復帰と引退とは? わかりやすく解説

復帰と引退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:15 UTC 版)

北尾光司」の記事における「復帰と引退」の解説

SWS解雇され北尾はしばらくの充電期間の後、「空拳道」の師範大文字三郎伴って謝罪会見開きその場で「武道家の道を歩みたい」と宣言総合格闘家への転向発表した。しかし当時総合格闘技路線試合を組む団体少なくこの後およそ1年にわたり北尾移籍先探して奔走することとなった。 それから約1年後1992年3月UWFインターナショナル北尾参戦発表マット界への復帰正式決定した。Uインター側は当初何かと悪評ついて回る北尾起用消極的だったが、同団体プロモーション業に携わっていた宮戸優光が「北尾道場に通うようになってから礼節が身につき、人間的に落ち着いたようだ」という話を耳にし、ワンマッチ契約条件付き参戦決まったという。そして同年5月8日Uインター横浜アリーナ大会で山崎一夫対戦し北尾勝利を収めた。この試合直後北尾山崎との再戦について問われ、「勝負がついた相手山崎)とはもうやらない。次はもっと強い相手がいい」と語り山崎格下扱いする発言だとマスコミ書き立てられ結果となった。しかし実際は、北尾ヒール的なイメージ利用して次の高田戦を盛り上げようとした意図的な発言だったことが後年様々な文献明らかにされている。大文字Uインターと3試合分の契約結んでいたとされたが、山崎戦後ファイトマネー持ち逃げし蒸発してしまう。北尾急遽個人事務所北尾企画」を設立山崎戦から約半年後の10月23日北尾日本武道館高田延彦との「格闘技世界一決定戦」と銘打たれたビッグマッチに臨む。この試合当初山崎戦と同じ時間無制限一本勝負予定されていたが、「北尾代理人」を名乗る人物強硬な態度でこれを拒否試合直前になって3分5ラウンド変則ルール変更された。この他にも北尾側は理不尽な要求繰り返し試合直前になってクレームをつけて試合放棄ほのめかしたため、交渉役を務めていた宮戸北尾控え室駆け込んでいき怒声上げたという逸話残されている。結局この試合ブック了承不透明なまま開始され北尾は3ラウンド46秒に高田放ったハイキック顔面に受けダウンKO負け喫した諸説あるが、本来は判定による引き分けに終わるはずだったとされている。この一戦は、過去北尾言動快く思わなかったプロレスファン溜飲下げ前田日明比較して目立たなかった高田の名前を上げることになり、北尾対す幻想大いそがれることとなった。しかし、総合格闘技への復帰後は以前のような態度影を潜めリング四方深々と頭を下げる前述山崎戦では試合直後ダウンしている山崎にも一礼するなどの謙虚さ見せて過去を知るファン大い驚かせた。 1994年には格闘技塾「北尾道場」(後の武輝道場)を旗揚げし、道場と共に天龍源一郎率いWAR主戦場にした。この時期北尾プロレスある程度そつなくこなせ、ファンからも声援送られるようになり、天龍タッグを組むことも多かった。しかし、前述ジョン・テンタとの数年ぶりの再戦WAR興行行われた際は、終始いきり立って格闘色の際立つ展開となってしまい、呆気ない幕切れとなった初期PRIDEUFCにも参戦しており、1996年4月5日行われた第1回ユニバーサル・バーリトゥード・ファイティング」では、ペドロ・オタービオと対戦して1R5分49秒、グラウンドでの肘打ち敗れた同年5月17日行われたUFC 9では、 マーク・ホールと対戦鼻の骨折によるドクターストップ敗れた1997年10月11日にはPRIDE.1においてネイサン・ジョーンズ対戦総合格闘技戦で初勝利を挙げる1998年5月1日開催され全日本プロレス・東京ドーム大会では、同じ大相撲出身田上明とのシングルマッチ組まれたが、カード発表直後キャンセルその後やりたいことをやり終えた」として現役引退表明し同年10月11日PRIDE.4引退セレモニー行った武輝道場は、当時所属選手岡村隆志引き継いだ

※この「復帰と引退」の解説は、「北尾光司」の解説の一部です。
「復帰と引退」を含む「北尾光司」の記事については、「北尾光司」の概要を参照ください。

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