総合格闘家への転向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:35 UTC 版)
2008年10月6日、石井のプロ総合格闘技への転向がスポーツ報知の一面で報じられ、明らかになった。また、出場予定だった当日の世界選手権団体も調整不足を理由に辞退した。翌日の10月7日の会見で石井は、「卒業のことで頭がいっぱい。焦らずゆっくり考えたい」と進退の明言を避けた。10月31日、全日本柔道連盟に対して強化指定選手辞退届を提出。11月3日に記者会見で「11月3日をもって柔道家をやめ、プロ転向を決めました。総合格闘技のチャンピオンになれるようにがんばります」 と、正式にプロ転向を表明した。このころから柔道選手時代のトレードマークであったスキンヘッド(写真)から、スポーツ刈りにヘアスタイルを変えている。11月17日に個人事務所「Twill33」(ミーサン)を設立し、取締役である(マネジメントはケイダッシュ)。 12月16日に世界最大の総合格闘技団体UFCへの参戦意志を明言。同年12月27日にアメリカ合衆国で開催されたUFC 92を観戦し、同日深夜にUFCを主催するズッファ社と独占交渉契約を交わした(2009年1月末で独占交渉期限切れとなった。)。渡米中には現役選手にしてUFC殿堂入りしているランディ・クートゥアらの指導を受けた。その後はアメリカン・トップチームで練習を積んだ。 2009年1月4日、戦極の乱2009のリングにUFCのTシャツ姿で上がり「これからアメリカで試合をすることになりましたが、いつか大きなお土産を持ってこのリングに立ちたい」と発言した。6月1日、記者会見で戦極(現SRC)と同日に仮契約したことを発表する。戦極と契約した理由について石井は「日本で育ち、日本で生まれた柔道に生かされてきた。その結果、オリンピック金メダルを手にしました。まずは、日本の格闘技界を盛り上げ、恩返しすることが私の宿命だと思った。自分の祖母は半分、片足を棺桶に突っ込んで、いつ亡くなってもおかしくない状況なので、祖母に生で試合を見せてあげたい」「日本にある団体の中で、『戦極』では、自分が最も尊敬する、世界のヘビー級で一番強い選手・エメリヤーエンコ・ヒョードルと(当時)対戦予定のジョシュ・バーネット選手がいます。もし、ジョシュ・バーネット選手が勝てば、最強はジョシュ・バーネット選手になるので、そういう選手がいるのが『戦極』なので、そういう面でも『戦極』に惹かれました。」と語った。「本契約はファンの前でしたい」とし、6月4日に新宿ステーションスクエアにて本契約の公開調印式が行われた。 3月から2か月半の間、ブラジルのパラー州ベレンにある、リョート・マチダの道場で武者修行を敢行した。 2009年9月、同年大晦日に行われるSRC(戦極)にて吉田秀彦との対戦が正式決定。9月、国士舘大学を卒業(単位が足らず、同年3月での卒業はできなかった。)。 11月25日、K-1とDREAMを主催するFEGとSRC(戦極)を主催するWVRが大晦日の格闘技大会を合同開催することを発表し、SRCの大晦日大会は中止となり、同大会で予定されていた石井慧vs吉田秀彦戦はFEG主催のDynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜で行われたが、判定負けを喫した。 2010年3月20日、練習先であるハワイの興行「X-1 Champions 2」でササエ・パオゴフィーとエキシビションマッチ で対戦し、1R2分50秒アームロックで一本勝ち。4月8日、4歳年下の女子大学生と入籍。同年1月にハワイで初めて知り合ってから3か月での結婚となった。2011年1月、入籍から9か月で離婚。 5月15日、ニュージーランド・オークランドで開催されたXplosionでタファ"タンパー"ミシパティと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。 6月4日、ハワイ・ホノルルで行なわれたX-1: Nations Collideでマイルス・ティナネスと対戦。石井も1R終了間際に左フックでダウンを奪い追撃のパウンドを繰り出すも、1R終了後の攻撃だったとして反則負けと裁定されたが、その後ノーコンテストと裁定が変更された。 9月25日、DREAM初参戦となったDREAM.16でミノワマンと対戦し、3-0の判定勝ちで格闘家としての日本初勝利を収めた。大会3日前の9月22日に参戦が発表されるほどの緊急参戦となった。 