天人降下
『有明けの別れ』巻3 左大臣家の1人娘は男装していたが、彼女はやがて本来の女姿になり、帝に入内して男児を2人産む。後に帝は院、男児の兄は新帝、弟は東宮、彼女自身は女院に、それぞれなる。院の四十の賀が行なわれた3月14日の夜、東宮の笛と女院の琵琶の合奏に、天女7人が舞い降りて、花の鬘(かつら)1房を女院の袖の上に置く、という奇瑞があった。
『うつほ物語』「吹上」下 神泉苑の紅葉の賀の夜、仲忠と涼が琴を弾き競うと、天女が降りて舞う。仲忠が琴に合わせて、「朝ぼらけほのかに見れば飽かぬかな中なる乙女しばしとめなむ」と詠ずると、天女はさらに一舞いして天に昇った。
『江談抄』第1-11 清御原(天武)天皇の時、吉野川で琴を演奏したところ、天女が降下し、前庭に出て「をとめごがをとめさびすもからたまををとめさびすもそのからたまを」の歌を詠じた〔*『十訓抄』第10-18に類話〕。
『今昔物語集』巻24-1 北辺大臣が一晩中箏を弾奏していると、暁方になって背丈1尺ほどの天人が2~3人降下し、光を放って舞った。
★1b.天女が羽衣を返してもらうことと引き換えに、舞いを見せる。
『羽衣』(能) 天女が三保の松原に降り、松にかけておいた羽衣を漁夫白龍に取られる。天女は、羽衣を返してもらうことと引き換えに、白龍に舞いを見せ、やがて空高く昇って行く。
『狭衣物語』巻1 5月5日の夜、宮中の宴で狭衣が笛を吹く。稲妻が光り、空から楽の音が聞こえ、紫の雲がたなびく中を、天若御子(あめわかみこ)が降下する。天若御子は狭衣を天界へ連れて行こうとするが、嵯峨帝が狭衣の手をとらえて、泣く泣く引きとめる。天若御子は諦めて、狭衣と詩文のやりとりをしただけで、1人で天へ還って行った。
『三宝絵詞』下-17 百済寺に丈六の釈迦像を造り、天智天皇が心中に祈願した夜の暁に、2人の天女が来て、「この像は霊山の真の仏といささかも違わず」と天皇に告げ、空に上り去った〔*『今昔物語集』巻11-16の類話では「天暦天皇」・「夢の中に3人の」とあって以下に欠字がある〕。
『夜の寝覚』(五巻本)巻1 太政大臣の娘・中の君が13歳の年の8月15夜、夢に天人が降下して琵琶の秘曲を教える。翌年の8月15夜の夢にも再び天人が現れ、琵琶を教えて、「いたくものを思い、心を乱し給う宿世がある」と、運命を予言する。3年目の8月15夜には、中の君は待っていたが、天人を夢に見ることはできなかった。
『今昔物語集』巻1-1 兜率天の内院に住む釈迦菩薩は、「下界に人間として生まれ出よう」と思い、天人五衰の相をあらわした。釈迦菩薩は、誰を父母とするか考えて人間世界を見、「カビラエ国の浄飯王を父、摩耶夫人を母とするのが良い」と定めた。
★4b.天人が地上に生まれても、短期間で天に戻ってしまうことがある。
鵜ノ池の伝説 卯野左内という浪人の娘が、池のまわりで友だちと蕨取りをしている時に、誤って水死した。娘は母親の夢にあらわれ、「私は天界の者で、縁あってこの世に生まれたが、寿命が尽きて帰るのだから、嘆かないで下さい」と告げた。父母は、池のほとりに娘の祠(ほこら)を造った。池は卯野の姓にちなんで、鵜ノ池と呼ぶようになった(鳥取県日野郡黒坂町黒坂)。
*玉帝に仕える献花童子が地上に男児として生まれ、若くして死ぬ→〔転生〕4の『子不語』巻19-499。
*天人が地上に生まれるに際しては、普通の人間同様に母胎から誕生し、死ぬ時には亡骸を地上に残して魂だけ昇天するばあいと、→〔赤ん坊〕7aの『竹取物語』のように、母胎以外の場所から異常出生し、身体を持ったまま昇天するばあいとがある。
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