豊臣一門とは? わかりやすく解説

豊臣一門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/11/03 03:28 UTC 版)

葵徳川三代」の記事における「豊臣一門」の解説

豊臣秀頼とよとみ ひでより) 演:尾上菊之助幼少期大高力也小林良也豊臣秀吉嫡男。母の淀殿比べる穏健で、豊臣家六十五万石の大名として存続しても十分と言っており、母を冷静にたしなめることも何度かあった。しかし大坂夏の陣徳川方丸腰で城を出るよう要求された際は、豊臣家誇りのために拒絶し自害し果てた淀殿よどどの) 演:小川真由美少女期黒川芽以豊臣秀吉側室で、秀頼の母。名は茶々浅井三姉妹第一女で常高院お江の姉でもある。妹想いだが気位高く気性激し性格秀吉没後から家康専横反発していたが、関ヶ原の合戦では片桐且元進言もあり、中立立場保っていた。徳川家幕府開いた後も、「豊臣家一介大名ではない」として臣従拒み続ける。大坂夏の陣では、秀頼が城から逃がそうとするが、城を出たところで生きがいはないと言い、秀頼と共に焼け落ちる大坂城自害した高台院こうだいいん) (北政所高台院) 演:草笛光子 豊臣秀吉正室。名はおね。また「まんかかさま」と呼ばれることが多い。家康大坂城西の丸明け渡すなど便宜を図る出家し高台院となる。徳川天下になってからも家康との親交続いていたが、木下家家督相続家康怒りを買い、木下家定遺領没収される家康と秀頼との対面では秀頼の後見務める。大坂冬の陣開戦の前、淀殿翻意促し、戦を止めるべく大坂向かおうとしたが、既に街道伏見城代の軍勢により監視され通行止めとなっており、かなわなかった。淀殿権勢ふるっているのを快く思っていなかったが、豊臣家対す思い入れ強く家康葬儀直前豊臣家の霊を慰め法要行ったことを天海詰問された際は、「太閤殿下にはお墓すらござりませぬ」と、一歩も引かぬ構え見せたお通(おつう) 演:品川景子 秀頼側室国松生母国松丸(くにまつまる) 演:高崎慶佑 秀頼とお通の子大坂夏の陣の後、千姫常高院助命嘆願されるが、家康により六条河原処刑される。 結姫(ゆいひめ) 演:福田麻由子 秀頼の娘。母は「」という侍女夏の陣の後千姫養女として東慶寺出家させられ天秀尼となる。

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豊臣(羽柴)一門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 03:15 UTC 版)

