1990年代 - マラドーナ復帰と引退。そしてビアンチ時代の到来
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「ボカ・ジュニアーズ」の記事における「1990年代 - マラドーナ復帰と引退。そしてビアンチ時代の到来」の解説
1990年3月、ボカはレコパ・スダメリカーナで、アトレティコ・ナシオナルと対戦して勝利し、優勝した。1980年代末に移籍して来たモントーヤ、クシューホ、ジュンタ、シモンと生え抜きのラトーレ、ソニョーラらが主力となり新しいチームが出来上がり、ボカは2つの国際タイトルを獲得した。そして9月にガブリエル・バティストゥータが入団すると更にチーム力が増した。そしてこれに加え1991年シーズン、名将オスカル・タバレスがボカの監督に就任した。すると1990-91年シーズン後期はバティストゥータとラトーレが素晴らしい2トップのパフォーマンスを見せて全19試合無敗(13勝6分0敗)を記録して1位となった。この1990-91シーズン後期は攻撃陣のみならず守備陣が19試合で僅か6失点という際立った成績を残した。この1991年はリーグ方式の移行年で、前後期でそれぞれ1位になったチーム同士によるプレイオフ戦の勝者のみにタイトルが授与されるという大会規定であった。その為、ボカは国内リーグ優勝の称号をかけて前期優勝チームのニューウェルズ・オールドボーイズと優勝決定戦を行う事になった。しかし、バティストゥータとラトーレの2トップは既に欧州移籍が決まり契約上の問題で、このプレーオフに出場できなかった。エースFW2人を欠いたボカは、その穴を埋める事ができず、ニューウェルズに敗北して優勝を逃した。ボカは1991-92年シーズンはコパ・リベルタドーレスでも準決勝まで勝ち進んだが、チリのCSDコロコロに敗北した。 翌1992-93シーズン、アルベルト・マルシコとセルヒオ・ダニエル・マルティネス、カルロス・ダニエル・タピア、カルロス・マカリステルが入団した。このシーズンは司令塔マルシコとロベルト・カバニャスの攻撃陣が活躍した。一方、守備陣ではゴール・キーパーのモントーヤが824分間無失点というアルゼンチン・リーグの新記録を樹立する大活躍を見せた。彼らの活躍などがあり、ボカは1981年以来の実に11年ぶりとなる久しぶりの国内リーグ優勝を果たした。これで低迷期を脱するかと思われたが、この優勝後、ボカは再び停滞して、もがき苦しむ状態になった。 1995-96シーズン前期、ディエゴ・マラドーナが14年振りに古巣ボカに復帰した。マラドーナは自ら優秀な選手を勧誘してクラウディオ・カニーヒア、キリ・ゴンサレス、ディエゴ・カーニャなど名手を入団させた。そして14年前と同じシルビオ・マルソリーニ監督がチームを指揮した。ボカは残り5試合で2位と勝ち点6差をつけて首位を走っていて、多くの人がボカ優勝で決まりだと予想していた。しかしボカはこの後、失速してしまい優勝を逃した。ボカはリーグ終盤でCAベレス・サルスフィエルドに逆転されて、結局4位でシーズンを終えた。 1995-96シーズン後期、カルロス・ビラルドが監督に就任した。更にフアン・セバスティアン・ベロンが入団した。このシーズンもボカは優勝争いを演じた。第16節終了時点で、1位のベレスと僅か勝ち点1差の4位に付けていた。まだ優勝の可能性が残っていた。しかし、1996年8月7日の第17節アウェーのラシン・クルブ戦でマラドーナがペナルティ・キックを失敗した。その後、ボカは失点して0-1でラシンに敗北してしまった。この敗戦によりボカは優勝の可能性が失くなった(この試合にショックを受けたマラドーナはこの後11カ月間、チームから離脱した)。結局、ボカは5位でシーズンを終えた。 1996-97シーズン前期、名手ホセ・バスアルドが入団した。そしてディエゴ・ラトーレが古巣であるボカに復帰した。しかし成績は更に落ちて10位で終了して、ビラルドは退任した。 1997-98シーズン前期、後にクラブ史上最多得点記録を樹立するマルティン・パレルモが入団した。他にギジェルモ・バロスケロット、ノルベルト・ソラーノ、ホルヘ・ベルムーデス、オスカル・コルドバが入団した。そしてマラドーナもチームに復帰した。しかし1997年10月25日のリーグ戦第10節、アウェーのCAリーベル・プレート戦に先発したマラドーナは前半終了をした時点で交代を申し出てリケルメと交代して、ピッチを去った。この交代後、ボカは2-1で逆転勝利した。そして、この試合を最後にマラドーナはボカの試合に出場することは無く、このスーペルクラシコが天才ディエゴ・マラドーナの公式戦引退試合となった。この試合の5日後、マラドーナは自身の37歳の誕生日、1997年10月30日にフットボール選手を引退することを発表した。このシーズン中、司令塔マラドーナが突然引退してチーム離脱するという事件があったが、最終的にボカは2位という好成績に終わった。しかし1997-98シーズン後期は、8位となりまたしても期待外れに終わった。天才マラドーナ、カニーヒアというスター選手や他に優秀な選手を大量補強して、更にビラルドという名監督が指揮を執って挑んでもボカは優勝することができなかった。逆に宿敵リーベルが1996年から1997年にかけてアルゼンチン・リーグで16年ぶりの3連覇(3期連続優勝)という偉業を達成したので、ボカ・サポーターが受けたショックは甚大であった。 その様な状況下で、1998-99シーズン前期にカルロス・ビアンチが新監督に就任した。そしてマウリシオ・セルナが入団した。ビアンチはリケルメを司令塔に定着させて、新加入のセルナをボランチに置いた。そして2トップにパレルモとバロスケロットを起用した。その結果、ボカは19試合を13勝6分け0敗の成績で無敗優勝を達成した。6年振りの優勝だった。パレルモは20得点を挙げる活躍をして得点王に輝き、南米年間最優秀選手賞も受賞した。スター選手がいなくなった後にほぼ現有の戦力で圧倒的な強さで優勝したのでこの優勝はサポーターを驚かせた。続く1998-99シーズン後期、ボカは好調を維持して連覇を達成した。1990年代、ボカ・ジュニアーズは補強を重ねてもうまくいかない苦しいシーズンを6年過ごしたが、最後に2連覇を達成して20世紀を終えた。
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