複々線化後とは? わかりやすく解説

複々線化後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 02:48 UTC 版)

常磐緩行線」の記事における「複々線化後」の解説

1971年昭和46年4月20日複々線化緩行線千代田線乗り入れ開始された。国鉄は、当時まだ旧形電車多く運行されていた京浜東北線向けに103系捻出する必要性から、10両編成運行されていた青緑1号塗られ103系電車快速電車転用する際、2両減車して8両編成とした。これは、複々線化により輸送力上がっていることと、快速通過駅利用客地下鉄への直通運転によりそのまま都心へ向かうことを念頭に置いたものであったが、当時国鉄運賃の方が安く北千住 - 西日暮里間を千代田線経由乗車して山手線京浜東北線乗り換え場合や、地下鉄経由都心へ向かう場合合算運賃割高となる例が多く地下鉄路線網も整備途上であったため、利用者多く松戸駅北千住駅での乗換選んだことで快速電車は大混雑したこのため、この直通運転複々線化新聞などで「迷惑乗り入れ」と糾弾され事態発展した。これに対し国鉄は、千代田線乗り入れ開始とともに常磐線での営業運転終了するはずであった旧形の72系電車使用して臨時快速電車設定して輸送力増強し、その置換用の103系増備されるまでの約1年間しのいだまた、1972年10月快速103系が再び10両編成増結され、松戸駅乗り換えによる混雑要因一つでもあった、快速通過駅とされた柏駅についても、快速線ホーム新設された。 複々線化開業直前綾瀬など、都内快速通過駅では、上野へ行く際に乗り換え強いられることや運賃割高になることを理由複々線化に不満を抱く利用者がいた。そのため開業後には、千代田線常磐線どちらを経由して運賃同じにし、綾瀬駅への快速停車または上野行き電車復活求め抗議集会開かれた。だが運賃問題半世紀たっても解消されず、改善今なお求められ続けている。その問題亀有駅金町駅周辺住民でも認知されていないことが多いという。 1970年代後半に入ると、藤代駅 - 土浦駅間の交流電化区間までベッドタウン化が進行したことから、輸送力増強のため近郊形電車としては初のオールロングシート車となる415系500番台投入された。当時中距離列車データイム1時間に1本、夕方ラッシュ時でも2本程度だったのが国際科学技術博覧会つくば科学万博開催直前1985年昭和60年3月改正大増発され編成最長15となった1987年12月には、103系快速電車通勤形電車としては初め15編成化された。 一方複々線化相互乗り入れによる影響営団労働組合日本私鉄労働組合総連合会)によるストライキ時に顕著にあらわれたストライキ発生すると、綾瀬駅 - 北千住駅間は営団路線であることから電車の運行ができなくなるため、やむを得ず綾瀬駅 - 松戸駅間各駅の乗客松戸駅まで一旦戻って上野方面へ向かうようにできるように定期券利用者には特例設けて対処した。しかし、前述のように松戸駅自体が元々混雑していたため、同駅はパニック状態に陥り、長蛇の列が駅の外にまでできる事態発展したまた、相互乗り入れ使用されている車両運行影響与えていた。営団地下鉄は、千代田線用開業当初抵抗制御5000系投入したものの、1971年昭和46年4月20日国鉄との相互乗り入れ開始から世界初電力回生ブレーキ電機子チョッパ制御車となる6000系投入しトンネル内の発熱抑制省電力化を図っていた。しかし国鉄は、既存通勤路線向けに大量増備していた103系仕様一部変えた1000番台投入し抵抗制御国鉄車は抵抗器から大量の熱をトンネルや駅の中に排出することになった駅間距離比較長く地下区間高速走行する千代田線では、特に単線シールドトンネル内での空気流動少なく抵抗器冷却充分にできなかったため、103系故障多発し一時運行ダイヤにまで影響を及ぼすことがあった。省電力観点でも、相互乗り入れ車両使用料精算通常乗り入れ距離で相殺するのが慣例であったが、営団車と国鉄車とでは電力消費量異なるとの会計検査院からの指摘を受け、営団国鉄対し電気代の分を加算して請求することになった1981年営団千代田線用5000系北綾瀬支線を除く地下線から一掃し6000系統一した国鉄営団からの要望もあって、翌1982年昭和57年)から電機子チョッパ制御203系投入開始し1986年までに置き換え完了し国鉄に関して問題解決することになった1982年我孫子駅-取手駅間の複々線化完成した完成に伴い当初暫定快速止めていた天王台駅通過変更する予定であった。しかし、従来なら上野まで一本行けたのに上野に行くためにわざわざ乗り換えないといけない、各駅停車けになる地下鉄乗り入れるため運賃高くなるのを目の当たりにし、不便な状況になり困ると判断した地元住民や市などから反対運動起き国鉄引き続き停車するよう要望出された。また同じ年に大手電機メーカーNEC我孫子事業場開設されることになったことなどもあり、国鉄協議した結果地元負担があればホーム設置して良い決まったため、最終的に同駅は引き続き快速停車駅として残ることになり、緩行線電車朝夕混雑時間帯のみ運行することに決まった。 以上のように、常磐線関係の輸送改善計画スムーズに行かないことが多く常磐線は「鬼門」と揶揄されることがあった。 常磐線運転系統複雑になっている一因茨城県石岡市柿岡気象庁地磁気観測所存在がある。取手駅以北直流電化現時点では課題多く中距離列車通勤電車快速電車)の車両統合ができていないこのため民営化後になって快速線に交直両用通勤形であるE501系電車1995年に(2007年上野口での運用終了)、2005年にはE531系電車投入するなどの施策打った。なお、西日暮里経由割高運賃問題だが、SuicaPASMO相互利用開始に伴いIC乗車券利用した際に、従前連絡乗車券購入した場合よりも安くなるケース発生する一方逆に高くなるケース発生している(詳細千代田線北千住 - 西日暮里間を経由する場合の特例参照のこと)。 近年まで指摘されてきた問題点改善傾向にあり、例えば運転本数が十分とはいえない状況から亀有駅金町駅所在する葛飾区議会では列車増発要求がしばしば議題上っていた点については、2014年3月ダイヤ改正日中増発実施された。 また、かつて金町 - 松戸間の江戸川橋台風爆弾低気圧などによる強風影響でしばしば規制を受けることがあったが、これについても防風柵の設置工事2015年3月完成し以降規制を受けることが大幅に減った

※この「複々線化後」の解説は、「常磐緩行線」の解説の一部です。
「複々線化後」を含む「常磐緩行線」の記事については、「常磐緩行線」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「複々線化後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「複々線化後」の関連用語

複々線化後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



複々線化後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの常磐緩行線 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS