を捕まえた。狐は「君は私を食べてはならない。天は私を百獣の王にしたのだ。私を食べればそれは天の命令に背くということだ。もし信じないのなら私は君の前を歩いてみよう。私を見て逃げない獣はないであろう」といった。そこで虎は狐を放し、狐について行った。すると獣は一行の姿を見て逃げ出したが、それは狐ではなく虎を恐れたためである。しかし当の虎自身は自分を恐れて逃げているとは思わず、狐を恐れて皆逃げているのだと思い、狐の言を信用した[24]。
このことから虎の威を借る狐は、大したこともない者が、権力者などの威光を笠に着て威張ることを指すようになった。
- ^ 『荘子』 秋水
- ^ “「井の中の蛙大海を知らず」には実はポジティブな続きがあった! /毎日雑学”. ダ・ヴィンチ. KADOKAWA (2020年10月9日). 2020年12月30日閲覧。
- ^ 『後漢書』列伝11・邳彤伝
- ^ 『後漢書』列伝9・耿弇伝
- ^ 『歴代名画記』 巻七 梁
- ^ Wikiquoteの中国のことわざに、水衡記を典拠とする記述があります。
- ^ 『列子』 説符篇
- ^ 『列子』 天瑞篇
- ^ 『戦国策』 燕策
- ^ 『晋書』 車胤伝
- ^ 『孟子』 魏恵王 上
- ^ 『淮南子』 巻十八 人間訓
- ^ 『史記』項羽本紀
- ^ 『韓非子』 五蠧篇
- ^ 『春秋左氏伝』桓公12年 - 国立国会図書館デジタルコレクション 春秋左氏伝(日本語訳)八二頁
- ^
春秋左氏傳 桓公. 春秋左氏傳/桓公#桓公十二. - ウィキソース.
- ^ 『孟子』 公孫丑 上
- ^ 『漢書』 朱雲伝
- ^ 『晋書』 孫楚伝
- ^ 『詩経』 小雅 鶴鳴編
- ^
世說新語 黜免. 世說新語/黜免#2.. - ウィキソース.
- ^ 『荘子』 斉物論
- ^ 『列子』 黄帝篇
- ^ 『戦国策』 楚策 - 楚の宣王に対して家臣の江乙が話したたとえ話。他国が令尹(宰相)の昭奚恤を恐れるのは、実際は楚王の軍を恐れるゆえと説明するため。
- ^ 『荘子』徳充符より
- ^ 『春秋左氏伝』成公十年より
- ^ 『無門関』「六則」
- ^ 『戦国策』「燕策」より
故事と同じ種類の言葉
- >> 「故事」を含む用語の索引
- 故事のページへのリンク