松浦宮物語とは? わかりやすく解説

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まつらのみやものがたり【松浦宮物語】

読み方:まつらのみやものがたり

鎌倉初期物語3巻作者藤原定家とされる未詳12世紀末の成立か。弁少将橘氏忠が恋人別れて唐に渡り皇帝の妹や后などと契りを交わすという伝奇的幻想的な物語


松浦宮物語(色紙、金銀泥下絵料紙)

主名称: 松浦宮物語(色紙金銀下絵料紙
指定番号 2326
枝番 00
指定年月日 1977.06.11(昭和52.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 1帖
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文:  綴葉装冊子本で、料紙斐紙用い、素紙のほかに紫・縹【はなだ】の色紙鳥・海辺・秋草山水等に一部手絵【あしでえ】を用いた金銀下絵きんぎんでいしたえ】及び打曇紙を取合せ美麗な姿にしつらえている。本文は半十一乃至十三充て一筆書写され、仲々に流麗な筆致示している。この物語鎌倉時代前期成立した擬古物語であって近年藤原定家壮年時代の作とみる説が有力である。本帖は続群書類従本などの流布本の組本と目されるもので、鎌倉時代小説物語古写本として貴重である。蜂須賀家伝来

松浦宮物語

主名称: 松浦宮物語
指定番号 2499
枝番 00
指定年月日 1997.06.30(平成9.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 1帖
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  『松浦宮物語』は、『無名草子』に「定家少将のつくりらるとて(中略)、まつらの宮とかやこそ、ひとへに万葉集風情にて、宇津保など見る心ちして、愚かなる心も及はぬさまに侍るめれ」とあり、その内容表現など併せて藤原定家の作と伝えられる擬古物語で、十二世紀後半成立になるものである本物語は異国にまで舞台広げたスケール大き幻想的な物語で、その構成はおよそ五部からなる。一は弁少将神奈備皇女との悲恋と遣唐副使としての渡唐、二は渡唐した少将と帝の妹華陽公主との恋愛、三は唐土戦乱少将による戦乱平定、四は母后鄧皇后との恋愛、五は帰朝後華陽公主との再会からなっている。本物語の特色は、『無名草子』に評されているように万葉集風情第一部和歌著しいこと、公主からの琴曲伝授には『うつほ物語』の「俊蔭」巻の模倣がみえること、とくに日唐にまたがる輪廻転生思想『浜松中納言物語』影響強くみえるところである。
 本書はその現存最古写本で、体裁綴葉装本で、共紙表紙に、外題を「松浦物語」と墨書する。料紙楮紙打紙用い本文第二丁オより半葉一〇行から一一行に流麗な筆致書写している。首題はなく、「松浦宮二」「まつうらの宮三」と内題記している。本書の帖末には貞観三年(八六一)の偽跋と、「本云、/貞観三年四月十八日、/そめ殿の院のにしのたい/にてかきおハりぬとあり」と貞観三年四月十八日の書写擬え奥書がある。本書には流布本祖本である伝後光厳院宸翰本重文 東京国立博物館保管)で脱落している「よしこゝに我たまのをハつきなむ/月のゆくゑをはなれさるへく」という弁少将和歌一首確認できるほか、「金〈〓/増/〓〉城」など誤字脱字訂正、「む」と「ん」の仮名用法上の相違漢字仮名表記相違など本文異同校正しえる点が少なくない他方、「たれものかるへきいのちに侍らさらし」と「へきけはひもみえす、やうやうふけ/ゆくそら」の間に脱落があり、この脱落部分のある綴じは八紙で一綴じになっており、他の綴じいずれも一〇紙で一綴じであることからみて、おそらく二紙分が脱落していると思われるまた、本書には伝後光厳院宸翰本末丁にある偽跋「これもまことの事なり(中略)、唐にはさるのさふらふか」はないが、偽跋の他に、本書成立古くみせるための「本の草子くちうせて見えすと」「このおくも本くちうせて/はなれおちにけりと」などの本文欠脱の偽註がみえている。本書奥書みえないが、書風料紙などからみて鎌倉時代後期書写になるもので、伝後光厳院宸翰本祖本とする流布本系統本とは別系統古写本である。内箱裏の貼紙には「まつらの宮/伏見天皇 正筆也/外題中院通村公、はこ梶井宮慈胤親王」とあり、本書筆者伏見天皇と鑑しているが、その力強く流麗な筆致伏見天皇宸翰伝えるにふさわしいものである
 本書における時代設定原本成立古くみせようとする偽跋、舞台設定は、源平動乱現実から隔絶した浪漫的物語構築する工夫であり、そこには「紅旗征戎、非吾事」(『明月記』)と記した定家姿勢通ず性格がある。このように本書には当時平安時代物語文学との類似性影響関係強く認められる作品で、作り物語系列属す擬古物語鎌倉時代古写本として国文学上に貴重な遺品である。
重要文化財のほかの用語一覧
書跡・典籍:  松尾社一切経  松山集 二冊  松浦宮物語  松浦宮物語  枕草子  林丘寺御手鑑  栄花物語

松浦宮物語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/16 10:18 UTC 版)

