JR東西線開業後とは? わかりやすく解説

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JR東西線開業後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 01:25 UTC 版)

京阪神緩行線」の記事における「JR東西線開業後」の解説

1997年3月8日JR東西線開業に向けて207系編成大規模な組み換え淀川電車区宮原運転所所属車両含めて実施された。松井山手駅における増解結配慮して西明石新三田側に付属3両編成+基本4両編成7両編成変更され編成両数は再び7両編成統一された。そして、JR東西線開業各駅停車ダイヤ大きく変更されることとなった。朝ラッシュ時高槻駅大阪駅間でも4分等間隔増発された。日中時間帯高槻駅 - 須磨駅西明石駅間の直通運用再編し西明石駅 - 松井山手駅間のJR東西線直通とそれに接続する高槻駅 - 尼崎駅間の区間運行高槻駅 - 須磨駅間の運行変更された。 同年9月1日ダイヤ改正では、京都駅ビル完成合わせて12年半ぶりに日中京都駅発着系統復活し加古川発の列車も5本に増発された(送り込み西明石駅加古川駅間のみの運行もあった)。同時に尼崎駅構内改良完了し同一ホームでの乗り換えパターン完成した福知山線JR宝塚線)の普通と高槻駅 - 尼崎駅間の区間運転が一体化して大阪駅 - 尼崎駅間の「普通」の重複解消)、日中尼崎駅半数入れ替わるダイヤになり、運用京都駅須磨駅高槻駅新三田駅京都駅間の順序になった直通運行常態化することで福知山線103系をカナリアイエローに塗り分け必要性なくなり、また尼崎駅から先での誤乗防止のため1998 - 2001年にかけて宮原総合運転所所属103系201系合わせてスカイブルー塗り替えている。103系京都駅までの乗り入れその後草津駅まで)が復活したが、朝ラッシュ時のみの運行で、尼崎駅 - 西明石駅間には乗り入れていない1998年10月3日ダイヤ改正では、明石海峡大橋開通垂水駅明石駅周辺の再開発進行に伴い日中須磨駅発着系統西明石駅発着延長統一され1時間運行本数が8本に増発されたほか、毎日午前中に大久保駅折り返し列車設定された。また、JR宝塚線方面からの新大阪行き吹田発のJR宝塚線直通はすべて高槻駅発着変更された。この時の運用は西明石駅高槻駅新三田駅京都駅西明石駅間の順序で、この運用2002年10月5日ダイヤ改正京都駅 - 西明石駅間とJR宝塚線直通高槻駅 - 新三田駅間に再編されるまで続くこととなる。 2003年12月1日改正ではJR神戸線区間の朝時間帯運行本数微減し、4分等間隔になった2004年10月16日野洲駅発着が朝時間帯設定され近江今津駅夜間滞泊する列車設定されたが、大久保駅折り返し削減された。

※この「JR東西線開業後」の解説は、「京阪神緩行線」の解説の一部です。
「JR東西線開業後」を含む「京阪神緩行線」の記事については、「京阪神緩行線」の概要を参照ください。

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