「悪」を抱えて生きる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 01:01 UTC 版)
「約束された場所で」の記事における「「悪」を抱えて生きる」の解説
1998年8月10日、京都で行われた対談。河合が「これからは宗教性の追求というのは個人でやるより仕方ないんじゃないかと僕は思てますけれどね」と述べると、村上は「個人でそれができるほど強い精神を持っている人は、多くの場合宗教なんかにいかないんじゃないでしょうか。宗教を求める世間の大多数の人は、個人でやっていくことはむずかしいだろうと僕は思うんですが」と答えている。
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