あるぜんちな丸 参考文献

あるぜんちな丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 07:58 UTC 版)

参考文献

  • 岡田俊雄(編)『大阪商船株式会社八十年史』大阪商船三井船舶、1966年。 
  • 財団法人海上労働協会(編)『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6 
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年。 
  • 木俣滋郎『日本軽巡戦史』図書出版社、1989年。 
  • 木俣滋郎『潜水艦攻撃〔新装版〕 日本軍が撃沈破した連合軍潜水艦』潮書房光人社〈光人社NF文庫〉、2016年5月(原著1989年)。ISBN 978-4-7698-2949-2 
  • 木村久邇典「第十六章 ミッドウェー海戦」『「安田陸戦隊司令」伝 ― 吉川英治の稀覯本に描かれた一軍人の生涯』光人社、1992年1月。ISBN 4-7698-0590-X 
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』光人社〈光人社NF文庫〉、1993年5月。ISBN 47698-2009-7 
    • (193-208頁)綱渡りの航跡 <駆逐艦「秋月」艦長・緒方友兄大佐の証言>(1980年8月25日に行われた当時霰艦長緒方へのインタビューを掲載。霰沈没時の駆逐艦長)
  • 野間恒、山田廸生『世界の艦船別冊 日本の客船1 1868~1945』海人社、1991年。ISBN 4-905551-38-2 
  • 野間恒『豪華客船の文化史』NTT出版、1993年。ISBN 4-87188-210-1 
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』野間恒(私家版)、2004年。 
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年、92-240頁。 
  • 福田靖『レイテ沖海戦最後の沈没艦 駆逐艦「不知火」の軌跡』北辰堂出版株式会社、2016年8月。ISBN 978-4-86427-217-9 
  • レオンス・ペイヤール「日本軍によるキスカおよびアッツの占領 一九四二年六月八日」『潜水艦戦争 1939-1945』長塚隆二、早川書房、1973年12月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦』朝雲新聞社
  • 正岡勝直「日本海軍特設艦船正史」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年、92-240頁。 
  • 松井邦夫『日本・油槽船列伝』成山堂書店、1995年。ISBN 4-425-31271-6 
  • 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年。ISBN 4-303-12330-7 
  • 三浦昭男『北太平洋定期客船史』出版協同社、1995年。ISBN 4-87970-051-7 
  • 三菱造船(編)『創業百年の長崎造船所』三菱造船、1957年。 
  • 三菱重工業(編)『新三菱重工業株式会社史』三菱重工業、1967年。 
  • 門司親徳「第二章 呉鎮守府第五特別陸戦隊の作戦」『空と海の涯で 第一航空艦隊副官の回想』光人社〈光人社NF文庫〉、2012年5月(原著1978年)。ISBN 978-4-7698-2098-7 
  • 山高五郎『図説 日の丸船隊史話(図説日本海事史話叢書4)』至誠堂、1981年。 

注釈

  1. ^ 第二聯合特別陸戦隊(司令官大田實大佐)、横須賀鎮守府第五特別陸戦隊(司令安田義達大佐)、呉鎮守府第五特別陸戦隊(司令林鉦次郎英語版中佐)は[24]、同年5月1日に新編されたばかりだった[25]
  2. ^ ミッドウェー作戦成功後、第二連合特別陸戦隊は根拠地隊となってミッドウェー島守備隊となる予定だった[27]
  3. ^ 第二連合特別陸戦隊司令部と横須賀鎮守府第五特別陸戦隊は[31]、姉妹船ぶらじる丸に乗船していた[32]
  4. ^ PBY飛行艇の夜間雷撃で「あけぼの丸」が損傷したが、攻略船団に続行した[36]
  5. ^ 当時の霰駆逐艦長は「水上機母艦春日を護衛した。」「司令駆逐艦は霞だった。」と回想しているが[50]、春日は日露戦争時代の春日型装甲巡洋艦、18駆の司令駆逐艦は不知火である[51]
  6. ^ 横須賀から駆け付けた護衛部隊や駆潜艇の爆雷攻撃により[48]、ノーチラスは損傷してハワイに帰投した[52]
  7. ^ 渡辺監督官は12月9日付で横須賀鎮守府付となった[62]
  8. ^ 大連航路と台湾航路就航船は燃料炭の産地が近く、かつ安く入手できたためタービン機関を採用していた(#商船八十年史 p.59)。
  9. ^ 当時は島津久永と結婚して4か月ばかりのころ。

