JR東西線開業後
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1997年3月8日のJR東西線開業に向けて、207系の編成の大規模な組み換えが淀川電車区・宮原運転所所属の車両も含めて実施された。松井山手駅における増解結に配慮して、西明石・新三田側に付属3両編成+基本4両編成の7両編成に変更され、編成両数は再び7両編成に統一された。そして、JR東西線開業で各駅停車のダイヤは大きく変更されることとなった。朝ラッシュ時は高槻駅 → 大阪駅間でも4分等間隔に増発された。日中時間帯は高槻駅 - 須磨駅・西明石駅間の直通運用を再編し、西明石駅 - 松井山手駅間のJR東西線直通とそれに接続する高槻駅 - 尼崎駅間の区間運行・高槻駅 - 須磨駅間の運行に変更された。 同年9月1日のダイヤ改正では、京都駅ビルの完成に合わせて12年半ぶりに日中の京都駅発着の系統が復活し、加古川発の列車も5本に増発された(送り込みは西明石駅 → 加古川駅間のみの運行もあった)。同時に尼崎駅の構内改良が完了し、同一ホームでの乗り換えパターンが完成した。福知山線(JR宝塚線)の普通と高槻駅 - 尼崎駅間の区間運転が一体化して(大阪駅 - 尼崎駅間の「普通」の重複が解消)、日中は尼崎駅で半数が入れ替わるダイヤになり、運用も京都駅 → 須磨駅 → 高槻駅 → 新三田駅 → 京都駅間の順序になった。直通運行が常態化することで福知山線の103系をカナリアイエローに塗り分ける必要性がなくなり、また尼崎駅から先での誤乗防止のため1998 - 2001年にかけて宮原総合運転所所属の103系を201系に合わせてスカイブルーに塗り替えている。103系の京都駅までの乗り入れ(その後草津駅まで)が復活したが、朝ラッシュ時のみの運行で、尼崎駅 - 西明石駅間には乗り入れていない。 1998年10月3日のダイヤ改正では、明石海峡大橋の開通と垂水駅・明石駅周辺の再開発の進行に伴い、日中の須磨駅発着系統が西明石駅発着に延長・統一されて1時間の運行本数が8本に増発されたほか、毎日午前中に大久保駅折り返し列車が設定された。また、JR宝塚線方面からの新大阪行きと吹田発のJR宝塚線直通はすべて高槻駅発着に変更された。この時の運用は西明石駅 → 高槻駅 → 新三田駅 → 京都駅 → 西明石駅間の順序で、この運用が2002年10月5日のダイヤ改正で京都駅 - 西明石駅間とJR宝塚線直通の高槻駅 - 新三田駅間に再編されるまで続くこととなる。 2003年12月1日の改正ではJR神戸線区間の朝時間帯の運行本数が微減し、4分等間隔になった。2004年10月16日に野洲駅発着が朝時間帯に設定され、近江今津駅で夜間滞泊する列車が設定されたが、大久保駅折り返しは削減された。
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