11月8日、K-1 WORLD MAX 2010 FINALに参戦。当初はアンズ・"ノトリアス"・ナンセンとDREAMルールで対戦予定だったが、試合2日前のドクターチェックでナンセンの古傷が治っていないことが発覚し、ドクターストップになったため、試合前日に相手が柴田勝頼に変更された。試合ではアームロックで一本勝ちを収めた。 12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜 にてK-1ファイターのジェロム・レ・バンナと総合格闘技ルールで対戦。K-1が本職で4年間総合格闘技ルールの試合をしていなかったバンナ相手に寝技で関節技を極めきれず、スタンドでパンチと膝蹴りを浴びるなど苦戦。3Rに抑え込んで判定勝ちを収めたものの、バンナからパウンドを浴びた際には、石井が日本人でありながら、日本の観客からバンナへの歓声と掛け声があがり、逆に判定で石井の勝利が告げられた際には観客から石井へのブーイングが飛んだ。試合後、石井は「バンナ選手の寝技が予想以上にうまかった。プロデビュー戦では負けはしたが、吉田秀彦さんからパスガードしてサイドポジションを奪うことは出来たし、今回の試合に備えてエメリヤーエンコ・ヒョードルに一本勝ちした柔術世界王者ファブリシオ・ヴェウドゥムと練習してきて、寝技スパーリングで僕はファブリシオからパスガードしてサイドポジションを奪って抑え込めていたから寝技には自信があった。しかし、バンナは寝技でもファブリシオと同じくらい足が利いていて、今までで一番パスガードするのが難しい相手だったし、アキレス腱固めやヒールホールドの防御のやり方も出来ていて、寝技で下から打ってくるパンチも強かった」「ブーイングは応援の裏返しだと思うし、それだけ期待していただいていることだと思う。次は一本、KOで勝ちたいと思っています」と語った。 2011年4月1日にカリフォルニアで開催のStrikeforce Challengers 15でスコット・ライティと対戦予定だったが、東日本大震災の影響でビザの取得が遅れるなど試合に必要な手続きが出来ないため欠場となり、Strikeforce参戦は頓挫した。9月14日、Amazon Forest Combat 1でパウロ・フィリオとライトヘビー級契約で対戦したが、判定ドローに終わる。 12月31日、元気ですか!! 大晦日!! 2011でエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦したが、1Rに失神KO負けを喫した 2012年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2012で元UFC世界ヘビー級王者のティム・シルビアと対戦。1Rはテイクダウンからサイドポジションを奪い、肘打ちで出血させるなど優勢に進めたが、2R以降はシルビアの首相撲に掴まり苦戦する。判定勝ちするも、膠着し続けた試合に観客からのブーイングが飛んだ。相手のシルビアは試合前に、「右膝を負傷しており、リアルファイトをするのは難しい。」と話していたことを同大会出場者が語っている。 2013年2月23日、IGF GENOME24で元UFCファイターのショーン・マッコークルと対戦。1Rにアームロックで一本勝ちを収めた。ただし、この試合は当初、石井がジェフ・モンソンと戦う予定であったが、モンソンが試合直前に怪我で欠場したため、セコンドとして来日していたマッコークルにIGFスタッフが交渉をして試合1日前に急遽決まった試合であり、マッコークルは準備期間たった1日で試合に臨んでいた。3月21日、IGF GENOME25でケリー・ショールと対戦。左フックでダウンを奪い、腕ひしぎ十字固め(IGFの公式記録はアームロック)で一本勝ち。 5月26日、ペドロ・ヒーゾに判定勝ち。ストライカーのヒーゾとスタンドで互角以上に渡り合い、課題だった打撃技術の向上を見せた。 7月4日、歌手の林明日香と再婚していた事が発覚した。林のファンだった石井は2012年8月に知人の紹介で知り合い、その後、交際がスタートした。3月末にプロポーズし、大安だった7月3日に都内の区役所に婚姻届を提出した。 10月21日、M-1 Challenge 42でジェフ・モンソンと対戦。1Rと2Rはスタンドで主導権を握りつつ、テイクダウンを奪うなど優勢に試合を進め、3Rにはモンソンのクリンチアッパーを中心とした攻めで盛り返されるも判定勝ち。 