出典

  1. ^ a b c #創業百年の長崎造船所 pp.558-559
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o #日本汽船名簿
  3. ^ a b #日本の客船1 p.78
  4. ^ Argentina_Maru_class
  5. ^ #野間 (1993) p.215
  6. ^ #野間 (2004) p.584
  7. ^ a b #又新390611
  8. ^ a b c d #野間 (1993) p.216
  9. ^ a b #創業百年の長崎造船所 p.266
  10. ^ #創業百年の長崎造船所 p.237
  11. ^ #創業百年の長崎造船所 pp.234-235
  12. ^ #大毎390216
  13. ^ #野間 (1993) pp.217-218
  14. ^ #野間 (1993) p.217
  15. ^ a b c d e f #野間 (1993) p.219
  16. ^ a b #大毎390916
  17. ^ #大毎391017
  18. ^ #創業百年の長崎造船所 p.264
  19. ^ #商船八十年史 p.348
  20. ^ a b c #特設原簿 p.94
  21. ^ #あるぜんちな丸1612
  22. ^ #あるぜんちな丸1705 p.3
  23. ^ #あるぜんちな丸1705 p.3, pp.15-19
  24. ^ a b c d 昭和17年5月1日(発令7月1日付)海軍辞令公報(部内限)第852号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085300  p.21大田實(補第二聯合特別陸戦隊司令)安田義達(補横鎭第五特陸戦司令)、p.22林(補呉鎭第五特陸司令)、p.23渡辺威中佐(補あるぜんちな丸監督官)神通久次郎中佐(補ぶらじる丸監督官)、p.33門司親徳主計中尉(補呉鎭守府第五特別陸戰隊主計長兼分隊長)
  25. ^ 空と海の涯で 2012, pp. 97–102.
  26. ^ 安田陸戦隊司令伝 1992, pp. 254–255.
  27. ^ 空と海の涯で 2012, p. 110.
  28. ^ 空と海の涯で 2012, p. 105.
  29. ^ 空と海の涯で 2012, pp. 108–109.
  30. ^ #あるぜんちな丸1705 p.4
  31. ^ 空と海の涯で 2012, p. 112.
  32. ^ 安田陸戦隊司令伝 1992, p. 239.
  33. ^ 安田陸戦隊司令伝 1992, p. 241.
  34. ^ 空と海の涯で 2012, pp. 113–117.
  35. ^ #あるぜんちな丸1705 p.5、#木俣軽巡 p.212
  36. ^ a b 空と海の涯で 2012, pp. 117–120.
  37. ^ #あるぜんちな丸戦闘詳報 p.36
  38. ^ #あるぜんちな丸戦闘詳報 pp.36-37
  39. ^ #あるぜんちな丸戦闘詳報 pp.43-44
  40. ^ 安田陸戦隊司令伝 1992, pp. 243–245.
  41. ^ #あるぜんちな丸戦闘詳報 p.38
  42. ^ #木俣軽巡 pp.213-214
  43. ^ a b 安田陸戦隊司令伝 1992, pp. 257–258.
  44. ^ #あるぜんちな丸戦闘詳報 p.40
  45. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、313-314ページ
  46. ^ 空と海の涯で 2012, pp. 125–126.
  47. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、314ページ
  48. ^ a b #あ号作戦日誌(4) p.17〔 (三)18dg(略)六月二十八日 18dg(陽炎欠)千代田 あるぜんちな丸ヲ護衛「キスカ」ニ向ケ横須賀發 六月二十九日陽炎横須賀出撃尓後野島埼南方ノ敵潜掃蕩ニ從事 〕
  49. ^ 不知火の軌跡 2016, pp. 68–77「不知火」真っ二つに
  50. ^ 佐藤、艦長たち 1993, pp. 195–196.
  51. ^ 不知火の軌跡 2016, pp. 77–81十八駆司令が割腹
  52. ^ 潜水艦攻撃 2016, pp. 195–196●米潜水艦ノーチラス(1942年6月28日)
  53. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、271-272ページ
  54. ^ 潜水艦戦争 1973, p. 192.
  55. ^ 潜水艦攻撃 2016, p. 144.
  56. ^ 不知火の軌跡 2016, pp. 74–77.
  57. ^ #S17.05一水戦日誌(4) p.6〔 十日(ロ)電「あるぜんちな」丸ヲ護衛シ横須賀ニ向ケBOA發 同時阿武隈帝洋丸ヨリ燃料補給ノ為BOA發/(ハ)若葉初春 BOA湾外對潜警戒竝ニ阿武隈「あるぜんちな」丸ノ前路警戒ニ任ジタル後初春ハBOAニ皈投ス/(ニ)電「あるぜんちな」丸 阿武隈ト分離ス 〕
  58. ^ #S17.05一水戦日誌(4) p.8〔 十五日 電「あるぜんちな」丸ヲ護衛シ横須賀着 〕
  59. ^ #あるぜんちな丸1708 p.4,6
  60. ^ #あるぜんちな丸1708 p.4,9,12
  61. ^ #佐防戦1710 p.13
  62. ^ a b 昭和17年12月14日(発令12月9日付)海軍辞令公報(部内限)第1010号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088600 
  63. ^ #山高 p.230
  64. ^ #野間 (2004) p.585
  65. ^ a b c d e f g h i j k l #新三菱 pp.314-315
  66. ^ a b c d #商船八十年史 p.355
  67. ^ a b c #商船八十年史 p.185
  68. ^ #商船八十年史 p.181
  69. ^ #商船八十年史 p.186
  70. ^ #商船八十年史 p.222
  71. ^ #野間 (1993) p.283
  72. ^ a b 大阪商船の所有船舶 - 海運集約以前”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2012年8月24日閲覧。
  73. ^ #商船八十年史 p.222,345
  74. ^ #商船八十年史 p.222
  75. ^ #野間 (1993) pp.284-285
  76. ^ #野間 (1993) p.285
  77. ^ #野間 (1993) pp.285-286


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