JR東海発足以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:37 UTC 版)
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR各社および新幹線鉄道保有機構発足。東海道新幹線は全線が東海旅客鉄道(JR東海)に移管。大阪第一運転所がJR東海新幹線鉄道事業本部の管轄に移行し、JR東海新幹線運行本部東京第一運転所が再発足。 1988年(昭和63年)2月1日:新幹線運行本部が新幹線鉄道事業本部に改組。 3月13日:新富士駅・掛川駅・三河安城駅開業。JR移行後初のダイヤ改正を実施。東京 - 新大阪間最終の「ひかり」2時間49分で運転。カフェテリア営業開始。 4月1日:東京第一運転所が東京第一車両所、東京第一運転所大井支所が東京第二車両所、東京第二運転所が東京運転所に改称。大阪第一運転所が大阪第一車両所に改称。同時に、乗務員部門は大阪運転所、交番検査部門と車両配置は大阪第二車両所、台車検査部門は大阪第三車両所として分割。 1989年(平成元年)3月11日:7-4ダイヤ 「ひかり」増発。2階建て車両4両の「グランドひかり」(100系3000番台/JR西日本所属)登場。 4月29日:「こだま」は再び16両に。「こだま」指定席車両を「2&2シート」改造実施(1990年度中に完了)。 7月17日:第15回参議院議員通常選挙の候補者であった櫻井規順(日本社会党)陣営の関係者の要請で「ひかり」を三島駅で臨時停車させる(櫻井規順#新幹線停車騒動を参照)。 1991年(平成3年)9月30日:東京発新大阪行き「ひかり291号」で、東京駅を出発直後から車輪が固着するトラブルが発生していたが、司令員の指示により三島駅まで運行を継続。のちに15号車の車輪が大きく削られていたことが判明。駆動装置の潤滑油漏れが原因とされた。詳細は「新幹線100系電車#車輪固着・潤滑油漏れ」を参照。 10月1日:JR東海が新幹線鉄道保有機構から新幹線施設を買い取り。 1992年(平成4年)2月:100系の投入を終了し、300系の投入が始まる。 3月14日:300系が営業運転開始。「のぞみ」1日2往復登場。最高速度270 km/h、東京 - 新大阪間2時間30分運転。朝の下り301号は新横浜駅停車、名古屋駅・京都駅通過。8-3ダイヤ 日中の「ひかり」増発、日中の東京 - 三島間「こだま」廃止。ユレダス全面供用。 3月30日-4月1日:一部の労働組合がストライキを敢行。しかし運転経験のある管理職社員が総動員されたことによって通常通り運行された。 5月6日:名古屋駅 - 三河安城駅間を190km/hで走行中の「ひかり238号」(新大阪発東京行き・300系J4編成)で主電動機を固定するボルトが折損し、4時間立ち往生するトラブルが発生した。 8月1日:東京第一車両所が品川駅構内から品川区八潮に移転。 1993年(平成5年)3月18日:1-7-3ダイヤ 「のぞみ」毎時1本、博多へ直通運転開始。「ひかり」1本を「のぞみ」に置き換え。 1994年(平成6年)3月1日:喫煙コーナーを除き全駅で終日禁煙化。 12月3日:この日より東京駅22:00発名古屋駅行きの臨時「ひかり」(途中無停車)を臨時「のぞみ」(同)に変更し、名古屋駅の到着を約15分早めた。 1995年(平成7年)1月17日:兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)により京都駅 - 新大阪駅( - 山陽新幹線姫路駅)間が被災し不通となる。山陽新幹線との直通運転を中止。 1月20日:12時30分より京都駅 - 新大阪駅間の運転を再開。 1月21日:300Xによる走行試験開始。 4月8日:山陽新幹線新大阪駅 - 姫路駅間の復旧に伴い、山陽新幹線への直通運転を再開。 12月27日:三島駅乗客転落事故が発生。 1996年(平成8年)3月16日:2-7-3ダイヤ 300系の増備に伴い、「のぞみ」東京 - 新大阪間で混雑の激しい金曜日の夜を中心に続行列車を設定、これにより東京駅毎時00分発の定期列車は一部時間帯を除いて消滅。夜間帯の「のぞみ」上下各1本が新横浜駅にも停車。米原駅停車の「ひかり」を岐阜羽島駅にも停車、東京 - 新大阪間「こだま」の一部を名古屋駅止まりとする。