12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2013のIGFチャンピオンシップで藤田和之と対戦。判定勝ちを収め、王座を獲得した。 2014年4月5日のINOKI GENOME FIGHT 1でフィリップ・デ・フライと対戦。スタンドではデ・フライのパンチや膝蹴りに苦しんだが、再三テイクダウンを奪い判定勝ち。8月23日のINOKI GENOME FIGHT 2でミルコ・クロコップと対戦。テイクダウンを奪うも、下からの肘打ちを受け出血。石井もその後、スタンドでミルコと互角に打ち合ったものの流血が激しくなり、ドクターストップ負け。IGF王座から陥落した。 12月31日大晦日のINOKI BOM-BA-YE 2014でミルコ・クロコップと再戦。リベンジを狙う石井だったが、2R終了間際にミルコの左ハイキックを側頭部に受けた後、打撃のラッシュを受けダウン。直後に2R終了のゴングが鳴らされたが出血が酷く、インターバルの最中も立ち上がれなかった為、石井のTKO負けとなった。 2015年12月29日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYSのヘビー級(-100kg)トーナメント1回戦でイリー・プロハースカと対戦し、グラウンドでの膝蹴りでKO負け。 2016年6月24日、Bellator 157でクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦。序盤はテイクダウンして優勢に立つものの、徐々にジャクソンの首相撲やクリンチアッパーに捕まり、巻き返されて1-2で判定負け。8月7日放送の行列のできる法律相談所にて、林明日香と離婚したことを発表した。 12月16日、Bellator 169のメインイベントでキング・モーと対戦。終始モーが試合を支配し、0-3の判定負けとなった。 2017年2月より、練習拠点をクロアチアのチーム・クロコップに移した。 2018年4月11日、桜庭和志が旗揚げしたグラップリング大会・QUINTET.1に「JUDO DREAM TEAM」の大将として参戦。1回戦で「HALEO DREAM TEAM」の副将マルコス・ソウザと対戦したが、時間切れドローに終わり、チームは1回戦敗退となった。7月16日、QUINTET.2に「TEAM VAGABOND」の中堅として参戦。1回戦で「TEAM 10th Planet」の中堅ジオ・マルティネスと対戦し、時間切れドロー。 10月5日、QUINTET.3のスペシャルシングルマッチで元UFCヘビー級王者のフランク・ミアと対戦、サドンデスラウンドで3度目の指導が入ったミアが失格となり、勝利を収めた。 11月20日、中井祐樹よりブラジリアン柔術黒帯を授与されたことをTwitter上で報告した。 12月1日、セルビアの総合格闘技団体「SBC(Serbian Battle Championship)」のヘビー級王座決定戦でトニー・ロペスと対戦し、1Rに洗濯ばさみで一本勝ち。王座獲得に成功した。 2019年2月16日、SBCヘビー級タイトルマッチで挑戦者のホドリコ・カルロスと対戦し、1RにパウンドでTKO勝ち。初防衛に成功した。3月2日、HEAT 44の総合ルールヘビー級タイトルマッチで王者のカルリ・ギブレインと対戦し、2RにV1アームロックで一本勝ち。王座獲得に成功した。 3月23日、ポーランドの総合格闘技団体「KSW」に初参戦し、元ヘビー級王者のフェルナンド・ロドリゲス・ジュニアと対戦。2-1の判定勝ちを収めた。 8月8日、PFL 6: 2019 Regular Seasonで元UFCファイターのジャレッド・ロショルトと対戦し、0-3の判定負け。約2年ぶりの黒星を喫した。 10月31日、PFL 9: 2019 Season PFL Playoffs 3でデニス・ゴルゾフと対戦し、0-2の判定負け。連敗を喫した。 12月31日、RIZIN.20でジェイク・ヒューンと対戦し、1R1分24秒右アッパーでKO負け。 2020年1月19日、HEAT 46の総合ルールヘビー級タイトルマッチでクレベル・ソウザと対戦し、1R3分24秒にアームロックで一本勝ち。王座防衛に成功した。
※この「総合格闘家への転向」の解説は、「石井慧」の解説の一部です。
「総合格闘家への転向」を含む「石井慧」の記事については、「石井慧」の概要を参照ください。
- 総合格闘家への転向のページへのリンク