軍師官兵衛」の記事における「豊臣羽柴一門」の解説

豊臣秀吉とよとみ ひでよし) (藤吉郎木下藤吉郎羽柴秀吉豊臣秀吉) 演:竹中直人 天下人。元は信長の家臣最初木下藤吉郎きのした とうきちろう)を名乗り、のち長浜城となった際に羽柴筑前守秀吉(はしば ちくぜんのかみ ひでよし)に改名している。明る人柄だ女好きで度々浮気をしては妻・おねに叱られている。 信長からは「」と呼ばれ重用されるが、出自似合わぬ立身出世のため、多く織田家同僚達からは快く思われていない北陸攻めでは柴田勝家対立し信長無断長浜城引き揚げてしまい、謀反疑い避けるための大宴会催している最中毛利大軍と戦う援軍要請し訪れた官兵衛は激怒するが、「この一命替えて播磨出兵進言する」との覚悟見せ逆に官兵衛の信頼を得る。 中国方面軍総大将として毛利との戦い続けているさなか本能寺の変知り慟哭するも、官兵衛の煽り乗る形で天下人への道を進んでいく。一方で官兵衛を遠ざけて三成重用し信長の姪である茶々側室にしようと執着小田原征伐鶴松の死を経て生前信長目論んでいた明への侵略決意し、その足がかりとして朝鮮への進軍号令する官兵衛を自身亡き後天下獲る男として認めている一方で中国大返しから関白就任までの一連の流れうまくいきすぎているとして密かに恐れ抱いている。ただし忠誠心ゆえに直言する官兵衛への信頼失っておらず、官兵衛が長政家督譲り隠居することを願い出た際は、長政への家督相続認めつつ隠居は許さなかった。後継ぎである秀頼の誕生後衰弱していく自身への焦りから利休と秀次を殺めるなど政治面での暴走をしていくが、豊臣支配ではなく天下全体平穏に拘る官兵衛に諭されて謝罪し最後はおねの側で生涯閉じた。 おね (おね → 北政所高台院) 演:黒木瞳 秀吉正室秀吉の前でおねを冒涜するような言動例え茶々であろうとも許されず、信頼は深い。 人質として来た松寿丸我が子のようにかわいがっている。半兵衛松寿丸を匿った際には唯一松寿丸居場所知らされており、度々会い行っている。また職隆に描かれ扇子送り信長ばれないよう松寿丸生存していることを知らせようとした。 秀吉天下人となった後も、光らとは交友続けており談笑していた。その一方で三成ばかりを重用する秀吉警告し、淀の台頭頭を悩ませていた。秀吉死後官兵衛の提案と淀への意趣返し込めて西の丸家康譲り秀吉菩提を弔うため京で隠棲する。 淀(よど) (茶々 → 淀) 演:二階堂ふみ 秀吉側室信長の姪で、市の長女賤ヶ岳の戦いにおいて市が再婚相手勝家と共に自害した後に、妹の初・江と共に羽柴軍に保護された。秀吉対面した際に、父二人と母を殺した憎むべき男であるとして秀吉の命を狙うが未遂終わった。 やがて美貌とその気位の高さに惚れた秀吉求愛されるようになるが、当初秀吉贈り物一切見向きもしなかった。唯一、道薫(荒木村重)の過去興味示したが、その道薫からは居合わせた秀吉とその家臣共々乱世化け物」と罵倒された。道薫の言葉きっかけ開き直り次第秀吉寵愛受け入れ一方で秀次事件黒幕としても描かれており三成共謀し豊臣事実上支配下に置く。 秀吉死後起きた三成家康対立に関して表向き中立標榜するが、引き続き三成共謀する。しかし三成関ヶ原の合戦敗北し家康対し頼成人の後に逆襲することを心に誓うも結局大坂の陣徳川家敗北大坂城不落信じていた自らの浅はかさ嘆きつつ秀頼と共に自害し果てた豊臣秀次とよとみ ひでつぐ) 演:中尾明慶 秀吉の甥。秀吉の後を継ぎ関白となる。おねが如号した官兵衛を相談相手として付けられる三成茶々謀略により失脚し高野山追放され、後に妻子もろとも処刑される豊臣秀長とよとみ ひでなが) (木下小一郎羽柴小一郎豊臣秀長) 演:嘉島典俊 秀吉の弟。通称小一郎(こいちろう)。 小六半兵衛官兵とともに秀吉軍団中枢担い各地転戦する。 小田原攻め前夜での官兵衛との会合の時、官兵衛に茶々への溺愛三成ばかりを重用する秀吉行動豊臣家危惧するのではと言を漏らしていた。 その後病に倒れ官兵衛と利休に兄を止めるように頼み最後まで秀吉を心配しながら亡くなる。 南殿みなみどの) 演:辻本瑞貴 秀吉側室秀吉拠点である長浜屋敷与えられており、長浜城より少し離れたあたりに居住している。秀吉はおねに隠れて彼女の元に通っている。 羽柴秀勝(はしば ひでかつ) 演:倉本発 秀吉養子織田信長の四男。 豊臣秀頼とよとみ ひでより) 演:葉山奨之幼少期小美野来希秀吉と淀の間に生まれた三男。初名は拾(ひろい)。大坂の陣家康敗れ、母とともに自害した鶴松つるまつ秀吉と淀の間に生まれた次男。初名は棄(すて)。生まれてから三年後に急逝

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豊臣一門

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葵 徳川三代」の記事における「豊臣一門」の解説

豊臣秀頼とよとみ ひでより) 演:尾上菊之助幼少期大高力也小林良也豊臣秀吉嫡男。母の淀殿比べる穏健で、豊臣家65万石大名として存続しても十分と言っており、母を冷静にたしなめることも何度かあった。しかし大坂夏の陣徳川方丸腰で城を出るよう要求された際は、豊臣家誇りのために拒絶し自害し果てた淀殿よどどの) 演:小川真由美少女期黒川芽以豊臣秀吉側室で、秀頼の母。名は茶々浅井三姉妹長女常高院お江の姉でもある。妹想いだが気位高く気性激し性格秀吉没後から家康専横反発していたが、関ヶ原の合戦では片桐且元進言もあり、中立立場保っていた。徳川家幕府開いた後も、「豊臣家一介大名ではない」として臣従拒み続ける。大坂夏の陣では、秀頼が城から逃がそうとするが、城を出たところで生きがいはないと言い、秀頼と共に焼け落ちる大坂城自害した生涯小谷城北庄城大坂城三度落城憂き目見た高台院こうだいいん) (北政所高台院) 演:草笛光子 豊臣秀吉正室。名はおね。また「まんかかさま」と呼ばれることが多い。家康大坂城西の丸明け渡すなど便宜を図る出家し高台院となる。徳川天下になってからも家康との親交続いていたが、木下家家督相続家康怒りを買い、兄・木下家定遺領没収される家康と秀頼との対面では秀頼の後見務める。大坂冬の陣開戦の前、淀殿翻意促し、戦を止めるべく大坂向かおうとしたが、既に街道伏見城代の軍勢により監視され通行止めとなっており、かなわなかった。淀殿権勢ふるっているのを快く思っていなかったが、豊臣家対す思い入れ強く家康葬儀直前豊臣家の霊を慰め法要行ったことを天海詰問された際は、「太閤殿下にはお墓すらござりませぬ」と、一歩も引かぬ構え見せたお通(おつう) 演:品川景子 秀頼側室国松生母国松丸(くにまつまる) 演:高崎慶佑 秀頼とお通の子大坂夏の陣の後、千姫常高院助命嘆願されるが、家康により六条河原処刑される。 結姫(ゆいひめ) 演:福田麻由子 秀頼の娘。母は「」という侍女夏の陣の後、千姫養女として東慶寺出家させられ天秀尼となる。

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