関りのある人物とは? わかりやすく解説

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関りのある人物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 08:46 UTC 版)

村上春樹」の記事における「関りのある人物」の解説

ここでは村上春樹と特にかかわりのある人物取り上げる(順不同)。 安西水丸 イラストレーター漫画家1942年7月22日 - 2014年3月19日)。安西千駄ヶ谷の「ピーター・キャット」に客として行ったとき初め村上会ったという。表紙から挿絵まで数多くイラスト安西担当しており、共著作品少なくない対談の数も多い。『夢のサーフシティー』(朝日新聞社1998年7月)と『スメルジャコフ対織田信長家臣団』(朝日新聞社2001年4月)には、特別付録として二人音声対談収録されている。 安西村上についてこう評す。「とても人見知りをする人だけれど友情のあつさにおいては完璧なものがある」「僕は彼の声を〝プラチナの声〟と言っているんですよ。ちなみに彼の文字かりん糖。油で揚げたような字を書くんです」 村上は、安西本名の「渡辺昇(ワタナベノボル)」を様々な作中人物の名前に使った。例として「象の消滅」(象の飼育係)、「ファミリー・アフェア」(妹の恋人)、「双子と沈んだ大陸」(共同経営者)、「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(および妻の兄)、「中断されたスチーム・アイロンの把手」(壁面芸術家)、「鉛筆削り (あるいは幸運としての渡辺昇①)」、「タイム・マシーン (あるいは幸運としての渡辺昇②)」、「タコ」などがある。そして長編ノルウェイの森』では「ワタナベトオル」と名を変え『ねじまき鳥クロニクル』では「ワタヤノボル」となる。 安西2014年3月19日急死。『週刊朝日2014年4月18日号に「週刊村上朝日堂 特別編」が掲載される村上は「描かれずに終わった一枚の絵安西水丸さんのこと―」と題する追悼文書き安西イラストもそこに付された。追悼文村上は「安西水丸さんはこ世界で、僕が心を許すことのできる数少ない人の一人だった」と述べた2014年8月、『イラストレーション急増安西水丸 青空の下』(玄光社)が刊行。『イラストレーション2011年3月号掲載された「特集 安西水丸 村上春樹との全仕事 1981-2011」が同書再録される。 柴田元幸 英米文学翻訳家、元東京大学教授1954年7月11日 - )。村上ジョン・アーヴィングの『熊を放つ』(中央公論社1986年5月)を翻訳した際、柴田訳文を「細かくチェック」したことから交流生まれた村上柴田授業参加したり(『翻訳夜話』、『翻訳教室』)、積極的にインタビューや対談応じたり(『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』、『代表質問 16のインタビュー』、『村上春樹 翻訳 (ほとんど) 全仕事』)と、二人親交篤い早川書房から出ているレイモンド・チャンドラー作品除いて村上主たる翻訳チェック行っている。また、CDブック村上春樹ハイブ・リット』(アルク2008年11月)の総合監修行った。「村上朝日堂ホームページ」において、読者からの英文法に関する質問に対して村上代わりに答えたこともある(同ホームページ読者&村上春樹フォーラム392006年4月17日)。 2006年3月東京札幌神戸行われた国際シンポジウム&ワークショップ 春樹をめぐる冒険――世界村上文学をどう読むか」のアドバイザーおよび司会務めた。かつ、同シンポジウム記録した書籍世界村上春樹をどう読むか』(文藝春秋2006年10月)の編集行った村上は、柴田責任編集務め文芸誌MONKEY』(スイッチ・パブリッシング)から依頼を受け、短編小説シェエラザード」を執筆した同作品はその後、『女のいない男たち』(文藝春秋2014年4月)に収録された。 ジェイ・ルービン 日本文学研究者翻訳家1941年 - )。村上作品主たる英訳者、アルフレッド・バーンバウムジェイ・ルービンフィリップ・ガブリエルの3人のうちで、個人的にとりわけ交流が深いのがルービンである。『ねじまき鳥クロニクル』翻訳を、同作品がまだ『新潮』に連載中のときに村上本人から依頼受けて行う。これまで長編小説を4編(『1Q84』はBOOK1とBOOK2のみ)、短編小説24編訳している。また2009年2月イスラエル行われたエルサレム賞授賞式英文スピーチ英訳行ったルービン自著『ハルキ・ムラカミと言葉音楽』(新潮社2006年9月畔柳和代訳)の参考文献として、村上私信講演未刊原稿村上夫妻未公開インタビュー談話多く用いている。 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(岩波書店1996年12月)の対談の席にルービンは、発言こそ取り除かれたものの陽子夫人と共に参加した東京大学文学部行われた柴田元幸翻訳演習授業にも村上と共に参加した。このときの授業模様は『翻訳教室』(新書館2006年3月)に収録されている。 2006年3月東京札幌神戸行われた国際シンポジウム&ワークショップ 春樹をめぐる冒険――世界村上文学をどう読むか」に参加同年6月アイルランド開かれたフランク・オコナー国際短編賞授賞式受賞作品短編集Blind Willow, Sleeping Woman』)に村上代理として出席した村上ルービン訳した芥川龍之介短編集Rashōmon and Seventeen Other Stories』(2006年)の序文書いている。同書2007年6月新潮社から日本語版が出版された(『芥川龍之介短篇集』)。 