ディエゴ・ラトーレとは? わかりやすく解説

ディエゴ・ラトーレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 13:50 UTC 版)

ディエゴ・ラトーレ
名前
本名 ディエゴ・フェルナンド・ラトーレ
Diego Fernando Latorre
ラテン文字 Diego LATORRE
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1969-08-04) 1969年8月4日(54歳)
出身地 ブエノスアイレス
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1992 ボカ・ジュニアーズ 117 (33)
1992 フィオレンティーナ 2 (0)
1992-1995 テネリフェ 69 (15)
1995-1996 サラマンカ 22 (1)
1996-1998 ボカ・ジュニアーズ 65 (22)
1998-1999 ラシン・クラブ 29 (10)
1999 クルス・アスル 14 (4)
2000 ロサリオ・セントラル 14 (2)
2000 チャカリタ・ジュニアーズ 9 (1)
2000-2003 アトレティコ・セラヤ 68 (27)
2003 コムニカシオネス 0 (0)
2003-2004 ドラドス・デ・シナロア 0 (0)
2004-2005 コムニカシオネス 15 (5)
2005-2006 アラクラネス・デ・ドゥランゴ 13 (0)
通算 437 (120)
代表歴
1991 アルゼンチン 6 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ディエゴ・フェルナンド・ラトーレDiego Fernando Latorre, 1969年8月4日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の元同国代表サッカー選手ポジションフォワード

経歴

ラトーレは、いわゆるマラドーナ2世と呼ばれた最初のプレイヤーで、名前も同じであったことから「新たなディエゴ」とも呼ばれた。

ボカ・ジュニアーズとプロ契約を結び、1987年10月18日にCAプラテンセとの試合でプロデビュー、即ゴールを上げた。1990-91シーズンにはリーグ優勝も果たしている。ブラジルとの親善試合で代表に選出され、その試合でゴールも上げた。

1992年には、共に1991年のコパ・アメリカで優勝したガブリエル・バティストゥータと共にフィオレンティーナに移籍したが、バティストゥータがフィオレンティーナの歴史に残る活躍を見せたのに対して、ラトーレは2試合に出場したに留まり、すぐにリーガ・エスパニョーラCDテネリフェへ放出された。テネリフェでは69試合に出場し15ゴールを上げた。1995-96シーズンの途中にUDサラマンカへ移籍したが、22試合出場でわずか1ゴールに止まり、チームは22位に低迷。翌シーズンはボカへ戻ることとなった。アルゼンチンに帰国してからはラシン・クラブCAロサリオ・セントラルでもプレイ。その後2005年に引退するまで、メキシコグアテマラでもプレイしている。

参考文献

  • Diego Latorre”. National Football Team.com. 2015年8月23日閲覧。

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