最古の写本

松浦宮物語』(まつらのみやものがたり)は、鎌倉時代初期に成立した物語、小説。成立時期は、『無名草子』が「むげに此頃出で来るもの」として鎌倉時代の物語を評して本作品に及ぶことなどから、12世紀後半であろう。肥前国松浦地方が舞台であり、鏡山の頂に神功皇后が鏡を納めた伝説・その鏡山にある鏡神社(松浦宮=松浦廟宮)と、無名草子に「ひとへに “万葉集” の風情にて」とあることから憶良も詠んだ松浦佐用姫などを基にしているものと思われる。

作者

無名草子』には「また、定家少将の作りたるとてあまた侍るめるは、ましてただ気色ばかりにて、むげにまことなきものどもに侍るなるべし。『松浦の宮』とかやこそ、ひとへに『万葉集』の風情にて、『うつほ』など見る心地して、愚かなる心も及ばぬさまに侍るめれ。」という記述[1]がある。『新編日本古典文学全集40』解説では、藤原定家和歌との類似性、漢学的教養等の点からも作者が定家である可能性が高いと指摘されている。

あらすじ

藤原の宮の時、正三位大納言兼中衛大将橘冬明と明日香皇女との間に生まれた氏忠は、容貌才覚共にすぐれ、16歳で、式部少輔右少弁中務少将を兼任、従五位上にあった。彼は勉強一筋、色めいた噂もなかったが、心中密かに幼なじみである后腹の姫君・神南備皇女を恋い慕っていた。ある年の菊の宴の夜、彼女に思いを告白するが拒絶され、手を取ることしかできない。しかし再会を願ううちに皇女は入内、彼は遣唐副使に任命され、渡することになった。出国の時、彼女は彼に別れの歌を送り、母の明日香皇女は松浦の山に宮を造り、息子の帰国まで唐の空を眺め暮らすことになった。

唐に着いた彼は、唐のの寵愛を得たが、ホームシックは癒されなかった。或る名月の夜、秋草の中をさまよううちに、80歳ほどの老人の奏でるの名演奏が高楼に響くのが聞こえた。彼は老人に琴を教わり、帝の妹である華陽公主が「商山」で琴を演奏するので、それを習えと言われた。山で公主から琴の秘曲を授かった氏忠だが、20歳ばかりの華陽公主の美しさに心は乱れる。二人の恋は彼女の破滅を意味するが、10月3日、禁中での再会を約束して別れた。折しも、帝は病臥し、弁を呼び、私の死後国は乱れる、おまえは太子に従ってくれ、と遺言を残す。さて約束の日、彼は五鳳楼の下でにおやかな彼女と契りを結んだ。彼女の形見は水晶の玉、日本に帰っても私を忘れないなら初瀬寺に玉を持って三七日の法を行え、再会できる、と予言し、琴を天外に飛び去らせ、自分も露のように死んだ。やがて帝も死に、予言は的中、国は乱れ、先帝の弟の燕王がその将軍・宇文会に唆され、太子の幼弱を良いことに謀反した。彼は今は無き帝との約束通り、新帝である太子とその母である鄧太后を守り逃げ、蜀山に向かった。しかし道は遠く、燕王に攻め寄せられた。しかし、太后の戦略に従い、神の助けを得て9人の分身とともに宇文会を討ち取ることに成功。おりよく尉遲憲徳の率いる援軍三十万と合流し、都で燕王を破って乱を平定した。才色兼備の太后が善政を敷き、世が平和を取り戻すとともに、氏忠は太后への恋心が湧き上がる。ある春の夜、梅の香り漂う里でを吹く不思議な女性と出会い、夢のような逢瀬を重ねる。身元不明、神出鬼没の彼女は太后に似ていた。帰国の日も近づいた或る夜、氏忠は太后から、あの女性の正体は自分であり、宇文会は阿修羅、私は第二天の天衆、あなたは天童、二人は阿修羅を懲戒するために天から下された。人世に生まれたばかりに恋心が起こったと秘密を明かし、形見にを渡した。

氏忠は日本に帰国、母との再会を果たし、参議右大弁中衛中将になった。初瀬におもむき、三七日の法を行うと、果たして山に琴の音が聞こえ、華陽公主と再会した。二人は結婚し、公主は妊娠。琴を合わせていると、神南備皇女も妬むほどであった。初瀬で太后から贈られた鏡を見ると、はるかな唐国と彼女の姿が映り、香りが氏忠に染み付く。気づいた華陽公主は嫉妬し涙を流す。太后と公主、二人の女性の間で思い乱れる氏忠なのだった。

評価

もしこれが定家の真作であるならば、彼の20代後半の若書きであり、3巻のその構成は緊密でなく、前後の連携も良いとは言えない。すなわち、前半で少将の両親の心情を細やかに描きながら、後半では忘れられ、主人公以外の使節の描写も足りない。また、唐国内の戦乱描写も異常なまでに詳細である。一説には、現存本は後人の加筆もあるという。

また、『うつほ物語』や『浜松中納言物語』との肖似性も指摘されている。9人の分身の出現など、典拠不明のモチーフもあり興味深い。

主人公の恋する三人の女性、神南備皇女・華陽公主・母后、とくに華陽公主のモデルについては、印象的な芳香、琴の音、贈答歌などから、定家と親交のあった式子内親王であるという説がある。

注釈・出典

  1. ^ 無名草子、桑原博史校注、新潮日本古典集成第七、1976

参考文献

関連項目




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