飯縄権現とは? わかりやすく解説

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飯縄権現

(飯縄信仰 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/17 16:39 UTC 版)

飯縄権現(ギメ東洋美術館

飯縄権現(いづなごんげん、いいづなごんげん)とは、信濃国上水内郡(現:長野県)の飯縄山(飯綱山)に対する山岳信仰が発祥と考えられる[注 1]神仏習合である。

概要

多くの場合、白狐に乗った剣と索を持つ烏天狗形で表され、五体[4]、あるいは白狐には蛇が巻きつくことがある[5]。一般に戦勝の神として信仰され[6]、管領細川氏(特に細川政元[3])、九条稙通[7]上杉謙信[3]武田信玄[3]など中世の武将たちの間で盛んに信仰された。特に、上杉謙信の兜の前立が飯縄権現像であるのは有名[3][8]。また、農耕神、火伏せの神としても信仰される[9]

その一方で、飯縄権現が授ける「飯縄法」は「愛宕勝軍神祇秘法」や「ダキニ天法」などとならび中世から近世にかけては「邪法」とされ、天狗や狐などを使役する外法とされつつ俗信へと浸透していった。「世に伊豆那の術とて、人の目を眩惑する邪法悪魔あり」(『茅窓漫録』)「しきみの抹香を仏家及び世俗に焼く。術者伊豆那の法を行ふに、此抹香をたけば彼の邪法行はれずと云ふ」(『大和本草』)と言及される[3]。しかし、こうした俗信の域から離れ、現在でも信州の飯縄神社東京都高尾山薬王院千葉県君津市鹿野山神野寺、同県いすみ市飯縄寺日光山輪王寺など、特に関東以北の各地で熱心に信仰されており、薬王院は江戸時代には徳川家によって庇護されていた。本地仏は不動明王荼吉尼天とされることが多いが[4][注 2]地蔵菩薩とされることもある[10]。別称を飯綱権現飯縄明神ともいう[3]

起源

飯縄権現に対する信仰は各種縁起祭文により描写のされ方が異なる。

信濃国の飯縄山が戸隠山の山麓の一部であるように、飯縄の修験道は、戸隠修験の傘下におかれていた[11]。とはいえ、その発端は飯縄山にあったと思われ[12]、"飯綱信仰は、戸隠信仰より古い"とも言われている[13]

根拠として、そもそも飯縄山で修行していた学問という行者が嘉祥2年(849年、異文では嘉祥3年[14])に戸隠山の開山を行った事実が挙げられ、遅くとも鎌倉時代・室町時代の文献にはこの記述がみられるのである[注 3][11][13]

天福元年(1233年)には[注 4]、飯縄大明神が戸隠の住職のところに現れ、自分は"日本第三の天狗なり。"と名乗ったと、上で触れた室町の文献、『戸隠山顕光寺流記并序とがくしさんけんこうじるきならびにじょ』に記されており[13][17]、続けて「..願わくは此の山の傍らに侍し、(九頭竜)権現の慈風に当たりて三熱の苦を脱するを得ん。須らく仁祠の玉台に列すべし。当山の鎮守と為らん。」と語ったという[18][16]。この九頭竜は古来より戸隠山の主とされ戸隠信仰の地主神となっていたものである[19]。『戸隠山顕光寺流記并序』は戸隠本位の縁起なので、その観点から、飯縄明神はあくまで戸隠権現の「慈風(加護)によって」戸隠山の鎮守となったと[20]、その主客関係を主張している。

江戸時代(近世後期)に作成された『飯縄山略縁起』では、(戸隠の開山より少し遡る)嘉祥元年(848年3月、学問行者が飯縄山に入山して飯縄明神の姿を拝したとあり[21][22]天福元年(1233年)、荻野城主・伊藤豊前守忠縄が約400年ぶりに飯縄明神の神託を得て、山頂にしめ縄を張り飯縄神を祀った。そして大願成就のために五穀を断つなど千日行を行い神通力を得て、荒安(あらやす)村(長野県芋井)に修験道場をおこし「千日太夫」の開祖となった。この初代は「千日豊前」と称し、不老長生を会得したので170年も生きてのち尸解中国語版したなどとされている[23][24]

この他、『飯縄講式』では妙善月光と金毘羅夜叉との間にできた18の王子のうち、出家せず俗に留まった十王子の第三が飯縄智羅天狗で、これが飯縄山の飯縄明神であると語る。これは先の『戸隠山顕光寺流記并序』と内容的に関連する[要出典]

飯縄山を中心とする修験は「飯縄修験」と呼ばれ、代々その長を務めるのは千日太夫と呼ばれる行者であった。武田勝頼は千日太夫の養子に仁科甚十郎の名を与え、それ以来その子孫は代々その名を名乗ることとなった[3]。江戸時代には社領百石を支配していた[3]。飯縄山における飯縄信仰は、この千日太夫を中心に後世形作られていったものと思われる。

飯縄権現がいつ頃から信仰としての形を整えたのか現段階で詳らかにすることはできないが、現存最古銘の飯縄神像は永福寺の神像であり、応永13年(1406年)の銘がある[25]。また、岡山県立博物館寄託の飯縄権現像(図像)は絹本著色で室町期の作と推定されており、日光山輪王寺伝来の「伊須那曼荼羅図」には南北朝〜室町期の貞禅の名が見える[26]。加えて、高尾山薬王院有喜寺における飯縄権現は、中興の祖俊源が永和年間(13751379年)に入山した折に感得したといい[1]、俊源が既に飯縄権現に関する情報を得ていたことをうかがわせる。先に見た縁起や講式等の記述等と併せて考えるならば、中世初期にはかなり体系的な飯縄信仰像が形成されていたと考えられる。