同「ひかり」には300系を限定使用し、その性能を活かし所要時間の増加を抑える。これにより「ひかり」でも300系使用列車では270 km/h運転を開始。また、このころから昼間の「こだま」に100系が使われるようになる。 1997年(平成9年)11月29日:500系「のぞみ」東海道新幹線に乗り入れ開始。米原駅・岐阜羽島駅停車の「ひかり」に加えて、静岡駅停車の「ひかり」にも300系を使用。名古屋駅・京都駅を通過する「のぞみ301号」が廃止。朝夕の「のぞみ」を新横浜駅にも停車、同駅停車の「のぞみ」は3本から16本に増加。 1998年(平成10年)10月:300系の投入を終了。 1999年(平成11年)2月26日:新幹線第二総合指令所が完成。 3月13日:700系が「のぞみ」として営業運転開始(当初は同社所有のC編成のみで東京 - 博多間直通の3往復に充当)。このころから山陽直通「ひかり」にも300系を投入。 9月18日:0系さよなら運転が行われ、東海道新幹線での営業運転終了。 10月2日:700系の増備に伴い、東京 - 博多間直通の定期「のぞみ」が500系・700系に統一。前日限りで2階建て車両2両食堂車つきの100系X編成が定期運用を終了。新大阪駅を介して山陽区間に直通する「こだま」(改正前は静岡 - 岡山間に1往復)が消滅。 2000年(平成12年)3月11日:東京 - 博多間、東京 - 広島間直通の「ひかり」の一部列車をそれぞれ、東京 - 広島間、東京 - 岡山間の運転に短縮(ただし臨時延長運転あり)。前日限りで食堂車・ビュフェの営業が終了。 9月11日:翌日にかけての大雨(東海豪雨)にもかかわらず運転を続行した結果、東京 - 米原間で70本近い列車が団子状態で立ち往生して全面的に不通となり、「のぞみ20号」が22時間21分遅れで終点の東京駅に到着するという開業以来最悪の遅延を記録。最終的に各列車で合計5万人を超える乗客が車内に取り残され、一夜を明かす事態となった。これについて社長の葛西敬之が社長定例会見で「あれは未曾有の大災害が原因で、正常で適切な運行だった」と発言して批判を浴び、のちの会見で謝罪した。 10月1日:早朝に東京 - 新大阪間に「のぞみ」1往復を増発。新横浜駅停車の「のぞみ」を16本から32本に拡大し、山陽区間直通の「のぞみ」は夜間の東京駅発岡山駅行き1本を除いて新横浜駅停車に。700系の増備に伴い、東京駅発着の定期「のぞみ」は前述の増発1往復を除いて500系・700系に統一。 2001年(平成13年)2月:昼間の「こだま」に300系が使われるようになる。 10月1日:東京 - 新大阪間の「ひかり」1本を「のぞみ」に置き換えることで「のぞみ」30分間隔に、3-6-3ダイヤ移行。この改正で100系が東京発着の「ひかり」から撤退。なお、同年夏にはJR西日本にも700系16両編成(3000番台/B編成)が登場した。東京車掌所と東京運転所の一部が統合し、東京第一運輸所・東京第二運輸所発足。大阪車掌所と大阪運転所を統廃合し、大阪第一運輸所と大阪第二運輸所が発足。 2002年(平成14年)5月7日:博多駅から名古屋駅へ向けて営業運転中の「ひかり174号」に散弾銃が撃ち込まれる事件が発生。 6月11日:FIFA(国際サッカー連盟)主催サッカーワールドカップ グループE カメルーンvsドイツ戦(静岡スタジアム エコパ、試合開始20:30)開催に伴い、試合終了後の観客輸送のため、掛川駅始発で夜行臨時列車「特別号」を運転。ワールドカップ関係ではこのほか、横浜国際総合競技場開催試合(特に6月30日の決勝 ドイツvsブラジル戦)に関係した、新横浜始発東京行「こだま」も設定。 2003年(平成15年)5月16日:JR東海・西日本が4月24日に申請した品川駅の開業等に係る特別急行料金の上限設定を、国土交通省が認可。 5月20日:品川駅の開業等に係る特別急行料金の引き下げの届出が、JR東海・JR西日本から国土交通省中部・近畿運輸局に提出される。 9月16日:100系さよなら運転が行われ、東海道新幹線での営業運転終了。カフェテリアも廃止。
※この「JR東海発足以後」の解説は、「東海道新幹線」の解説の一部です。
「JR東海発足以後」を含む「東海道新幹線」の記事については、「東海道新幹線」の概要を参照ください。
- JR東海発足以後のページへのリンク