車輪固着・潤滑油漏れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 16:48 UTC 版)
「新幹線100系電車」の記事における「車輪固着・潤滑油漏れ」の解説
1991年9月30日、東京発新大阪行き最終列車となる「ひかり291号」に発生した。 東京駅を発車して300 m地点で、運転台に車輪固着を知らせる警報が作動。15号車新大阪方の台車のうち、東京方の車軸が固着していた。21時00分に東京を発車して、21時25分に浜松町駅付近を通過するまでに計8回もの警報が鳴ったにもかかわらず警報のリセットを繰り返し、車輪が固着したまま三島駅(東京から約100 km)まで走行した。 浜松町駅で8回目の警報が作動した後、運転士はCTCセンターの指令員に停止する旨を伝えると、指令員は運転継続を指示した。運転士は、新横浜駅の駅員と、付近の上り新幹線の運転士に床下から火花が出ているかどうか確認してほしいと連絡を入れた。そして、固着が起きている15号車の床下から火花が出ていることが確認されたため、運転士は指令員に列車の停止を伝えると、指令員からは運転継続が指示された。「ひかり291号」が新大阪行きの最終列車であったことや、三島駅なら、隣接する三島車両所から予備の編成を用意し、故障した編成を引き込んで点検も出来るためである。さらに、定刻から20分遅れであったため、上限速度ギリギリ(ATCの頭打ち速度である225 km/h)での運行も指示された。そのため、東京駅基準で41 km地点と78 km地点(いずれも新横浜駅〜小田原駅間)の計2度、ATCブレーキがかかっているが、その時も指令員は運転継続を指示していた。 三島駅に到着後、車両を交換して全体を検査したところ、前述の15号車の新大阪方から2番目の車輪が長さ30 cm、深さ3 cmにわたって削られ、2つの車輪をあわせて約6 kgもの金属が消滅していた。また、車輪が削られたことでフランジ部分が下がり、ATC信号を流すレールボンドが損傷した。 その後の調査で、このトラブルの原因は車軸の駆動用モータ脇に設置されている駆動装置が、油が漏れたことによって破損したために車輪が固着したものであることがわかった。該当列車に充当された編成は、1991年7月2日実施の台車検査時に油を交換したが2日後には油が完全に抜けてしまっていた。故障前日の仕業検査時にも3 Lの油漏れが見つかったため、不足分を補給するために給油栓を開けると油が霧状になって噴出した。歯車箱内が異常な高温状態になっていたためと考えられる。なお、通常の補給量は0.5 L程度である。 従来の点検マニュアルでは、車輪固着の警報が作動したときには、ブレーキの固着と車軸の過熱による「軸焼け」の点検が定められているが、車軸の固着の点検については記載がなかった。この事故後、JR東海は点検マニュアルに「列車を車転2回転分だけゆっくりと動かし、車輪の回転状態を確認する」という項目を追加した。 なお、1992年6月15日に100系V3編成11号車 の博多方の車軸付近から大量の油漏れが発見された。軸受に使用していたベアリングが異常磨耗を起こして脱落していたことが原因であったが、前述の1991年9月30日に車輪固着を起こした車両のベアリングと同種類のものを使用していたため、その事故原因もベアリング破損による油漏れである。
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