展開

一口に飯縄信仰と言っても、憑霊信仰や天狗信仰、武将や修験者、忍者の間での信仰[注 5]、狐信仰など非常に多岐にわたっており、複雑な様相を呈している。実際どのようなものであったのかは今後の研究の堆積が俟たれるところであるが、室町頃には一面、魔法、外法といった捉えられ方が既になされていたようである。

真言

  • オン チラチラヤ ソワカ[27]

「チラチラヤ」は飯縄智羅天狗の「智羅」から来ている。また、『今昔物語集』に智羅永寿という天狗が登場している[28]

脚注

注釈

  1. ^ ただし、民俗学者の宮本袈裟雄は各地に残る飯縄信仰は信濃国の飯縄山の影響を受けて成立したものとそうでないもの(高尾山等)とがあること等から、修験者たちが各地に飯縄権現を祀り、その中で信州の飯縄山が抜きん出た存在になったのではないかと述べている(飯縄信仰の中で長野の飯縄山が中心的存在であることには変わりないとも述べている)[1]。これに対して郷土史家の米山一政や渡辺一意などは飯縄信仰の信州飯縄山起源説を唱えており[2]長野郷土史研究会の小林一郎も信州の飯縄山の名が鎌倉時代の『阿娑縛抄』にすでに見られることから(飯縄信仰の全盛期は室町〜戦国時代)長野の飯縄山が飯縄信仰の発生地の可能性が高いと結論付けている[3]。また、平安時代に書かれた『今昔物語集』には天狗を祭って行う妖術を使う信濃国の郡司が登場する話があり(この郡司は「此国の奥の郡」の郡司から妖術を習ったとされており奥の郡とは川中島四郡〈飯縄山がある地域を含む〉を指すと思われる)、飯縄信仰における飯縄法との関連が指摘されている[3]
  2. ^ 原初的な山霊(山神)の使いをとする信仰に荼吉尼天信仰や不動明王信仰が習合し飯縄信仰が修験者たちの間で形成されたと考えられる[4]
  3. ^ 鎌倉時代の『阿娑縛抄』(建治1 / 1275年成立)では嘉祥2年(849年)で人名は学問行者、室町時代の『戸隠山顕光寺流記とがくしさんけんこうじるきならびにじょ』(長禄2 / 1458年)では嘉祥3年、行者は「学門」とされる[15]
  4. ^ "嘉洋三年より天概元年に至るまで三百八十四年なり"と説明[16]
  5. ^ 忍術の発生が修験道と密接な関係にあったことから飯縄権現は忍術の神として甲賀や伊賀の忍者から信仰された[3]

出典

  1. ^ a b 『里修験の研究』220-222頁。
  2. ^ 『里修験の研究』252頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『長野』31号、30-45頁。
  4. ^ a b c 『里修験の研究』244-245頁。
  5. ^ 『飯綱信仰』12頁。
  6. ^ 『飯綱信仰』17頁。
  7. ^ 『図聚天狗列伝 東日本編』83頁
  8. ^ 『長野』109号、20頁。
  9. ^ 『里修験の研究』225頁。
  10. ^ 『飯綱信仰』16頁。
  11. ^ a b 知切 (1975), p. 393.
  12. ^ 知切 (1975), p. 393: "飯縄は最初の足掛りだったのだとも考えられる"。
  13. ^ a b c 村杉 (1987), p. 57.
  14. ^ 『天狗と修験者』226頁。
  15. ^ 牛山 (2016), p. 274.
  16. ^ a b 信濃史料刊行会 編『信濃史料』1952年https://books.google.com/books?hl=ja&id=NmJAAQAAIAAJ&q=飯縄 
  17. ^ 知切 (1975), p. 58.
  18. ^ 米山一政 著、鈴木昭英 編「戸隠修験の変遷」『富士・御嶽と中部霊山』、山岳宗教史研究叢書9、名著出版、308-341頁、1978年https://books.google.com/books?id=8hbmAAAAMAAJ&q=九頭竜 
  19. ^ 和歌森太郎山岳宗敎の成立と展開』名著出版〈山岳宗教史研究叢書9〉、1975年、183, 205頁https://books.google.com/books?id=8hbmAAAAMAAJ&q=戸隠+九頭竜  和歌森 (1980) 『著作集』383、405頁
  20. ^ 牛山 (2016), p. 277.
  21. ^ 水澤龍樹「漂泊する民の残痕〈15〉 天狗奇譚」『歴史読本』第55巻、第3号、新人物往来社、266頁、2010年https://books.google.com/books?id=IWJMAQAAIAAJ&q=飯縄山略縁起+嘉祥元年 
  22. ^ 五来重修験道史料集』 17巻、名著出版、1983年https://books.google.com/books?id=pwvmAAAAMAAJ&q=飯縄山略縁起+嘉祥元年 
  23. ^ 知切 (1975), p. 394.
  24. ^ 千々和 (2010), p. 141.
  25. ^ 『飯綱信仰』5頁。
  26. ^ 『飯綱信仰』8,18,19頁。
  27. ^ 関根俊一『仏尊の事典』学研、1997年、278頁。
  28. ^ 『天狗と修験者』28頁。
参考文献

関連項目

外部リンク





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