2015年5月、初の小説The Sun Gods』を上梓日本語版は同年7月に『日々の光』として新潮社より刊行された。村上は『波』2015年8月号書評寄せた2016年11月、『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮社2011年)の翻訳行った河合隼雄 心理学者元文庁長官(1928年6月23日 - 2007年7月19日)。河合年長学識者の中で、村上唯一繰り返し対談した人物。 「僕にとっての『小説の意味みたいなものをきちんと総合的にすっと理解し正面から受けとめてくれた人は河合先生一人しかいませんでした。『物語』というのが我々の魂にとってどれほど強い治癒力をもち、また同時にどれほど危険なものでもあるかということを、非常に深いレベル把握しておられる方です。」「河合先生に会うたびに、僕は元気づけられます。ああいう人ってなかなかいないです。」「僕が『物語』という言葉使って話すときに、その意味をきちんと理解してくれるのは、河合先生ぐらいだった」と語っている。 2013年5月6日村上河合隼雄物語賞・学芸賞創設記念して公開インタビュースピーチ京都大学行った活字になった河合村上対談以下のとおり現代物語とはなにか『こころの声を聴く河合隼雄対話集新潮文庫 ISBN 978-4-10-125223-0 初出:新潮 1994年7月 91巻 260-282頁 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく新潮文庫 ISBN 978-4-10-100145-6 初出:世界 1996年4月621号 257-280頁、1996年5月662号 210-235頁 「地下鉄サリン事件日本人現代 1997年7月号 31巻 28-41頁 話題の書『アンダーグラウンド』をめぐって 村上春樹河合隼雄 河合隼雄氏との対話『アンダーグラウンド』をめぐって 「悪」を抱えて生きる)『約束された場所でunderground 2』ISBN 978-4-16-750204-1 初出: 文藝春秋 1998年11月号 76巻 262-277頁「ポストアンダーグラウンド」をめぐって麻原・ヒットラー・チャップリン 連続対談 河合隼雄x村上春樹 京都での対話(上)(下) 臨床心理学者作家語り合った2日フォーサイト新潮社2003年10月号第14巻第10号通巻163号 52-57頁、2003年11月号第14巻第11号通巻164号 52-58頁 安原顯 編集者1939年4月29日 - 2003年1月20日)。安原中央公論社文芸誌『海』や『マリ・クレール』の編集携わった人物村上経営するジャズ喫茶の客で、『風の歌を聴け』が出版される1979年以前より交流があった。「中国行きのスロウ・ボート」を『海』1980年4月号に掲載する際、初め書いた短編小説であるにもかかわらず安原から書き直し一切要求されなかったという。「細かい実務的作業は、この人の好むところではないようだった」と村上述べている。2003年1月20日肺がんのため死去した村上2006年3月10日発売の『文藝春秋4月号に、『ある編集者生と死――安原顯氏のこと』と題するエッセイ発表自身直筆原稿本人無断で、安原によって流出させられ東京神田神保町古本屋や、インターネットオークション販売されていることを述べた。「基本的な職業モラル反している(中略)のではあるまいか」「それら(注・安原ルート流出した自筆原稿)が不正に持ち出され一種盗品であり、金銭を得るために売却されたものであることをここで明確にしておきたい」とコメントをしている。 この発表各方面大きな波紋広げ出版業界はびこる自筆原稿流出」という、半ば公然の闇の事態が明らかとなった安原故人であったため「死者に鞭打つような仕打ち」と一部批判する者もあったが、村上このような事態が、彼に関してのみならず多く作家に関して未だに行われていることを指摘しつつ、誰かが声高に叫ばなければ流出によって傷つけられる生きている者たちの痛みなくならないではないか、と反論している。なおこれら一連の動きから、明確な意思表示がない限り生原稿作家所有物である」との確認日本文芸家協会によって行われ、「生原稿流出』等についての要望」としてまとめられものが、関係各所へと配布された。 村上龍 小説家1952年2月19日 - )。群像新人文学賞受賞によりほぼ同時期にデビュー果たしたこと(龍は1976年春樹1979年)、年齢比較的近いこと(春樹3つ年上)、いずれも人気作家となったことなどから二人は「W村上」としばしば呼ばれる両者論じた評論『MURAKAMI龍と春樹時代』(清水良典著、2008年)もある。 龍は学生時代春樹経営するピーター・キャット」に通っており、デビュー前からの顔見知りであった初期には互いエッセイ頻繁に言及しあっており、1981年には対談集『ウォーク・ドント・ラン』を出版した同年夏、春樹は龍からアビシニアンの子譲り受けている。龍の3作目長編小説『コインロッカー・ベイビーズ』1980年10月刊行)に刺激を受け、『羊をめぐる冒険』を書いたことは春樹本人様々な媒体語っている。 春樹は『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』の中で、龍が「最初から暴力というものを、はっきりと予見的に書いている」という点で鋭い感覚持った作家だと評価したうえで、自分は「あそこへ行くまでに時間がかかるというか、彼とぼくとは社会対すアプローチが違う」と述べている。

※この「関りのある人物」の解説は、「村上春樹」の解説の一部です。
「関りのある人物」を含む「村上春樹」の記事については、「村上春樹」の概要を参照ください。

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